発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

▼ソクラテスには、「内なるダイモン(デーモン)」がいたらしい。小林秀雄の「悪魔的なもの」(『小林秀雄全作品21 美を求める心』に収録)に詳しい。古代ギリシャでは、ダイモンとは神と人との中間者を意味した。個人の運命を導く神霊的な存在で、その人本来の性格にない善い行いや悪い行いをさせたという。ソクラテスは自分にとりついている霊を「格下のダイモン」という意味で「ダイモニオン」と呼んでいた。ちょっとポケットモンスターみたいだ。大モニョン・中モニョン・小モニョン……。
▼ソクラテスのダイモンは、宿主の味方だった。プラトンの「ソクラテスの弁明」にはこうある。「これは一種の声であって、いつも何かしようとしているのを止める。何かをせよ、とすすめることはない」。
現在ではデーモン(悪魔)と言うと、悪い道へ誘惑する厄介なイメージが強いけれど、そういう存在ではなかったようだ。
小林秀雄は、ソクラテスとダイモニオンの関係をこんな風に書いた。「ソクラテスはダイモンの俘囚(とりこ)ではない。むしろダイモンがソクラテスの意識を目覚ますのである」。
ダイモンは合図なのだ。命令ではない。無視することもできる声に、ソクラテスは耳を傾け続けた。
▼ダイモンの「何かしようとしているのを止める」声は、ソクラテスの「疑う力」を支えていたのではないかと小林は読んでいる。
ここからは私の想像だけれど、「AはAである」という事実を見て「ああ、そうね、AはAだよね」と受け流しそうになった時に、内なるダイモンの声が「ちょっと待て……」と耳の奥に響く。ダイモンはきっとそれ以上は何も言わない。「AはAではない」とも言わないし、「AはBである」とも言わない。そこから先はソクラテスに、もっと言えば哲学対話に、委ねられる。ダイモンの声は、立ち止まるきっかけだ。点滅する青信号みたいなものかもしれない。もちろん、これはダイモンのごくごく一部だけを捉えた想像だろうけれど。
▼さてこんなダイモンが、どうしてキリストを誘惑するサタン化して「悪魔」になっていったのかーーそれは、神の創造した世界に悪が存在する理由を「悪魔のせい」にせざるをえなかったキリスト教界の事情だった。(この点については「ほんのれんラジオ」のエピソード11-3で詳しく紹介しているので、ぜひご一聴ください。)
▼デーモンは元々「悪い魔」ではなく超自然的な存在を指していた。この点では、デーモンは日本の「鬼」に似ている。
『鬼とはなにか——まつろわぬ民か、縄文の神か』(戸矢学・著)によると、中国から「鬼」という漢字がやってくる以前から、日本には「おに」というヤマト言葉があった。その頃の「おに」は、畏敬すべき何者かを指した。「おに」は「かみ」と同類だったともいう。それが、死者を意味する漢字の「鬼」を当てはめられたことによって、次第に鬼と神が分離していった。
▼元々は「かみ」でもあった鬼が、気づけば豆を投げつけられ、外へと追い払われる存在に。こうなったのには、わけがある。ヤマト政権によるイメージ戦略だったのだ。今風に言えば、プロパガンダが「鬼は外」を生んだ。ヤマト政権は、自らに従わない人々を「まつろわぬ民=ヤマトの神を祀らない人々」と呼び「鬼」と見立てて、征伐対象とした。恐ろしく忌まわしい者というイメージを貼り付けて、退治していい相手としたのだ。
▼キリスト教によって悪者にされていったデーモンと、ヤマト政権によって排外された鬼。ソクラテスのダイモンが元々「疑う力」の根底を支えていたことを考えれば、支配者にとって「ダイモン的なもの」が恐怖対象になるのも自然なことかもしれない。
思えばソクラテス自身も、時の権力によって裁判にかけられ、毒盃を傾けさせられた。ただ、この毒盃を手にしたとき、不思議なことにソクラテスのダイモニオンは何も合図を送らなかったという。「止めろ」と言わなかった。その先に待つ世界を、ダイモンは知っていたのかもしれない。
▼小林秀雄はこんなことも言っていた。「彼(ソクラテス)にとって、自意識とは、よく生きんが為に統一され集中された意志に他ならず、この意識は不知なるものの大海に浮んではいるが、その不知なるものが、人間の意識なぞより、遥かに巨大な、完全なもう一つの意識であることを否定する理由は少しもないのである」。
▼いま、私たちの多くは「内なるダイモン」を見失ってしまった。その一方で、悪魔や鬼を根絶やしにする桃太郎役は飽和している。鬼退治は、もはや中央権力の専売特許ですらなくなってきた。SNS監視社会では、誰もがスマホに齧り付くエセ桃太郎だ。ちょっとでも叩けるものがあればヨダレを垂らして大集合。
自分自身の内なる鬼を見失い、外に敵や他者を次々見つけ出しては、薄っぺらな正義感で束の間だけ気持ちを癒す。そうして、だんだんと心の在処も自分の正体も分からなくなる。いま世界をつまらなくしているのは、闇堕ちした桃太郎軍団なのかもしれない。ならばそろそろ、鬼らしい鬼が銀河系の彼方から到着してもいい頃だ。
▼しかし果たしてノイズまみれのこんな時代に、内なるダイモンの声を再発見することなんてできるのだろうか。世間を見渡せば怖気付くことだってある。だけど、思い返せばソクラテスだって、ペロポネソス戦争の大混乱期にソクラテスになったのだ。危機や混沌の中でこそ、内なる銀河に耳をすませてみたい。ダイモンは見失われているだけで、いなくなってはいないのだから。
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山本春奈
編集的先達:レオ・レオーニ。舌足らずな清潔派にして、万能の編集ガール。定評ある卓抜な要約力と観察力、語学力だけではなく、好奇心溢れる眼で小動物のごとくフロアで機敏な動きも見せる。趣味は温泉採掘とパクチーベランダ菜園。愛称は「はるにゃん」。
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2025-07-01
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2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。