久しぶりにマクラメを編んだ。切れ端の一点から伸びたロープの線が、面となり、立体になっていく過程が楽しい。黒色のコットンロープを、カメラ用のストラップに仕立てた。首からさげてみると、ねらい通りの短めの仕上がりだ。イシス編集学校のイベントへ幾度も持ち出し、松岡校長の姿を撮影してきた愛機のカメラの重みが心地好かった。今思えば、校長が旅立った2日後、8月14日のことだった。
「編むはあけぼの」。枕草子パロディのコピーと、マクラメ編みのハンギングにコップを載せた写真で構成した「マクラメ草紙教室」のフライヤーを校長の前で披露したのは、2019年の伝習座だった。しどろもどろのプレゼンのあとの休憩時間に、人混みから逃げるように本棚劇場から井寸房への引き戸を開けると、そこにいたのは椅子に腰掛けた松岡校長だった。思わぬ二人きりの空間に固まる私に、「フライヤー、がんばっていたね」と微笑みかけた。「あれは自分で作るの?」とマクラメにも興味を示してくれる校長に、「ありがとうございます」「そうなんです」としか返せず、対話を重ねられなかったことを、今も悔いている。
「マクラメ草紙教室」のフライヤー
桜を生けた器をマクラメ編みのハンギングが支える
師範として守講座に関わるようになった2024年、伝習座のリハーサルでのこと。壇上での即興の問答に苦心していた私に、いつもの黒いソファに深く掛けた校長は「3つのキーワードを用意しておきなさい」と、助言した。まっさらな状態ではなく、ただひとつの見方でもなく、3つのモデルを想定しておくことで、他者の言葉を受け止められる。編集の基本の「き」をあらためて伝えられたようで、己の不出来を恥ずかしくも思うが、とことん「3の立体感覚」を志向する編集を続けねばならないのだと、一生の宿題を得た嬉しさのほうが勝った。校長と向き合って言葉を交わしたのは、このときが最後となった。
ああ、そうであった。編み込んだ3本以上のロープによって、植木鉢もコップも情報も受け止める「マクラメ・ハンギング・モデル」を、かつての私は校長と一緒に作り上げたはずだったのだ。その人の持つヘンテコな世界モデルを許すのが、松岡校長の作ったイシス編集学校だ。これからも、残された者たちや未来の学衆たちによって、様々な世界モデルが持ち込まれ、発明され、相互に交わり、未詳のマクラメ模様がつくられていく。
松岡校長(筆者撮影)
その人ごとの世界モデルに関心を寄せてくれた
もう一度、松岡校長が私にマクラメのことを聞いてくれたなら。
①数十メートルの紐を手繰るマクラメの「身体性」について
②どんな情報も包み込み宙吊りにするマクラメという「メタファー」について
③駱駝に荷物を括った起源から日本の組紐にも通じるマクラメの「懐かしさ」について
今なら、話せるように思う。
黒色のマクラメ編みのカメラストラップ
幾度か松岡校長を撮影したカメラに結んだ
イシス編集学校 師範 阿久津健
(アイキャッチ写真 後藤由加里)
阿久津健
編集的先達:島田雅彦。
マクラメ編み、ペンタブレット、カメラ、麻雀、沖縄料理など、多趣味かつ独自の美意識をもつデザイナー師範。ZOOMでの自らの映り具合と演出も図抜けて美しい。大学時代に制作した8ミリ自主映画のタイトルは『本をプレゼントする』。
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