「ルートヴィヒに恋して」なる映画が、西日本で局地的に公開され、感動を呼んでいるらしい。「ルートヴィヒ」はほかならぬ「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」のこと、数カ月にもわたる猛特訓を経て第九の演奏会に臨む市民合唱団の悲喜こもごもを追ったドキュメンタリーなのだそうだ。ソウル出身の金素栄さんという監督が、日本の年末に数多くの第九演奏会が開催されるだけではなく、各地で市民参加型の一大イベントになっていることの“不思議”を問いながら、まるで恋に落ちたかのように第九合唱に燃える老若男女の姿を、共感をもって描いている作品だという。なんだかとてもそそられる。でも残念ながら東京や関東での上映予定はまだないようだ。
「もし無人島に一冊だけ持っていくなら何の本?」と聞かれたら、迷うことなく「第九の総譜」と答えたいと思っているほどに、私もまたルートヴィヒと第九に対して暑苦しい恋心を抱いている。もちろん、年末になると恒例行事のように大ホールに出かけて「第九」を聞きもする。昔の私はこんなではなかった。秋にはボジョレーヌーボーにうつつを抜かし、年末には「第九」にいそいそ出掛けるようなスノッブな日本人になんかなるまいと頑なに思っていた。それが、ピアノにのめりこみベートーヴェンのピアノソナタに夢中になるうちに、ベートーヴェンの交響曲への興味もむくむくと芽生えてきてしまい、ついに「第九」に魅入られてしまったのだ(ボジョレーヌーボーはいまも飲まない)。
もっとも最初のうちはいろんな意味で特殊で大仰すぎる「第九」ではなく、「第六」「第七」「第八」あたりを聞いてみたいと狙っていたのだが、なかなかその機会に恵まれない。これにくらべて「第九」だけは年末になれば都内の大ホールがこぞって開催するし、思いのほかチケットが取りやすいうえに、仕事納めのあとなら誰に迷惑をかける心配もなく行ける。そういうかれこれの事情で、半ば妥協して初めて「ナマ第九」を体験してみたのだが(白髪の美しい秋山和慶さんの指揮、東京交響楽団の演奏だった)、すっかりその複雑で構築的なおもしろさに目覚め、総譜を買って眺めるほどはまってしまった。
それからは、ベートーヴェンの評伝やヨーロッパ音楽史を読み繋いで、「第九」がどのように成立しどのように普及していったのかについての知識もずいぶん仕入れた。この曲がつくられた当時、あまりにも前衛すぎたため誰も理解できなかったこと、のみならず合唱を含むすべてのパート、すべての楽器にとって演奏至難であり、指揮法が確立していない時代にあってはほとんど演奏不可能であったこと、この曲に心酔したワーグナーの熱意と努力によってようやく真価が認められたこと、ナチスをはじめとする国家主義・権威主義に利用されてきた黒歴史もあること、その一方で民族を超えて「自由」や「開放」や「連帯」や「平和」を象徴する音楽とされてきたこと、などなどを興味深く思った。
また1989年の年末にはベルリンの壁崩壊を祝って、我がバーンスタインが東西ドイツと旧連合国の音楽家たちを集めて渾身の第九演奏会を行ったこと、3・11直後の東京で多くのコンサートが中止や自粛に追い込まれるなか、ズービン・メータが鎮魂のための第九演奏を断乎として決行したことなどを改めて知って、胸を熱くした。日本での「第九」についても、ドイツ兵捕虜たちによる塀の中での演奏にはじまり、国産オーケストラの誕生や発展を促しながら、市井の人びとの無謀な夢をも巻き込んで、今日のようなスター指揮者+国産オケ+外国人ソロ+アマチュア合唱団という組み合わせの、世界にもまれなるコンサートを成立させてきたことなどを知った。
かくしてすっかり第九オタクもどきになってしまった私は、二〇一九年末も当然のように演奏会に足を運んだ。場所はサントリーホール、指揮はイギリスの俊英ジョナサン・ノット、演奏は東京交響楽団、ソリストは外国人、合唱は東響コーラス(歴史あるアマチュア合唱団である)。自在に緩急を揺らすノットのアクロバティックな指揮に、オケも合唱も必死についていこうとするようすが素人目にもわかるスリリングな演奏会だった。そのせいなのか、いよいよの第四楽章の「歓喜の歌」のまっただなかで、ついつい感極まってしまった。これまで“世界読書”を重ねてきた世界と日本の第九の演奏史が騒然と脳裏に蘇ってきて、あの「この口づけを世界に!」の絶唱とともに、ルートヴィヒに恋し第九という難曲に挑んできたすべての音楽家とアマチュアたちの熱情が押し寄せてきたような感慨に襲われてしまったのだ。
今年は、ベートーヴェン生誕250周年の年。もちろん、ルートヴィヒに恋したものたちの極東の末席に加えてもらうべく、私もさらに暑苦しい恋心を燃やして、ベートーヴェンの楽曲に取り組むつもりだ。
おまけ:「ルートヴィヒに恋して」を見る機会が当面ないようなので、公式HPを通してパンフレットだけでも取り寄せてみた。ついでに東京や関東での上映の可能性についてたずねてみたところ、いま画策中なのだそうだ。ぜひ見たい。なんとしても見たい。
公式HP https://eiga-daiku.jimdofree.com/
おまけ:図版はウィーンの分離派会館に常設展示されているクリムト「ベートーヴェン・フリーズ」より「歓喜の歌」。2019年、東京都美術館の「クリムト展」で複製によって全作品の展示が再現され、話題になった。
太田香保
編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。
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