【Playlist】ダーク・オブ・ザ・ムーン5選 丸洋子
1.【AIDA】KW File.06「半信半疑」 加藤めぐみ
2.「わたしの歴史」に事件が起きる⁈ クロニクル編集術の意外な効用とは【47[破】クロニクル】 梅澤奈央
3.真っ白な社会と赤いヤバいヤツ[芝居と読書と千の夜:23] 米川青馬
4.【多読SP】冊匠賞受賞作全文掲載 林愛
5.【三冊筋プレス】プルーストを読み通す方法 松井路代
影あり。仰げば月あり。その仰いだ月の、決して見ることが叶わない裏側をいつも感じていることの大切さを巡って、5つの記事を選びました。
1.半信半疑と読書と月の半分
【AIDA】KW File.06「半信半疑」(加藤めぐみさん)
Hyper-Editing Platform[AIDA]の講義で登場したキーワードを、千夜千冊や編集学校の動向と関係線を結びながら紹介するシリーズ。
角川武蔵野ミュージアムが会場となったAIDAの第3講の記事は、荒俣宏氏の次の言葉から始まっています。
”あのお方”とは何か。それが分かればいい。
加藤さんは、このように解説します。
――かつての日本には「何となく偉くて怖そうなもの」をただ一言、”あのお方” で済ませていた時代があるという。異様な力を外から与えてくれるもの。ワケの分からないもの。
続いて記事は、松岡校長の言葉に注目します。
――今の社会に一番欠けているのが「半信半疑」なんです。
そしてこの半信半疑というキーワードを、読書の方法とインタースコアしています。
――半信半疑とは、本の読み方にも似ている。本の情報を丸呑み(信)するのは味気ないし、断乎として感化を拒む姿勢(疑)では本は読めない。読んでいるときに「わたし」に何が起こっているのかを慎重に探りながら、内側と外側を少しずつあいまいに交換してゆく、さしかかって分かって変わる、それが半信半疑の生き生きとした読書であろうと思う。
このあと、松岡座長と荒俣氏の共著『月と幻想科学』の、半分だけの表情を見せる月の表紙を紹介し、半信半疑と月のイメージをヴィジュアル・アナロジーでアルス・コンビナトリアしています。半信半疑とは、宇宙の摂理でもあったことにハッとする瞬間です。
宇宙から目を転じ、半信半疑という曖昧な宙吊り状態を「わたしのヒビ割れ」と見立て、ミクロ的視点で自分ごとにしたのが、次の記事です。
2.ジジェクの『事件!』とクロニクル編集術と、わたしのヒビ割れ
「わたしの歴史」に事件が起きる?! クロニクル編集術の意外な効用とは【47[破]クロニクル】(梅澤奈央さん)
この記事は、47[破]伝習座での北原ひでお師範の名レクチャーを、梅澤さんがまとめ、編集したもの。「クロニクル編集術とは『わたしの歴史に対して、事件を起こす方法』である」という北原師範の言葉を受けて、校長が話題にしてきた『事件!――哲学とはなにか』(スラヴォイ・ジジェク、河出書房新社、2015年)を引用しています。
――ジジェクによれば「事件とは[…]、われわれが世界を知覚し、世界に関わるときの枠組みそのものが変わること」だという。
梅澤さんは、「わたしに対する意味づけもみるみる変わる」のがクロニクル編集術だと説き、これがジジェクの「事件」が起きた状態だと、改めてこの二つを結びつけています。
そして校長の次の言葉へ繋げます。
――「不安は解消するべきものではない。不安のなかにこそシステムや思想がある」
記事は、鮮やかな生命のメタファーで締めくくられています。
――いつものわたしのヒビ割れに、あおあおとした編集が芽吹く。
「あおあおとした編集の芽吹き」を阻む白い社会に警鐘を鳴らすのが、次の記事です。
3.清潔な社会と個人の不安と森田療法
真っ白な社会と赤いヤバいヤツ[芝居と読書と千の夜:23](米川青馬さん)
芝居通の米川さんが、選りすぐりの演劇を編集工学と結びつけて読み解くシリーズ。
「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会=真っ白な社会」が、むしろ人々の不安を増強していると感じている米川さんは、不安の意味を大きく読み替えていきます。
――よく考えれば、不安が消えないのは当たり前のことです。これから自分がどうなるか。どの選択肢を選べばよいのか。どこへ向かえばよいのか。あの人と付き合ってよいのか。どうしたら幸せになれるのか。僕らはそういった不安をたえず抱えながら生きるほかにありません。積極的に評価すれば、不安は生きるために欠かせないものです。
ここから、森田療法を紹介する岩井寛さんの本の一節へと繋がっていきます。
「人間の生の欲望は必ずしも真なるもの、善なるもの、美なるものに満たされているわけではない。その逆に、偽りなるもの、悪なるもの、醜なるものも包含されている。[…]森田は、この真実を率直に認め、相反する欲望が、人間には同時に存在していることを受け入れているのである」
この著書を取り上げた千夜千冊では、校長と岩井さんとの並々ならぬ関係が明かされています。その一夜に書かれている岩井さんの次の言葉を引用し、米川さんは祈りを込めるようにこの記事を結んでいます。
「やっぱり自分自身の弱さと同時に、他者の弱さも認める、受け入れる必要があります。やっぱり他者を受け入れたい。その人たちだってみんな弱くて傷ついて悲しいんです。だとすれば、そこへまず手をさしのべるという形になるでしょう。これは『弱さの論理』ですよ。人間というのは、本当に『弱さの論理』というものが必要だと思いますね」
フラジリティが編みだしたこのアルス・コンビナトリアを、人が人を愛し、共に在ることの不可能性という切り口から出発して遥かなるBPTの旅に描いてみせたのが、次の記事です。
4.求心化と遠心化と母性
【多読SP】冊匠賞受賞作全文掲載(林愛さん)
多読ジムSPコース「大澤真幸を読む」の読了式で【冊匠賞】を受賞した林さんの受賞作品は、このようなアブダクションから始まっています。
――求心化と遠心化の狭間に目を凝らして概念を生み出したように、誰かと本当には一緒にいられないということの淵から、この人の思考が絶えず湧き出してくるようだ。人を好きになることと、その淵は、まっすぐにつながっているのだろう。
ここに、自身との切実な対角線を見出した次の一節が続きます。
――人が誰かを必要とするしくみと表裏一体に、底の見えない淵がある。父と母の子として、人を好きになった女として、子を生んだ母として、父と母という言葉の対に引かれた。
大澤真幸氏の次の言葉が、「求心化と遠心化」というキーワードを読み解くために引用されています。
「〈私〉に立ち現れているこの世界は、なおすべてではない、という否定性こそが、他者の顔や、他なる自己意識の顕現の仕方である。これが、〈遠心化(遠隔化)〉という概念の趣旨である。(P153)」
決して見えることのない月の裏側へと誘われた林さんは、独自の思索を深めていきます。
――他者と一緒にいることの不可能性を思い、考えを起こしてきた。けれど、他者の不在を感じる「今ここ」に、未来の他者が胚胎していることがあったのだ。時間という概念の父殺しをし、過去も未来も可能性と化したら。ただお互いの世界の中で、お互いを含みあっているのかもしれない。「〈私〉であることにおいて、すでに、〈他者〉が入るべき場所は用意されている」(『近代篇2』P110)のだから。
インドラの網のような母性の別様の可能性で結んだ文章は、大地を温め、あおあおとした芽吹きを育んでいく日の光となり、受容の力を漲らせています。
そして、母なる再生の女神イシスは、ここにもいました。
5.編集かあさんとプルーストと日常
【三冊筋プレス】プルーストを読み通す方法(松井路代さん)
エディストでは「編集かあさん」でお馴染みの松井さんが、多読ジムの冊師を務める傍ら、読衆として仕上げた知文です。Playlistの作成で真っ先に頭に浮かんだのが、掲載時以来、私の中に棲み続け、光を放ち続けているこの記事でした。古都の自然を背景に描かれる瑞々しいシーンは、松井さんの初恋、結婚、出産という大きな節目を包み流れる川となり、月の面影を宿しながら、切り詰めた言葉とともに読者の心の襞へとひたひたと注がれていきます。「編集かあさん」の、半信半疑でヒューリスティックで触知的な日々は、きっとプルーストのマドレーヌのように少年と少女の心を充たし、センス・オブ・ワンダーを香らせ続けてゆくのでしょう。
丸洋子
編集的先達:ゲオルク・ジンメル。鳥たちの水浴びの音で目覚める。午後にはお庭で英国紅茶と手焼きのクッキー。その品の良さから、誰もが丸さんの子どもになりたいという憧れの存在。主婦のかたわら、翻訳も手がける。
公園の池に浮かぶ蓮の蕾の先端が薄紅色に染まり、ふっくらと丸みを帯びている。その姿は咲く日へ向けて、何かを一心に祈っているようにも見える。 先日、大和や河内や近江から集めた蓮の糸で編まれたという曼陀羅を「法然と極楽浄土展」 […]
千夜千冊『グノーシス 異端と近代』(1846夜)には「欠けた世界を、別様に仕立てる方法の謎」という心惹かれる帯がついている。中を開くと、グノーシスを簡潔に言い表す次の一文が現われる。 グノーシスとは「原理的 […]
木漏れ日の揺らめく中を静かに踊る人影がある。虚空へと手を伸ばすその人は、目に見えない何かに促されているようにも見える。踊り終わると、公園のベンチに座る一人の男とふと目が合い、かすかに頷きあう。踊っていた人の姿は、その男に […]
デーモンとゴーストの長年にわたる秘密の対話が、ずっしりと持ち重りのする新書となって、名残の月の美しい季節に書店へと舞い降りた。数理科学者の津田一郎氏と編集工学研究所の松岡正剛が、それぞれの専門性の際をインタースコアした対 […]
名月や池をめぐりて夜もすがら 『月の裏側』という美しい本がある。著者のクロード・レヴィ=ストロースは幼い頃、父親にもらった歌川広重の版画にすっかり心を奪われ、遠い東の国に恋をしたという。何度めかの日本訪問の […]