校長校話「EditJapan2020」(1/5)

2020/10/25(日)18:00 img
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 今から四半世紀前、編集学校が生まれる5年前。
 1995年に出版された『インターネット ストラテジー』(ダイヤモンド社)には、松岡校長のこんな台詞がある。

 —— 転機はいつも行動を伴っている。そこにはまた、動機の拡張がある。


 

 9月20・21日と、2日間にわたって開催されたイシス編集学校20周年の大感門は、校長校話「EDIT JAPAN 2020」で幕を閉じた。

 松岡校長が自身の編集人生を振り返りながら、イシス編集学校を世に送り出した経緯を語り、当初の企図を超えて育った現在を言祝ぎ、この先のわれわれに託したい未来について、大きなお題を投げかける。それは、新たなイメージの実現へ、リプリゼンテーションへ向かえということだった。本日より5日間にわたり、校話の全貌をほぼノーカットでお届けする。

相互記譜の生態系

 2日間の感門之盟も、ついにエンディングが近づいてきました。面白かった?

 多士済々で、ジャパネットたかた*までいたとは思いませんでしたが、漫画家**もいれば、川野貴志くんの見事なナビゲーションもありました。近大の図書館をあれだけ上手にナビしてくれた人は初めてでしたね。今朝は子どもたちが登場してくれたり、列島横断では九天玄氣組の中野由紀昌さんたち、未知奥連からは森由佳さん、それから曼名伽組の小島伸吾くんが昨日は近大・今日はヴァンキコーヒーというふうに飛んでくれたりして、校長としては大変満足しています。

 編集学校がここまでできてきた…と、そういう言い方は口幅ったいけれども、ここまで育まれ、ある生態系が生き生きと生まれつつあるということは、本当に、つくった者の冥利に尽きます。正直、はじめからこういう風になると思っていたわけではないです。[守]の38番のお題を用意したり、「問感応答返」というコミュニケーションのサイクルをつくったり、[守]に対して[破]、さらに[守・破]に対して[離]、[物語]や[風韻]と講座を充実させてきましたけれども、この2日間に結集したような、エコロジカルで生き生きした、コンヴィヴィアルな姿を、開校当初から想定していたわけではありませんでした。

 今日も教室名の発表がありましたね。僕は昔から、一人一人がもっている潜在的なキャラクターを生かしたいと、ずっと思ってきました。キャラクターには、溢れ出るもの、隠し持っているもの、恥ずかしく持っているもの、とんがって出てくるもの、いろいろあります。それらの多くは、交わった場の力によって初めて引き出されてくる。初期の13〜4期くらいまで、僕がほとんどの回答に目を通して「校長室方庵」というラウンジから直接みんなに呼びかけていたことを知っている人も多いでしょう。[守]のアワード「番選ボードレール」、[破]のアワード「アリスとテレス賞」、すべてつき合ってコメントを書きました。しかしそのうちに、ああ、この人たちは、僕がなにかを直接指導したりリードしたりしなくても、さまざまなものを相互に生み出せるんだなということに気づきました。

 この相互性、インタラクティビティというのは、意図してつくれるものじゃないんですね。たとえば、今日の近大での組み合わせ。漫画家の田中圭一さん、それに山田細香さんもよかったねえ。最初は何か、長崎の平和祈念像のようにL字型で登場していましたけれども(笑)。細香さんと、さらに堀江純一くん。それを上手に川野くんがリードしてくれました。あの4人の場というのは、ひとり欠けてもダメなんですね。編集学校では、その相互性…ミューチャル・エディティングとか相互編集性とかリバースディティングとも言い換えられるその相互編集性が、さまざまなものを生み、ついに昨日今日に至ったなあというふうに感じます。

あやうい日本・わずかな苗代

 僕が編集学校をつくった動機のひとつは、1990年代の日本、後に「失われた10年」と呼ばれた時代が、あまりにも痛かったということです。

 その前段にまず、情報社会と僕をつなげるきっかけがありました。雑誌「遊」を1982年に休刊し、松岡正剛事務所を設立した頃、北里大学の6年生だった澁谷恭子さんが車で乗りつけて「世界に必要なのはデビッド・ボウイと松岡正剛だけだ」「私がそばで仕事します」ということを言ってきた。IQがとっても高い子でした。それまでの僕は、生命の情報とか文芸的な情報への関心はあれども、僕自身が社会の情報と交叉するという気はまったくありませんでした。誰かをコンサルティングする気もなかったんだけれども、その澁谷恭子が電電(日本電信電話公社)の仕事を取ってきた。取ってきたというか、口説いたんだろうと思います。

1984(昭和59)年 40歳
澁谷恭子とともに日本電信電話公社民営化の仕事に携わり、NTT情報文化研究フォーラムを立ち上げる。

 電電が民営化してNTTになるタイミングでした。「《情報》という言葉を広げられるのは松岡正剛しかいない」と言われて、60人くらいの知識人、研究者やアーティストやクリエイターを集め、フォーラムを立ち上げました。TRONをちょうど開発しつつあった坂村健さんや、IIJの吉村伸さん、それから中沢新一さんなどがいました。その中で、これからの時代は《情報》が何ごとかになるという手ごたえは感じたものの、世間はやがて変な方向に浮かれ始めて、バブル化していった。いわゆるITバブルというものです。

 しかし、わずかに僕は、そのITバブルの中でも「こいつすごいんじゃないか」というキャラクターを探していました。今は町田康と呼ばれるようになった町田町蔵のパンクな音は良いなとか、クラブのピテカントロプスで出会ったイギー・ポップはいいじゃないかとか、山本耀司がやっていることは、これはやっぱりちょっと坂口安吾だなとか。戸川純がすばらしい歌を歌い始め、京都では樂吉左衛門が新しい樂茶碗を焼き始めていた。これとコム・デ・ギャルソンが一緒になればいいんではないかと思った。非常にマイナーな…といってはマズいかな、彼らは今やメジャーではあるんだけれども、当時のITバブルで浮かれてジュリ扇をバタバタやるような文化や社会ではない何かを見ようとしていたんですね。ただ、この時点ではまだ、それらについて僕自身が発信したいとは思いませんでした。

 変化は、1990年代に始まった湾岸戦争の頃です。湾岸戦争は、のちにアラブの歴史家マフディ・エルマンジュラによって「第一次文明戦争世界」名づけられました。世界と日本がますますヤバくなっていく中で、これはもうプライベート・メディア、あるいはプライベート・コミュニティが必要だと。小さな、わずかな集団をつくって、そこに僕が一番言いたいことを語っていこうと考えました。


 

校長校話「EditJapan2020」

 

  • 加藤めぐみ

    編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。

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