べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四十

2025/10/24(金)21:00
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 蔦重の周りに人が集まる。蔦重が才能のハブだということを感じさせる回でした。新たに加わったものもいれば、昔からのなじみが腕を磨けば、自慢の喉を披露する方も。どうみても蔦重・鶴屋コンビの仕掛けたことなのに。懐かしの朋誠堂喜三二は蔦重らの仕掛けに気づいたけれど政寅(山東京伝)は気づかない。このあたりが、喜三二さんの大人を感じ、政寅さんのかわいさににやりとしてしまうところです。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。



第40回「尽きせぬは欲の泉」


新しい才能たち、…え?

 手鎖五十日の刑に書されればさすがに筆を折りたくなるというもの。山東京伝は、鶴屋と蔦重の説得にもかかわらず、煙草屋を始めると言い張ります。その代わりに、と差し出したのが、「門人ではなく友人の」滝沢瑣吉、のちの滝沢馬琴です。作家見習い兼手代として雇ってはみたものの、上から目線のふるまいが従来からの奉公人たちの反感を買います。ですが、蔦重の目はその作品の中に光るものを見つけていたのでした(ま、よく読めば、の注釈つきではありますが)。
 
 もう一人の新たな才能は、勝川春章が連れてきた弟子、勝川春朗、そうのちの葛飾北斎です。確かに、北斎はのちに「画狂老人」と号した男。ですが、初登場は狂犬そのもの、なにせ

たらたらしてやがんなぁ、だんなぁ。

 これが師の春章によると「水も滴る男前」ってことだそうで。人間に言葉が通じません。おまけに滝沢瑣吉が書いた黄表紙の挿絵を頼むと、目を近づけて読みふけり、ついには原稿を破って口の中へ。瑣吉が怒ること、怒ること。耕書堂の前で取っ組み合いの喧嘩になります。ですが、それを止めないのが蔦重の才、いや能。

仲が悪けりゃ、競い合うじゃねえですか。


なるほど。お互いを打ちのめすためによいものを書こう/描こうとすれば、それだけいいものが出来る。こうやって滝沢馬琴・葛飾北斎の名コンビの誕生に手を貸したのですね。

 そして蔦重がもう一つ、競いを仕掛けたのが、瑣吉の作品を山東京伝の名で売り出したこと。負けず嫌いの瑣吉なら、蔦重に

これはよ、「京伝の名で京伝よりいいもん出して、一気に抜いてやろうぜ」ってことなんだ

に加えて

俺ゃ、お前さんならできると思うんだよ、瑣吉先生

という殺し文句を言われたら「任せろ」とコロリです。

 

 瑣吉、春朗と、新たなスター(の卵)登場ですが、これまでの底抜けに明るい才能たちとはどこか違うのは、時代を、世相を反映しているからでしょうか。どこまでも軽やかだった狂歌師たちとは違う匂いを感じさせる二人でした。

 

本当に私のため?

 瑣吉がコロリといった蔦重の殺し文句ですが、古なじみのこの人には通じません。蔦重は、歌麿に女の大首絵を描かせたい、その説得のためにはるばる栃木まで訪ねていきます。

うちから錦絵を出してほしい。今、江戸の錦絵がぱっとしねぇ。ここで目を見はらせるものを出せば、必ず当代一の絵師になれる。

ですが、そこにかぶせるように歌麿はこういうのです。

 

私のためのように言いますけど、つまるとこ、金繰りに行き詰まってる蔦屋を助ける当たりが欲しいっていうだけですよね。あわよくば、私を売り出すことで、もう一度、蔦重ここにあり、ってのを見せつけたいっていう

 歌麿とのやりとりを通じて、蔦重は自身が本当に何を望んでいるかがわかったのではないでしょうか。つまるところ、「歌麿だから描ける絵というものを描き続けてほしい」。これが蔦重の望みであり、今回のタイトルにもある「尽きせぬ蔦重の欲」でもあった。
 だからこそ逆接的ではありますが、蔦重は歌麿に選ばせるのです。

お前が俺のこれをやりてえか、やりたくねぇか、それだけで決めてくれ。

 欲の皮をどんどん剥いで残った純粋なものが、歌麿を動かしたのでしょう。歌麿もまた心の奥底で「面白いものを描きたい」という欲があり、それを形にできるのは蔦重のアイデアだ、ということを知っていた、いや、心の奥底では感じていたに違いありません。その歌麿の真の欲に蔦重は賭けたのでしょう。


写生こそが基本


 こうして歌麿に女性の大首絵を描かせるために、市中の美人を集め始めた蔦重。歌麿を世界に広めたエドモン・ゴンクールは『歌麿』の中でこう書いています。

女性の働く様を思いつくまま頭で考えて描くのではなく、そうした作業にお馴染みの身振り、姿勢、動作を写生でなぞり、非常な現実味をもってとらえて、非常な現実味をもって再現してこそ、一国の民全体、あるいはある時代の社会全体の特色を示しうるのである。

 ジャポニズムの根源はここにあったのかもしれないと思わせる一文でした。歌麿の描いた日本人女性の向こうに、フランスから見た極東の国、日本が見えていたのでしょう。そのために、虫を、女性をじっと見つめる写生の力が活きたのです。「生を写す」と書いて写生。歌麿の本領でした。


 そしてこの著書を読んでいて、はっとしたのがこちらです。

遊郭の女性を描くこの画家の興味深い一面は、幼児を優しく世話する母親を表現するなど、母性のテーマを描く傾向をもっていたことである。

 産みの母とはついに相容れず、優しく世話をされたこともない唐丸でしたが、子をなすことはなかったけれど包み込むような優しさを持っていたきよ、そして今は、心配して栃木まで同道してくれたつよが本当の母のように見守ってくれる。
 美人の錦絵に遠慮なくダメ出しをする蔦重は厳父のような存在になりつつありますが、歌麿が安らげる場所がどこかにいつまでも残っていてほしいものです。


 

 

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