【青林工藝舎×多読ジム】大賞・夕暮れ賞「言葉を越えるものを伝えたい」(福澤美穂子)

2023/08/05(土)08:00
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多読ジム出版社コラボ企画第五弾は青林工藝舎! お題本は、メディア芸術祭優秀賞受賞の傑作漫画『夕暮れへ』。アワードの評者は『夕暮れへ』の著者・齋藤なずなさんだ。エントリー作品すべてに講評がつき、多読ジムSeason14・春の受講期間中に講座内で発表された。

遊刊エディストでは、そのうち、大賞の「夕暮れ賞」、副賞の「片々賞」「ぼっち賞」の三冊筋エッセイ全文と、齋藤なずな先生の講評文を掲載する。大賞受賞者には、齋藤なずな先生サイン色紙&青林工藝舎オリジナル湯飲みが贈呈される。


 人は、言葉を超えて心を言いつくそうとする。時にその言葉を使って、余白や、絵を加えてそうしようとする。3冊がその結論に向かって、しっかりと繋がり、まっすぐに読む者に伝わってくる。

 上出来な作品に長い評は必要ないでしょう。

––––––––––講評◎齋藤なずな

 

言葉が届かなくても

 高校卒業後、単身ロシアに渡った奈倉有里。『夕暮れに夜明けの歌を』は、学ぶことの幸福感にあふれたエッセイだ。ロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業後、東京に戻る。奈倉が恩師の死を知ったのは、2018年、大学のホームページを通じてだった。衝撃を受け、10年前の卒業の年の日記を読み返す。先生の死の兆候を探す。振り返ると原因らしきものがあった。死へのカウントダウンはそのときから始まっていたのかもしれない。

 本書はロシアのウクライナ侵攻よりも前に出版された本だが、ロシアの社会が画一化に向かう不穏な空気も、ウクライナとの緊張した関係も、以前から徐々に進んでいたことが感じられる。そうやって後付けで理由を見出すことで、心は落ち着くのかもしれない。カウントダウ

ンはとっくに始まっていたのだ、と。

 戻れるならあの時の教室に戻って、感謝の言葉を先生に告げたい。奈倉はそう思う一方で、たとえ戻れたとしても結局お礼の言葉は言えずじまいだろうと想像する。どの言葉も心のうちを充分に表現できない。言葉が心を越えないこと、言葉が及ばないことを直感する。だからこそ人は長い長い叙述を、本を作ってきたと奈倉は言う。

 文学の中に溢れる「人をつなぐ言葉」への希望を、奈倉は失わない。つなぐ言葉が不足しているからこそ、文学はますます必要なのだ。学生時代に魅了されたブロークの詩が、文学の可能性を信じる奈倉の道を照らす。

 

余白が訴える

 あのときに戻っても、心が落ち着く理由が見つかるとは限らない。『夕凪の街 桜の国』に収録された「夕凪の街」の舞台は原爆投下から10年後の広島だ。主人公平野皆実は会社で働きながら、母と二人でつつましく暮らしている。表向きは平穏だが、皆実はどこか不自然さを感じている。少しでもしあわせだと思うたび、すべてを失った日に引きずり戻される。お前の住む世界はここではないとの声に絡めとられる。心中は、薄氷を踏むよう

な日々なのだ。

 「自分が忘れてしまえばすむこと」だけれど、あの日の惨劇は忘れられることではない。ようやく生きていていいのだと思えたとき、唐突にカウントダウンが始まった。足が立たなくなり、お粥が飲み込めなくなり、血を吐き、お見舞いの人の姿がぼやけ、絵はかすみ、白いコ

マが続き、独白で話が進む。

 夕凪が終わり、風が吹く。原水爆禁止世界大会のチラシが舞う。登場人物にセリフはない。「このお話はまだ終わりません」に続くのは白紙の1頁。ここで読者の心に湧いたものによって物語は完結する、と作者はいう。

 白紙の重み。言葉も絵もないところに放り出され、私はいつまでも考え続けてしまう。

 

絵が語る、絵で語る

 言葉がなかなか到達しない領域を、齋藤なずなは絵で語った。「久しぶりに読み返してみて改めて気づいたのは、人物造形・描写のうまさ」と、呉智英は解説で『夕暮れへ』を絶賛する。

 真実であっても、言葉にするとどこか嘘っぽくなる。「ドッグフードを買ってお家に帰ろう」の原田さんは、だから全共闘の頃の話は苦手だ、と笑う。「ぼっち死の館」のマンガ家は、筋を通してまとめるのがやになった、と言う。言葉やお話はそれだけでは心を伝えきれない。伝えたいこと自体が実は不完全で、表情で補うなどして、リアリティをもって読み手や聴き手の心に届くのだろう。セリフのない登場人物の顔が、絵の雄弁さを物語る。

 「カウントダウン」は、老いた父を病院で看取る話だ。息子は何度も病院へ面会に行く。冒頭で元気に小言を言っていた父は、次の面会ではちょっぴり弱っていて、息子が来たことに嬉し気な顔を見せる。その次ではだいぶ気力を失った様子。悔しさをにじませ、胸の内を息子にだけそっと吐露する。そして次はひとことも発しない。言葉を吐く力がなく、何かあきらめた感じでもある。その代わりに娘婿のにこやかな笑顔が印象的だ。とてもいい人なのだろう。優しく朗らかな言葉がたくさん、しかし空々しく響く。その次の面会では、看護婦さんから叱られている。もはや何も見えていないようで、口は閉じられ、モノのように乱暴に扱われるのが痛々しい。最後は臨終。言葉はすっかり遠のいた。

 ほぼずっとサングラスをかけて登場する息子の表情は直接には伺い知れないが、顔の向きや姿勢や口元から、心情がこぼれる。「カウントダウン」というタイトルどおり、段階的な変化が、絵と失われゆく言葉で表される。マンガの情報量は豊かだ。こういう日がいつか訪れるのかもしれない、と自然にイメージできてしまう。

 

 言葉は、心を言い尽くせない。そのことをわかったうえで言葉を用いる文学や詩がある。余白がある。絵と言葉が協同するマンガがある。

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕

∈『夕暮れへ』齋藤なずな/青林工藝舎

∈『夕凪の街 桜の国』こうの史代/双葉社

∈『夕暮れに夜明けの歌を』奈倉有里/イースト・プレス

 

⊕多読ジムSeason14・春⊕

∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ

∈スタジオ*スダジイ(大塚宏冊師)

  • 福澤美穂子

    編集的先達:石井桃子。夢二の絵から出てきたような柳腰で、謎のメタファーとともにさらっと歯に衣着せぬ発言も言ってのける。常に初心の瑞々しさを失わない少女のような魅力をもち、チャイコフスキーのピアノにも編集にも一途に恋する求道者でもある。

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