余計な説明はいらない。
まずは、この目次を読んでほしい。
序章 「翻訳教室 はじめの一歩」のための一歩
第1章 他者になりきる―想像力の壁をゆるがそう
第2章 言葉には解釈が入る―想像力の部屋を広げる準備体操
第3章 訳すことは読むこと―想像力の壁を広げよう
第4章 世界は言葉でできている
第5章 何を訳すか、それは翻訳者が引き受ける
文芸翻訳の第一線で活躍する翻訳家・鴻巣友季子さんによる入門書『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくま文庫)だ。
[破]の物語編集術を楽しんだ方に、「他者になりきる」という切り口は響くだろうし、「世界は言葉でできている」といわれて頷かない人はいないだろう。鴻巣さんの翻訳の「方法」は、まさに編集工学の方法と重なる。
前置きが長くなったが、そうなのだ、多読ジムのスペシャル講座の第4弾は、「鴻巣友季子を読む」なのである。しかも事前課題では、イシス編集学校初の「英文の翻訳」が課される。
●翻訳は「深い読書」だ●
これは英語を学ぶ講座なのか?
いや、そうではない。ここで体験・体得するのは「本を深く読む方法」だ。
翻訳は、他言語を自分たちの言語に移すこととイコールではないと鴻巣さんはいう。では何なのか。
訳者というのは、まず読者なのです。翻訳というのは「深い読書」のことです。(『翻訳教室』、以下同)
深く読んで、解釈し、相手に伝える。だが書評家とは異なる。
翻訳者が書評家と決定的に違うのは、その本を丸ごと自分の手で書きなおし、作者の文章を一語一句にいたるまでみずから当事者となって実体験することなのです。
翻訳は、ただの言葉の移植ではなかった。翻訳=深い読書=自分ごととしての実体験、だったのだ。
具体例を見てみよう。
15歳と20歳ぐらいのアメリカ人兄弟がいる。兄はベトナム戦争へ出兵することになった。弟は兄に向かって叫ぶ。
I love you, brother, I love you, brother,
難しい単語はひとつもない。逐語訳なら「お兄さん、僕はあなたを愛している」だ。これを鴻巣さんは、こう訳した。
兄貴、死ぬんじゃないぞ。
深い読書を通じて、当事者となって「I love you」を訳すと、こうなるのだ。
かつて明治時代には「I love you」が「今夜は月がきれいですね」と訳されたと言い伝えられ、坪内逍遙は『ロミオとジュリエット』で「かわゆい。かわゆく思う」と訳した。
翻訳とは、他者との解釈のやり取りなのだ。編集工学風にいえば、「エディティング・モデルの交換」である。
●体を張って本を読む●
英語が得意でない人は、正直尻込みするかもしれない。だが考えてみてほしい。そもそも私たちの使っている日本語自体、「翻訳」で成り立っているのではないだろうか。漢字という外国語を持ち込み、音も借り、もともとあった大和言葉に漢字を当てた。明治になって、西洋の概念を導入する際には、漢字による翻訳で乗り切った。日本語はそもそも、「翻訳」という行為によって、自分たちの世界を広げてきたのだ。つまり、翻訳に挑むという体験は、日本語を深く知る体験でもあるのだ。
それだけではない。
翻訳とは、「能動的に読む」ことだ。
忠実に翻訳するためにも、能動的に読むこと、原文にコミットする必要があります。受動的に読み、機械的に文字移植するような翻訳では、読者にはなにも伝わりません。忠実な翻訳を実現するには、むしろ訳者が原文と能動的に関わっていく必要があります。(『翻訳ってなんだろう?』ちくまプリマー新書)
視点は? 語り手は誰? 何の比喩? 能動的に文章に入っていく。これが「深い読書」だ。そうすると、微妙な語調の変化や言葉遊び、アイロニーや暗示など、原文が出しているサインも読みとることができるようになると鴻巣さんはいう。
「翻訳は、譜面の演奏に似ています。演奏家は、楽譜に記されている記号を読みとって、それを表現しますよね? 音が合っているだけでは、良い演奏にはなりません。翻訳もそう。原文の中の陰影や凹凸をどう掴まえるか」
ゆえに「翻訳=深い読書」なのだ。
「翻訳は、いわば“体を張った読書”です。体を通して読むことで、言葉の引き受け方がかわり、我がこととして捉えられるようになります」
1月27日のオープニングセッションでは、事前課題(数行の英語の詩の翻訳)に対し、鴻巣さんが全部に講評を行うという。「全提出課題の良いところを取り出します」との宣言も出た。
英語や翻訳の学びはこの多読ジム本来の目的ではないが、他言語を体に通すことで、本の読み方は変わる。多読スペシャル「鴻巣友季子を読む」は、「翻訳という言葉への向き合い方」をまねびながら、日本語でいっそう深く本を読むための方法の体得へと向かっていく。
profile プロフィール
◎鴻巣友季子 Yukiko Konosu
翻訳家。主訳書に、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ1-5巻』(以上新潮文庫)、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(河出書房新社 世界文学全集2-1)、J・M・クッツェー『恥辱』、マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者上・下』(以上ハヤカワepi文庫)、クッツェー『イエスの幼子時代』『イエスの学校時代』『遅い男』、アトウッド『誓願』(以上早川書房)、『獄中シェイクスピア劇団』(集英社)、『ペネロピアド』(角川書店)、アマンダ・ゴーマン『わたしたちの登る丘』(文春文庫)、トマス・H・クック『緋色の記憶』(ハヤカワ・ミステリ文庫)ほか多数。 文芸評論家としても活動し、朝日新聞、毎日新聞などで書評委員や文芸時評を担当。主著書に、『カーヴの隅の本棚』(文藝春秋)、『熟成する物語たち』(新潮社)、『明治大正 翻訳ワンダーランド』(新潮新書)、『謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学』『文学は予言する』(以上新潮選書)、『本の寄り道』(河出書房新社)、『本の森 翻訳の泉』(作品社)、『全身翻訳家』『翻訳教室 はじめの一歩』(以上ちくま文庫)、『翻訳ってなんだろう?』、(ちくまプリマー新書)、『孕むことば』(中公文庫)、『翻訳問答』シリーズ1-3(左右社)など、多数の著書がある。共著に『100分de名著 フェミニズム』(NHK出版)など。青山学院大学などで長年翻訳の教鞭をとる。 せたがや文化財団理事、日本文藝家協会理事。日本ペンクラブ女性作家委員、獄中作家・人権委員。 |
Info
<多読ジム>スペシャルコース第4回「鴻巣友季子を読む」
【受講期間】2024年1月27日(土)~3月3日(日)(5週間)
◆1月27日(土)「オープニングセッション」(講義=鴻巣友季子/読衆とのセッション)
◆3月23日(土)「修了式」(スペシャル対談=鴻巣友季子×松岡正剛、鴻巣友季子の審査・講評あり)
*「修了式」は、[遊]物語講座16綴「績了式」と併わせての開催になります。
【受講資格】[破]応用コース修了者
【定員】 30名 ※定員になり次第、締め切りとなります。
【受講料】 77,000円(税込)(「オープニングセッション」「修了式」の参加費を含む)
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
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