多読ほんほん2017 冊師◎中原洋子

2020/10/20(火)10:34
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 私が編集学校の門をくぐったのは、2015年秋でした。伝説の松丸本舗はすでになく、序もエディットツアーもありませんでした。千夜千冊や『知の編集術』は、その頃の私にはチンプンカンプンで、ただ「編集力チェックで感じた「面白い!」、これだけが道しるべだったように思います。編集学校が15周年に湧きたつ中、36守宵越セコイア教室でスクスクと育ち、そのまま36破、花伝所へとズンズン進みました。

 2017年は、私が師範代デビューした年です。校長がご病気から生還され、ホッと安堵のため息をついたのもつかの間、〔守〕の学匠であられた冨澤さんに病が見つかり、代わって鈴木康代現学匠が学匠代として立たれ、編集学校も大きな変化の波に揺れました。わずか3年前だというのに、もっと昔のように感じます。それだけ世の中の変化のスピードが速いということなのでしょう。

 アメリカではトランプ政権が不気味な音を立てて動き出しました。日本では森友・加計問題で「忖度」という言葉が世間を騒がせ、人々の不安や緊張が日増しに掻き立てられていきます。世界終末時計は2年ぶりに進んで、残り2分30秒まで迫りました。

 2017年もたくさんの書籍が発売されましたが、脚光を浴びたのは、既に発売されていた本たちでした。
 全米では、1951年に発表されたハンナ・アーレントの『全体主義の起源』がベストセラーになり、続いて『エルサレムのアイヒマン』も話題になりました。日本では新版がみすず書房から発刊されます。近未来の全体主義国家を描いたオーウェルの『1984年』(1948年)は、アメリカアマゾン売上1位を記録し、その報道を受けて、日本でも急激に売り上げを伸ばしました。

 政情不安、終わりの見えない紛争、難民問題、世界はどこに向かおうとしているのか、時間を超えて過去と繋がることで道しるべを見いだそうとしているかのようです。

 この年の千夜千冊は、1628夜、梅棹忠夫の『行為と妄想』から始まり、1659夜、野地秩嘉の『キャンティ物語』で締めくくられました。『感染症の世界史』、『類似と相似』、『クリエイティブコーチング』なども気になりますが、2017年を語る一冊としてこちらを取りあげたいと思います。


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   『それでも、読書をやめない理由』千夜千冊1632夜
        デヴィッド・L・ユーリン
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 何かと注意が散漫になりがちなこの世界において、読書は一つの抵抗の行為である、とユーリンは語っています。


  私たちが物事に向き合わないことを
  何より望んでいるこの社会において
  読書とは没頭することなのだ。

  読書は最も深いレベルで私たちを結びつける。

  それは早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。
  それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。
  なぜなら一瞬のうちに情報が手に入るこの文化の中で、
  読書は自分のペースで進むことが求められるからだ。


 インターネットの世界が発達し、人々がそれに夢中になるにつれて注意力はどんどん散漫になり、しだいに「考える」という営みが失われつつあるように思えます。匿名可能で安易に誹謗も中傷もできる世界では、情報は気晴らしとなり、娯楽となり、エンタテイメントの一種になってしまっているかのようです。
 
 私たちが本を読むのは、話の筋の底にひそむものを見つけ出すためであり、兆発され、混乱させられるためであり、それまでの価値観を揺さぶってもらうためです。

 多読ジムで「読む」と「書く」を繰り返すことは、考えるという営みを失うまいと抵抗しつつ、現在に道しるべを立てることなのではないか、と私は考えます。

 読書は自分自身を理解するための一つの道であり、作家は自分が何を考えているのか知るために書くのです。

 過去から現在を経て未来へと、書くことは読むことであり、読むことは書くことなのですね。
 20周年おめでとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

  それでは「2018年」へ、
  宮川大輔冊師にバトンをお渡し致します。

  • 中原洋子

    編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。