デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。
髪棚の三冊vol.3 エディスト的ブロックチェーン考(情報代謝と価値の流通)
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『エンデの遺言』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版)2000年
『ブロックチェーン・レボリューション』(ドン・タプスコット+アレックス・
タプスコット、ダイヤモンド社 )2016年
『クラブとサロン』(NTT出版)1991年
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■情報から価値を生む
古代中国、斉の宣王は王都の稷門に学識豊かな者を集めて住まわせ、大いに学問を奨励したという。そこでは多様多彩な思想や学問が触発しあい、誘発され、創出されて行った。これがいわゆる諸子百家の爛熟で、孔子、孟子、墨子らカリスマ思想家たちが次々に登場し、彼ら百家の争鳴は今も私たちに大きく残響し続けている。
このように高度な情報交換によって新たな価値観が創発される状況は、現代のネットワーク社会を先駆する姿と見ることができるだろう。
何であれ独自の情報価値が生まれる際には、そこに何らかの「好み」が関与する。それはときにフェチや偏愛と呼ばれるものかも知れない。「数寄」の発生である。
ただしこのとき、情報ネットワークにはハブ機能を担う存在が求められる。人が何かを偏愛し、その数寄を交換し合う場として用意されたのが「西のコーヒーハウス・東の茶室」だった。そこでは人が集い交わり結び合う場が用意され、数寄の醸成装置としての機能を担ったのだ。
室町時代の茶会(18世紀/『祭礼草子』より)
◆向かって右上の唐物が陳列された室では闘茶、連歌が催されようとしている。庭には盆栽が飾られ、左方の室で立てられた茶が運ばれる。◆人と人が一所に集うことは、それだけで一世に一回かぎりの出来事である。場に臨む客人としての心構えを、茶の湯では「一座の建立」にあると説いている。またそのときの会話は「世間の雑談(ぞうだん)」などの俗は野暮だから避けるようにと戒める。
社会学者F・L・K・シューの定義によれば、ある目的に従って意識的につくられた集まりは全て「クラブ」と呼ぶのだという。
今日的なクラブ文化の原型である18世紀イギリスのコーヒーハウスは、金さえ出せば誰でも自由に出入りできる場だったが、やがて特権的な選良性を極める方向へ向かって、独自のクラブ空間を構築するようになって行った。
クラブとは、共同体とその外部の境界において結社されるコミュニティだ。ここでいう共同体とはそれ自体の自己保存を目的にした構造のことで、いわば「身内」と言い換えられる。ジェンダーの観点から言えば、このウチとソトを往来するのは伝統的に男性の役割だった。それゆえイギリスのコーヒーハウスが家庭と職場の中間領域である街頭において発生し、しかも女人禁制だったことは象徴的である。
一方、フランス発の「サロン」は貴婦人のリュエル(寝室)から始まった。
17世紀初頭、二十歳を過ぎたばかりのランブィエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌは出産後の体調不良を理由に宮廷を引退し、自宅にサロンを開いた。ランヴィエ邸には、宮廷人、文人、貴族、中産階級の人々が身分の上下にかかわりなく一私人として集い、互いに人柄を慕い合い、才を買われ、技能で評価され、純粋なヨコの友情関係で結ばれて行った。
こうしたサロン文化での知的な情報交換は思想を充実進展させ、18世紀には『百科全書』のような結実をみながら、やがて社会的政治的な行動をゆりおこすに至ったのだ。
クラブの多くは特権的で閉鎖的な傾向があるが、サロンは原則的には開放されている。だからサロンには客に対する主宰的価値観が動く。
つまりクラブ式に結社すれば排他的であるがゆえに数寄が際立ち、その数寄を醸成するように場を設えるならサロン風にホストの存在が求められるということだ。
ホストは一期一会に集う「客」と「時・場・事」の間に出入りして、エディティング・モデルの交わし合いを促進誘発させる役回りを担う。これはまさしく「師範代ロール」のプロトタイプと言えるだろう。編集学校の「教室」はサロンなのである。
ところで、明治の日本が「クラブ」を「倶楽部」と翻訳したことは良くも悪くも日本的な社交感覚を誘った。倶に楽しむという当て字が、親睦や互助のニュアンスを感じさせるせいだろう、現代日本のコミュニティは数寄を極め、磨き、傾く(カブく)というエッジへ向かうより、ともすると同調圧力のベクトルへ流れて疎外や思考停止を生んでいる面があるのは否めない。
この事態に輪をかけて今日のSNS社会である。リアルに人が集う美容室が「サロン」と呼ばれることの意義は重大なのだ。私が美容師として抱く問題意識はここにある。
その点イシス編集学校は、受容に満ちた倶楽部性も、先鋭を指向するクラブ性も、相互編集を媒介するサロン性も三位一体で揃う稀有なコミュニティなのである。
時を超え場を跨ぐことがますます容易になっていく社会のなかで、私たちは次のディケイドに何を物語ることができるのか。強靭な情報代謝力を鍛え、極化した数寄を多様性として抱き参らせるような価値の創造と流通がエディストには求められている。
[髪棚の三冊vol.3]エディスト的ブロックチェーン考
1)ヒトの生む価値
2)価値の測り方
3)情報リテラシーの作法
4)情報から価値を生む
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
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