2022年の短すぎる梅雨の終わり、6月26日に「【輪読座】湯川秀樹を読む 第3輪」は開催された。図象解説パートでは「江戸科学の系譜」に迫り、湯川秀樹さんの著書を輪読するパートでは日本での江戸科学から近代科学の流れを深めた。輪読したテキスト『日本の科学の百年』『江戸時代の科学者』から日本科学の流れを抜粋して紹介したい。
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◆江戸科学へつながる中国文化
日本はほぼ二千年前から中国文化の影響を受け続けてきた。初めのころは朝鮮を通じてもたらされたが、七世紀初頭以来、たびたび中国(隋)に使節団を送り、日本文化活動を促進する。804年に中国に向けて出帆したのが最澄と空海の二人の僧侶である。空海は二年間の中国滞在中に密教の研鑽修行に加えて、中国語、サンスクリット語、文学、詩歌、書道、医術、工芸を含めたほとんどすべての部類の事柄を習得した。当時における中国文明と日本文明とのあいだの大きなギャップを埋める以上の多大な貢献をなしたのだ。思想の核心は宇宙と人間との一体化であった。宇宙の生命力と精神の自己表現であった。空海は日本における最初の、庶民の私立学校を設立する。
九世紀は中国の散文・詩歌を使いこなせることが京都の貴族社会において非常に尊重された時代だ。ところが、中国への政府使節の派遣が中止された九世紀の終わりから事態は変わり始める。重要な出来事のひとつは仮名文字の発明である。仮名文字は説話、小説、日記を含む独特の日本文学の創造に決定的な役割を果たした。文学作品の多くは貴族階級の女性たちによって書かれた一方、仮名の発明が科学や技術の発展に及ぼした効果には目立ったものがない。暦法、算法、医術、薬種に関する書物は引き続き仮名を使わずに書かれたからだ。仮名が科学技術の知識の普及に使われるまでには、長い時日を要したのである。
江戸時代になると徳川幕府は一部の国との交易を除いて諸外国から孤立する政策を採った。日本の知識人たちが西洋の科学技術の卓越を知り始めるのは十八世紀後半となるのである。1774年オランダ語の解剖学書を邦訳した医師たちは、旧来の中国や日本の解剖の説明と比べた時のその精確さに驚嘆する。これが西洋科学技術への傾倒の始まりなのである。
明治維新後樹立された新政府は、科学技術に関連するあらゆる部類の物件の移植に熱心だった。著しい数の科学者や技術者が海外から招聘され、欧米の諸大学には留学生を送る。最初の国立大学として東京大学が1877年に設立され、さまざまな学会が立ち上がっていく。急速な変化は、徳川時代に開花していた科学分野の衰退という代償を伴った。そのひとつが「和算」である。和算とは中国数学の伝統を受け継ぐ日本流の数学だ。和算を大きく発展させた関孝和(1640~1708)の時代は日本は鎖国状態にあり依然西洋数学の影響は及んでこなかった。関は中国や日本の数学者たちが考察したことのなかった連立代数方程式を解くなどして、中国の流れを引く和算は一七世紀に大きく発達する。しかし1872年、明治政府が一般教育課程から和算を除くことを決定し、わずかな間に和算は消滅してしまったのである。急速な衰微の理由のひとつが、和算家たちによって書かれた書物は漢文によるものばかりで理解されにくかったということであった。
江戸中期に三浦梅園が出現する。天体現象に関心を持ち、自分で天球儀をつくったりもする。梅園は天上、地上の諸現象のすべてを貫く条理なるものがあると考え、条理を明らかにしようと努力した。関孝和と違い西洋の科学の影響が全くなかったわけではないが、思索の原点は中国流の陰陽二元論である。陰陽二元論を独自の見方で展開したとはいえ、完全に離脱することはできなかった。梅園より半世紀、同じ大分県に生まれたのが帆足万里。梅園は万里に大きな影響を与えている。万里は科学に関する多くのオランダ語の書物を手に入れ、またそれを読解できるようになっていた。万里はそれらを参考にして『窮理道』をつくる。『窮理道』には独自の研究成果が含まれていたわけではないが、当時としては十分新味のある科学概論となっていた。
帆足万里は文化7年(1810)に『窮理通』によって、日本に初めて本格的な天文・暦学・光学・分子学をもたらした。万里の直前に、前野良沢、三浦梅園、脇蘭室がいた。
―千夜千冊1211夜『日本の思想文化』三枝博音
◆西洋科学に順応し、先導する近代へ
江戸後期に入ると西洋の科学を紹介するための活動は急速に盛んになる。明治初期には西洋の諸科学の全面的な移植が行われるようになるが、日本から近代科学に関する独創的な研究が生まれるまでには相当の年月が必要であった。日本において科学者が出現し始めたのは明治20年代だ。長岡半太郎(1865~1950)は明治20年に東京帝国大学に入学する。一年目を終えた時、科学の何かの分野でひとかどのことを成し遂げる科学者になる決心をしようとした。同時に日本人や東洋人が科学者として独創的な研究を成就できる素質を持っているかどうかについて疑いを抱く。長岡は一年間休学して中国古典を調べ、古代中国人によって書かれた書物の幾冊かに、いくつかの場合では西洋に先んじている科学的な発見と観測を見出したのである。いくつも科学的発見が記載されているのを確かめ、安心して物理学の道に入っていった。湯川さんがそういう疑いを持たずにすんだのは、一つには長岡博士その他多くのすぐれた物理学者がすでに日本から出ていたからであると語る。
1890年あたりから独創的な仕事が科学のさまざまな分野で現れ始める。化学では鈴木梅太郎。1910年にビタミンB1の合成に成功し、ビタミン類を最初に発見する。医学では山極勝三郎。実験動物のガンの人工発生が1915年に世界で初めて行われる。物理では、長岡半太郎。磁気歪の研究から出発した長岡は1893年から3年にわたるドイツ留学中も研究を続け、1900年パリで開かれた第一回万国物理学会に招待されると磁気歪についての講演を行った。第二波のうねりが日本におしよせたのは1932年、欧米において原子核物理学と宇宙線の分野で次々と偉大な発明発見が現れた時である。日本の物理学会は準備ができていた。1930年代後半には米国を除けば西洋諸国のどの国よりもすぐれた核物理学の実験装置を備えていたのである。
原子爆弾で終わった第二次世界大戦の影響は重大かつ広範だった。日本の科学と科学者においても戦後さまざまな新しい傾向が認められる。ひとつは日本の物理学者たちの多くが、とりわけ原子核物理学者が社会的責任の問題と真剣に取り組み始め、世界平和に関する運動を起こしたり参加したりし始めたことだ。他方では科学界の民主化がある。1949年に日本学術会議が設立される。1940年代には多くの予期しなかった新しい種類の粒子が宇宙線宙に発見されたり、加速器で創り出されたりした。なぜかくも多種多様な粒子が自然界には存在するのか?この質問に納得のゆく答えを与えることが物理学者はまだだれもいない。湯川さんは、二十年来自分が西洋とは多少ちがった思考の仕方の伝統を受け継いでいる強みをうまく使うことができるかもしれないと考えるようになる。
近年、われわれ自身の地球が有限であることに、ますますきびしく拘束されるようになってきております。このような状況に見舞われた主因が、まさに科学技術の発展であったことはパラドキシカルであります。この点で日本は、空間と自然資源の制約が自然環境の破壊と同様にもっとも著しい国のひとつであります。私は、日本の科学者や技術者たちが、私ども自身のために、また人類全体のために、環境問題の解決に貢献することを、期待しているのであります。
湯川さんはそう結んだ。
―『日本の科学の百年』『江戸時代の科学者』より
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『日本の科学の百年』は1974年8月の第14回国際科学史会議での講演内容であり、『江戸時代の科学者』は1975年に書かれている。半世紀前の湯川さんの問題意識は未だ解消はできていないことも多い。21世紀を生きる私たちは湯川さんの期待に応じられるのか。見えぬ将来に問題を先延ばすのではなく、個の力は小さくともひとつひとつの事柄を向き合っていくことが求められている。何ができるかまわりを見回してみる事を、楽しみながら始めてみるのもいいのではないだろうか。
輪読座「湯川秀樹を読む」、9月末には最終輪となる第6輪が催される。過去の輪読座はアーカイブ映像で確認できるため、いつからでも参加可能だ。
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宮原由紀
編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。
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