【多読ジム】神秘主義だって方法的に見れば怖くない★千夜リレー伴読★1780夜『エゾテリスム思想』

2021/08/30(月)22:01
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★科学には意味があって、占いには意味がない?

 

 1780夜『エゾテリスム思想』の冒頭の図版で、星占い界のツートップとして「石井ゆかりの星占い」「しいたけ占い」が紹介されていますね。僕はどちらも、日常的にちょこちょこ見ています。信じているかといわれるとよくわかりませんが、日々の糧にはしているのは間違いありません。どちらも基本的にあまり悪いことを書きませんし、元気をくれるような書き方をしていますから。信じているというよりも、活用している、というのが正しいような気がします。

 

 じゃあ、科学と占いと、どっちを信じますか、どちらに意味を感じますかと言われたら、やっぱり科学です。科学には意味があって、占いには意味がない、とまでは言いませんけど、まあでも、どちらかと言われたら、間違いなく科学を取ります。

 

 僕とだいたい同じだ、という方がきっと相当多いのではないでしょうか。

 


★星占いには星占いなりの意味がある

 

 僕はいま、「意味」という言葉がとても気にかかっています。1351夜『意味に餓える社会』のノルベルト・ボルツが取り上げた「意味」です。そこで意味という言葉を使ってみると、1780夜に書かれているのは、ごく簡単に言うと、星占いだけでなく、テレパシー、瞑想、こっくりさん、超常現象、ナスカの地上絵、手相、UFO、スーフィズムなどのオカルトっぽい非合理なものにも、科学などの合理的なものと同じように、それぞれの意味があるんだよ、ということだと思います。星占いには星占いなりの意味があって、それは科学などの意味とは別ものだから、比べられるものじゃない、というメッセージを感じました。

 

 

 たとえば、石井ゆかりの星占いしいたけ占いは、僕らが見る部分はとってもインスタントですけど、その裏側には、占星術や占いならではの複雑な方法があるわけです。1772夜に書かれているように、占星術にはホロスコープという独自のツールがあり、それを作ったり見たりするための厳密な方法やルール・ロール・ツールがある。それらを使って上手に「意味の編集」をして、僕らの前に提示しているからこそ、この2つの占いが人気なのだ、ということでしょう。

 


★思いきって神秘主義に編集的に踏み込もう

 

 神秘主義が世界から意味を生み出すための方法や意図やルール・ロール・ツールが、1780夜に紹介されている「エゾテリスムに共通していること」です。次の6つですね。

 

①コレスポンダンス(照応)の実感、②生きている自然との共振性、③想像力と結びつく媒体性、④忘れがたい変成体験、⑤コンコルダンス(和協)を実践すること、⑥伝授の方法があること

 

 以下、おおざっぱに見ていくと、①「コレスポンダンス(照応)の実感」とは、編集学校の言葉で言い換えれば、関係づけですね。ご存知のとおり、関係から意味が出てきます。②「生きている自然との共振性」は、自然と自分とのあいだに何かしらの関係や意味を見出したいという気持ちで、③「想像力と結びつく媒体性」は、そのために自然のなかから関係や意味を見出すためのツールです。④「忘れがたい変成体験」については、松岡校長は変成体験のトランジションのときに、情報の乗り換え編集が起こっているよ、と言っています。⑤「コンコルダンス(和協)を実践すること」は、テキストから意図や意義を見いだしていくことで、そのために暗号表・姓名判断・数秘術のような編集ツールが生まれました。⑥「伝授の方法があること」は、まさに編集学校の至るところに見られますね。

 

 

 まとめると僕は、松岡校長は1780夜を通して「神秘主義だって、こうやって方法的に見ていけば何にも怖くないんだから、入りたいのなら思いきって編集的に踏み込んでいきなさい」と、僕らの背中を押してくれているように感じました。神秘主義やオカルトが気になっている方は、1780夜を契機にぐっと踏み込んでみてはいかがでしょうか? 編集術を使いこなしていくと、神秘主義の見え方がきっと変わってくるはずです。

  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。