消える私・現れる像 51[守]学衆×師範×数奇対談

2023/10/19(木)17:03
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51[守]を卒門した学衆と、師範との対談シリーズ。学匠ただいま!教室(奥村泰生師範代)の学衆川元梨奈さんは、東京・美學校の公認校として岡山ペパーランドで開講されている「美學校・岡山校」銀塩写真講座で、能勢伊勢雄氏に師事してきた(能勢氏は、イシス編集学校師範であり、オブジェマガジン『遊』にも携わった松岡正剛校長の友人でもある)。また、今期の編集学校でも、自らを対象に預けるような観察眼と、すべて楽しみ尽くしたい「もったいない精神」で躍動した。編集学校の「倶楽部撮家」「黒膜衆」に所属し、2000年前後の学生映画界隈の体験も重なる師範阿久津健が相手を務め、写真のことや編集稽古のことを存分に語ってもらった。


 

 

1 フィルムの記憶

 

阿久津:編集学校では、ここへ来てヴィジュアル表現が盛り上がっています。「倶楽部撮家」という写真部、「黒膜衆」という映像チームも活動しています。

 

梨奈:「倶楽部撮家」は、エディストで本の撮影をされていましたね。「黒膜衆」は、本楼のイベント撮影をされている方たちですね。私も大学時代に映像をやってたので、そうした活動も気になっていました。

私自身はアナログで、今もフィルムカメラで撮っています。デジカメは仕事で使うことはありますが、どこか苦手意識があります。

 

阿久津:では、学生時代のことから伺いたいです。

 

梨奈:多摩美の映像科でしたが、実験的な映像に溢れていました。イメージフォーラムとの繋がりもあり、ごりごりの実験映画という感じ。1996年か97年あたりです。

 

阿久津:私は1999年からの数年間、学生映画の世界にいたので、思い出話ができそうです。富士フイルムのシングル8で撮影をしていました。

 

▲1999年に撮影した8ミリフィルムの断片。切り離し、貼って繋いで「編集」をする。

 

梨奈:大学では、16ミリが主体でボレックスやアリフレックスをよく使いました。お金がかかるんですよ。

 

阿久津:フィルム1本で3分ほど。フィルム代と現像代もかかりました。8ミリでも数千円、16ミリだと数万円の世界ですよね。10分の小作品を作るのに何倍ものフィルムを回すので、フィルム1コマも大切でした。今スマホで動画を撮るのとは違います。
梨奈さんは、今もフィルムの銀塩写真を中心に活動されていますね。デジタルと比べ、1回のシャッターへの意識も違うでしょう。

 

梨奈:はい。フィルムはどんどん値段が上がっています。戦争も関係があり、ロシアのウクライナ侵攻後さらに高騰しています。制作するにも、お金を貯めてからなので、気軽にフィルムが使えない。それでも撮りたいものがあるので、じりじりと貯めます。お金の話ばっかり(笑)。

 

阿久津:共感できる悩みで面白いです。限られたものを使う意識は、きっと編集を起動させます。編集学校に引きつけると、[守]講座も一番一番、お題は38番しかないぞ、という感じでしょうか。梨奈さんは教室での発言数も多く、活発な稽古ぶりでした。

 

梨奈:編集稽古も「もったいない精神」で回答しました。せっかく師範代がこんなに丁寧に言葉を返してくれるので、こちらも返さないとと思いました。

 

阿久津:38番のお題も有限だし、15週間の稽古期間というのも有限ですからね。

 

梨奈:そう。これだけしかないものを最大限に有効に使おうという気持ちです。写真にも通じます。時間もそう、お金もそう。師範代の言葉に対しても、自分がどう取りに行くかが大事だと考えています。コマ数や時間あたりの受講料を払うのが社会人学習の一般的なモデルだと思いますが、編集学校は全然違いました。使い倒していいなら使い倒そうと思いました。

 

阿久津:確かに、機会やお金や時間という制約にシビアな人ほど、既存の価値と少し違うところで活動する編集学校の仕組み自体が面白くなってくるのかも。

 

 

2 シャッターは受胎

 

梨奈:写真でも編集稽古でも、考える時間は大事ですが、考えるだけだと止まってしまう。それよりは、回答にしても作品にしても出してしまうと客観的に見られるし、写真は焼いてみないと分からない。イメージの中では映っていなかったものが写っていたりするし、余計なもの結構写っています。逆にイメージの中にあったものが写っていないことも。自分の意図通り撮ろうとしても、結果そうならない。

 

阿久津:ここぞでシャッター切って、現像したときにはイメージがずれている。1人でやってるんだけど、自分がやったことに対して返ってくる感じがありますね。

 

梨奈:美學校で能勢伊勢雄さんに師事してきましたが、「意図から離れる」ということを教わりました。誰にでも自分の中の物語がありますよね。その物語を一旦離れ、そうでないもので世界を見なきゃいけないような。ゲーテの「プレグナントな点」という言葉がありますが、その「点」を意識してシャッターを押します。プレグナントとは、受胎の意味です。そのためには自分の物語とは離れながら、自分の中に受胎したイメージとファインダーの像を重ねなければならない。

 

阿久津:プレグナントというのは、被写体から閃きを受け取るような感覚でしょうか。

 

梨奈:自分がこういうものをこういう構図でこういう風に撮りたいということではなく、自分の対象から受けたイメージと直結した時に、シャッター押すんです。私も本当に何年も悩みました。

 

阿久津:受胎という感覚で言えば、編集学校で扱う「物語」というのも、自分の中にある物語で考えるというよりは、自分より遥か以前にある物語の母型へ、外の情報も預け、自分の情報も預けて、そこで動き出すような物語です。

 

梨奈:日本の物語の母型といえば角川源義が最大の研究をしていると思うのですが、私の中では能勢さんと松岡校長は、合わせ鏡の二人の師のようにみえて、根源のところで結構近いような気がしています。

 

▲能勢伊勢雄氏が設立し、1974年から続くライブハウス 岡山ペパーランド。音楽のみならず、映像や写真など様々な表現の発信地である。特に松岡正剛によって企画された「遊会」を月例で500回を超えて実施している。

 

 

3 現像する透明な私

 

梨奈:現像においては、フィルムに撮影された情報を最大限に引き出すというのが、能勢さんの教えであり、大事にしていることです。細部に目を凝らし可能な限りすべての粒子を印画紙に焼いていく工程では、写真と対話を続け、1枚の写真を完成するまでに何か月もかかることもあります。まだフィルムには情報があるはずだと、もう一度フィルムに戻り、粒子の確認をして、最大限の情報を1枚の写真に焼いていきます。そうして、受胎したイメージを印画紙の上に外在化するのが写真です。
そのプロセスでは、写真はだんだん撮影者の意図から離れていくし、自分の身体からも離れていく。写真そのもの・・・・になっていく感覚があります。そうして無名性のようなものを獲得していく感じが好きです。

 

阿久津:自分が、情報の器になっていくような感覚でしょうか。

 

梨奈:情報が語りたがっていることを引き出し、私は媒体になっていくような気持ちになります。私が大学生の頃は、個性や名前だったり、才能やセンスが重視される時代でした。そういう教育を受けてきたけど、そこから離れて自分が媒介者になれる、透明になれる、無名になれるということがしっくりくるんです。

 

▲作品タイトル「満ちる」(2017年)10枚組の写真(タイトル:パラダイス)の中の一枚。ライカ社M6で撮影。イルフォード社のモノクロフィルム、マルチグレードバライタ光沢紙使用。(撮影:川元梨奈)

 

阿久津:最初にシャッターを切る時も受胎が必要でした。そうした自分で世界と繋がったぞ、という感覚のあとで現像という産み出すプロセスがある。

 

梨奈:イシスの稽古にも、そういうところを感じます。根源的なものに帰っていく感覚があり「型」は面白いなと思います。それは写真家としての第一歩と言えます。写真術は訓練さえすれば、誰でもできると思うんですよ。それが好きで努力できるかどうかの根気の話だけ。編集術もきっと誰でもできるのだと思うのですが、そこに自分が賭けられるのかが大事なのかもしれませんね。

 

阿久津:編集学校では、エディティングセルフという言葉があります。ありのままの私の個性に向かうのではなく、「型」へ情報も自分も託していく。そうした編集の方向性や、編集の態度としての「私」です。

 

梨奈:そうしたさきに生まれる作品があって、自分を失い、名前や個性を失っても残るものがあるのだと思います。それは能勢さんに教わった、保田興重郎の世界に漸近していくことかもしれません。

 

阿久津:フィルムの情報を極限まで追うストイックさは、時間やお金や機会という制約に最大限を見出そうとする、梨奈さんのスタンスにも通じているように感じました。

 

梨奈:どこまでもどこまでも、このフィルムの情報を……と考えているかもしれません。自分にとって好ましくないものも出てくるんです。でも、写真を通じて自分の限界を超えた世界に出会えるんです。そこがまた銀塩写真の面白さです。好ましいものも好ましくないものも、両方あるという状態が好きなんです。

 

阿久津:好きを選ぶことでも自分を表現できるけど、自分を手放していくプロセスには、想定外のものが写ってしまうということが必要なのかもしれません。

 

梨奈:この見つめ続ける作業が、自分と対話することだと能勢さんに言われました。嫌なものも、いいものも見ながら、情報が語りたがっていることを引き出す。きっとイシスの稽古も、これから先にそういうことが起きていくのではないかと、楽しみにしています。

 

阿久津:その期待には[破]の稽古が、まずは応えてくれると思いますよ。

 

▲作品タイトル「パラダイス」(2017年)10枚組の写真(タイトル:パラダイス)の中の1枚。友人の詩人、藤本哲明の「ディオニソスの居場所」(2017年思潮社)の扉にも使用。(撮影:川元梨奈)

 

 


●対談を終えて

カメラという道具や、型がもたらす「制約」について、ずっと話したように思う。カメラ、フィルム、対象、現像、お金、時間、場所、師範代、仲間……そのすべてが可能性をもたらす制約だろう。梨奈さんをはじめ、51[破]へ向かう皆が、さらなる制約と出会い、小さな粒子のあつまりから豊かなイメージを見ることを願う。

 

情報に向き合い、プレグナントな点を感じ取ってシャッターを切る……そんな編集稽古の待つ52[守]も開講間近。(言葉によって「情報編集」を学ぶ。写真講座ではない、念のため)


 

(文・アイキャッチ/阿久津健)

 

 

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日程:2023年10月30日(月)~2024年2月11日(日)
詳細・申込:https://es.isis.ne.jp/course/syu

 

 

◆学衆×師範×数奇対談シリーズ◆
ボルダリング編 編集稽古の“共攀”カンケイ
サルサ編 型があるから自由に踊れる―編集はサルサだ!
カメラ編 消える私・現れる像(本記事)


  • 阿久津健

    編集的先達:島田雅彦。
    マクラメ編み、ペンタブレット、カメラ、麻雀、沖縄料理など、多趣味かつ独自の美意識をもつデザイナー師範。ZOOMでの自らの映り具合と演出も図抜けて美しい。大学時代に制作した8ミリ自主映画のタイトルは『本をプレゼントする』。