■思いの速度・言葉の濃度
__[離]を退院した後の入伝生の多くは、「個」で掘り下げる方向へは抜群の力を発揮するのですが、その反面、今一つ「場」の編集へ向かえない傾向も感じます。蓄積されたコンパイル情報を場へ展開していく局面で、何か難しさがあるのかも知れません。
田中晶子 ISIS花伝所所長(以下、田中):
思いは伝わってくるんですよね。[離]で受けてきたものを編集学校のなかで活かすべきであって、だからこそ花伝所へ入って師範代をやりたい、という。
でも、[離]で得た世界観や受けた衝撃が強すぎると、どうしてもその世界観やインパクトを伝えたくなるのでしょうね。それも素晴らしいことですし、基本に戻って式目演習をやりながら新たに気づいていく人もいます。
教室や道場でやり取りしていてスレ違いが起きたり、エディティング・モデルが交換されないようなことがあったりしても、それは[離]を受講したせいではなくて、対話の「地」にあるカマエが編集されていないのかなぁと思います。だから、その転換を指導する必要はあるでしょうけれど、それほど大きな問題ではないだろうと考えています。
__自分の中に濃密なものを持っている方が抱えている難しさの一方で、回答や振り返りの言葉が薄い方も少なくないように見えます。
田中:
ただ「面白い」と言うだけでは指南の言葉としては薄いかも知れませんが、まずは好奇心をもって3Aを回していくことが楽しいと思えるかどうか。たとえ言葉がフラットでも、意外な見方をされれば相手は驚くわけですから、編集稽古はそういう面でも構造的に担保されている。というか、編集はそんな面白さを含んでいると思います。
言葉の質については、M5の錬成演習まではさほど変わらないように見ています。それまでの道場演習(M1~M4)では、回答やフィードバックの頻度を重視していて、先ずは演習のサイクルを回すことが出来てさえいれば言葉に変更をかけていくチャンスがあります。演習ぶりが活発なら指導を受けるたびにエディティング・セルフを更新していける。
そこで「どうしたら演習のなかで気づきや発見を得られるか」という指導がとても大切で、指導が入っていかなければ、師範代になったときに学衆の回答に対して発見的な目で向かうことは出来ないでしょう。ですから花伝所の指導陣には、そうした相互記譜をガンガン彫刻していくような指導が求められているんです。リスク回避的ではなく。
その後は、錬成演習やキャンプで徹底的に自分自身で推敲して行かなきゃならなくなるので、言葉の質はそこから変わっていくでしょうね。
__言葉やカマエの過剰さや希薄さについては、更新が掛かるとすれば錬成演習以降?
田中:
錬成以降で効くように、それぞれの道場で創発が起こるように師範が工夫する必要があるということです。
花伝所は「M1:型」「M2:様」「M3:程」という具合にステップを分けていますよね。それがそもそも「型」を学ぶための仕組みなんです。「型」と言っても、いっぺん師範代をやってみれば「何だそういうことか」と思うようなシンプルなものなのですが、初めは言葉や演習の意味を捉えるだけで精一杯なんだろうと思います。そこをダントツにしていくのが花伝所の後半の演習です。
そうしたトレーニングの機会をより多く持つために、師範には指導をやりやすいような場をつくってもらえたらと思っています。花伝所で学ぶ間に、相互に創発を起こすことに目覚めてもらえないと、師範代になって教室に向かうことは難しいでしょう。
■師範とモデルと編集八段錦
__花伝所のなかで、師範の指導モデルは更新されてきているのでしょうか?
田中:
やってごらんになってどうでしたか?
深谷は36[守][破]FMサスーン教室(2015〜16年)で師範代を務め、その後39[守](2017年)で初師範を担うまでの間に大きなカリキュラム改編があった。
改編後の[守]で3期師範を担った後[花伝所]へ転じて、29[花](2018年)錬成師範、30〜33[花]花伝師範、34[花](2020年)から花目付。
__私は意図的に積極的な更新をかけようとして取り組んできたのですが、それで良かったでしょうかね?(笑)
田中:
花伝所はコーチングをする唯一の講座ですから、編集学校としては花伝所の師範がガァっと上がることが一番大きいんですよ。
入伝生はカリキュラム通りに演習すればある程度のところまではいける。でも、花伝所の師範は更にそこからいろいろなエディティング・キャラクターを生み出すところまで促して行きますよね。花伝所の指導は一番クリエイティブなんじゃないでしょうか。
花伝所は、いろいろな指導法を夢中になって試行錯誤する師範たちがいる所にしていきたいですね。そうでなくては「日本のコーチング」として打って出れません。
__私の場合、師範としての指導モデルの拠り所は37[守]でのお題改編でした。とりわけ新規導入された「地と図」「スコアリング」「BPT」「編集八段錦」が大きな指針となりました。
何故このタイミングでこれらの編集術がカリキュラムへ組み込まれたのか? その意図をリバースエンジニアリングして師範モデルへフィードバックしていったということです。
◇37[守]で新規導入されたお題(2016年)
【「地と図」の運動会】エディットツアーなど未入門者向けワークショップで定番だったお題。初学者が編集工学を理解するための入り口として格好の編集稽古。
【マンガのスコア】
37[守]でのカリキュラム改編は、編集学校が「インタースコア」という概念をあらためて打ち出すための契機でもあった。この世界はスコアリングに溢れているが、未だスコアリングし得ない情報にも満ちていることを忘れてはならない。
【秘密基地でBPT】
[離]で扱われていた編集術だが、その汎用性の高さを請われて[守]へ開放された。自ずと3Aが発動するようなお題の仕立てに、幼な心を掻き立てられる者も多い。
【21世紀枕草子】
日本の古典に肖りながらパロディアに遊ぶお題。「笑い」が共通言語になるとしたら、それは高度な「エディティング・モデルの交換」が起きている証左なのである。
【カラオケ編集八段錦】
これも[離]で取り組むお題だったが、満を持して[守]の稽古を締めくくるお題として投入された。情報の動向を生命モデルによって描出する型は、編集的自己が自立へ向かう型として33[花](2020年)で花伝式目に組み込まれ「師範代」の生成を補導している。
田中:
37期の改編では「アナロジカル・ウェイ」ということを打ち出して、「3A(アナロジー/アブダクション/アフォーダンス)」を強調することが大きな狙いでした。ですから、新しいお題はどれも「連想」が起こりやすくなるような、言葉が出やすくなるような仕立てになっていると思います。
__なるほど。たしかに3Aが強調されたことは感じていましたが、私は少し違う受け取り方をしていました。花伝ロールの立場から見ると、「メタ編集術」と言うか、編集のために不可欠な「構造感覚」を強化しようとする意図を感じたんです。
もっと言うと、「カマエ」という言葉を再定義しようとしたようにも見えます。かつてのカマエは専ら「心構え」のことばかりを意味していたけれど、NEXT ISISにおけるカマエは「構造感覚」を問うのだよ、と。
田中:
うんうん。立体的になりましたね。
__「構造感覚」は、編集プロセスのなかでは「編集方針」と言い換えることが出来るだろうと思います。編集方針があって、それに基づいて情報表現が編み上げられる。そう考えると「カマエ」と「ハコビ」の関係は、ジェノタイプ(遺伝型)とフェノタイプ(表現型)(*)の関係と相似するように見えてくる。この相似率が見えてきたら、するするっと編集八段錦が読み解けたんです。
その後33[花](2020年)で編集八段錦を花伝式目に組み込むことを提案して、ようやく花伝所は数年越しで37[守]の改編(2016年)に追いつくことが出来ました。
田中:
それまでの花伝式目には成長モデルを構造的に理解するために援用できるような型が入っていなかったので、すごく大きい改編だったと思います。
こうした改編は、現場で指導する師範たちにこそ主導して欲しいと思っていました。道場で指導するなかで、こうしたらああしたらと試行錯誤や創意工夫することを通してでしか作ることのできないものがあると思うんです。おそらくこの後も更新や修正が必要なときが来るでしょうけれど、それをやり続けて行かなくちゃならない。
もともとISIS花伝所は何か参照モデルを想定して作られた訳ではないので、「ターゲットX」を仮設しながら編集を動かし続けていくクリエイティビティが生まれるのは嬉しいことです。
*ジェノタイプとフェノタイプ:
生物の世界にはその特質があらわれるにあたって、2つの継承と発現の方法があった。遺伝型と表現型である。ジェノタイプとフェノタイプという。
遺伝子が組み上げる遺伝型のプロセッシングに対して、表現型は環境や他生物との相互作用がつくる特徴の決定的な表出になる。遺伝型が失われるのではない。ゲノムコードの継承はそのままに、そのうえで表現型が生物の“見た目”のモードをエピジェネティックに特徴づけていく。(…) エピジェネティックというのは「後成的に」という意味だ。
■編集工学は花伝所で引き受ける
__以前、田中所長は「編集工学は花伝所で引き受ける」とおっしゃったことがあります。どんな意図でおっしゃったのでしょう?
田中:
編集工学を束ねる所が機関として必要だろう、ということです。編集学校のなかで方法として確立したものが、外へ持ち出せるものになって行くかどうか。それらが出入りする所を作っていきたいと考えています。
そのためには、松岡校長が型や編集工学をどう語ってきたかということを、編集学校のなかで誰もが使えるような、使いたくなるようなものにしていく必要があります。そういう意識を、花伝所の師範には持って欲しいと思っています。
個人知から共同知、世界知までをバァンと行き来する。そうした世界観を鍛えるのは[離]かも知れないけれど、花伝所では「どの地で考えたらどうなるか」というところまで拡げて指導していますから、そのときは理解できなくてもいずれ教室に立って指南を届けるときにフィードバックされる筈です。
__「引き受ける」とおっしゃったのは「背負って立つ」というような矜持を示したのではなく、どちらかと言うと「コレクティブ・ブレイン(集団脳)」のイメージだったのですね。
田中:
そう。場のなかでどうするかということを考えなければ上手くいかないと思います。コレクティブでコネクティブ。集めるだけじゃなくて、動かさないと意味がない。
__そして、集められた情報が動くときには「型」も動く。
田中:
書いてみる、歌ってみる、そういう動きが起きなければ「型」には意味がない。型を掴むには地道にやるしかないけれど、動かすことを考えればワクワクしますよね。
__花伝所の次の一手は?
田中:
花伝所の師範がエディティング・キャラクターを見せつけていくような時代にして行きたいですね。そのために何が出来るのか、言葉にして持ち出しあう時期なんじゃないでしょうか。
__やっぱり「場づくり」なんですね。
田中:
それしかないですね。世界モデルみたいなものを持たない限りは、編集学校の魅力は出せません。一人の考えだけで動くわけではないですし、中心があるものでもありませんから、新しいものがいくつも立ち上がりながらイシスらしい型が見えるというようになっていくと良いですね。
目の前に広がるものをどう捕まえるか。捕まえたら、それをどう編集するか。そのときに「型」がないと何も出来ません。そのために編集学校はますます必要になっていくと思います。
編集後記:このインタビューは2020年11月に行われました。シリーズ企画[ISIS for NEXT20]のための取材だったのですが、さすがに花伝所長と花目付のマッチングは内容が濃密になり過ぎたため、その後、公開するための環境が整うまで足掛け4年の熟成を待つことになりました。「ワカルとカワル」の訪れはほんの一瞬でも、「型」の守破離は一直線に進まないということなのだと思います。花ボードがいよいよNEXTへ動き出そうとする今こそ「秘花」を解き放つ絶好のタイミングだと感じています。(深谷もと佳)
[ISIS for NEXT20]
【別紙花伝】「秘すれば花」を解く(1)(2)
【別紙花伝】「5M」と「イシスクオリティ」
[週間花目付#010] 「3M2.0」の可能性
写真:佐々木千佳
聞き手:深谷もと佳
第39期[ISIS花伝所]申し込み受付中!!
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
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