父の「思い残しきっぷ」―井上麻矢×井上ひさし×53[守]番匠

2024/07/17(水)12:00
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 井上ひさしさんは、先の戦争――広島・長崎・沖縄を書くことが自身の使命だと考えていたという。広島は『父と暮せば』になり、長崎は井上麻矢さんによって『母と暮せば』として結実した。残された沖縄――ひさしさんの“思い残し”を麻矢さんはどう受け止めたのか。53[守]の景山和浩番匠が、7月14日の特別講義「井上麻矢の編集宣言」と関係づけながら、“思い残し”を語り直します。


 井上ひさしさんの作品に、宮沢賢治の評伝劇『イーハトーボの劇列車』がある。劇中、「思い残しきっぷ」というものが登場する。人が死ぬとき、この世でやり残したことへの思いをきっぷに託し、後の人に受け渡していくというものだ。

 

 ひさしさんは5歳の時に父を亡くしている。仲間と劇団をつくっていた父。「サンデー毎日」の懸賞小説に応募し1等になったこともある父。脚本家の仕事が決まった矢先、病に倒れた父。ひさしさんが作家を目指そうと思ったのは、作家を夢見ていた父から「思い残しきっぷ」を託されたからだと話す。

 

 こまつ座を託された井上麻矢さんも、ひさしさんから「思い残しきっぷ」を受け取ったのだろう。53[守]特別講義で、「芝居を消耗品にしない」と語った麻矢さん。「井上ひさし」「こまつ座」という型があるからこそ、継承と更新に向かえるのだ。

 

 そのひとつが幻の作品といわれた『木の上の軍隊』の上演だった。

 

 ◆    ◆    ◆

 

 「私はいつも沖縄がどこかにこびりついている」。沖縄の地元紙に語っていたひさしさんは、広島、長崎に加え、沖縄を書くことを使命だと考えていた。タイトルも決まっていた。それが『木の上の軍隊』だ。

 

 戯曲は、ある実話が元となった。
 沖縄の北西に浮かぶ伊江島に大きなガジュマルの木があった。沖縄戦が激しさを増すなか、米軍に追われた2人の日本兵が木の上に隠れる。周囲には夥しい日本兵の死体と米軍のキャンプ。降りられなくなった2人は終戦を知ることなく、2年近く木の上で暮らしたという。

 

 1990年、2010年の2度上演が計画されたが、実現には至らなかった。ひさしさんは作品を完成させることなく、この世を去った。

 

 遺されたのはたった1枚のメモ書きと沖縄に関する膨大な資料。ひさしさんの思いを若い作家で遂げたい。麻矢さんは、こまつ座と縁の深い演出家の栗山民也さんに相談したという。指名されたのが蓬莱竜太さんだった。劇団モダンスイマーズの座付き作家であり、舞台版『世界の中心で、愛を叫ぶ』『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』などを手掛けた脚本家。当時30代だった。

 

 「僕は井上ひさし氏に会ったことがない」。蓬莱さんは公演パンフレットで語っている。「あまりに偉大で、あまりに超人、そして伝説」だというひさしさんから受け取った「思い残しきっぷ」。蓬莱版『木の上の軍隊』は何度も書き換えられ、初日を迎えたのはひさしさんの死から3年後の2013年だった。

 

 登場するのは3人だけ。宮崎県出身で軍隊教育を受けて育った上官。地元・伊江島出身のおおらかな新兵。そして、2人の心情を代わって言葉にするガジュマルの妖精だ。

 

 木の上の2人は次第にかみ合わなくなる。
 新兵は言う。「その背中を見ていると、何でそうゆうことをするのかねぇと、出来るのかねぇと、へんな気持ちがこみ上げてきます」
 上官は返す。「お前は、この国の人間じゃないのか? この島の人間はやっぱり国民じゃないのか?」
 上官を演じたのは山西惇さん。「これは“日本”という役じゃないだろうか」と稽古を重ねるなかで思ったそうだ。2人は日本と沖縄の象徴でもあったのだ。ラストシーンでは、そんな2人の頭上にオスプレイの轟音が迫ってくる。
 沖縄は今も続いている。

 

 ◆    ◆    ◆

 

 『イーハトーボの劇列車』では、客席にたくさんの「思い残しきっぷ」がばらまかれる。人はだれでも、亡くなった者の思いを受け継いで生きているのだ。麻矢さんの特別講義を聞いたみなさんは、だれの思いを受け継いでいくのだろうか。

 

 『木の上の軍隊』は戦後80年の来年2025年、沖縄出身の監督によって映画化される。ひさしさんの「思い残しきっぷ」は、今も新しい世代へと受け継がれている。

 

文/景山和浩(53[守]番匠)

 

参考資料/

舞台『木の上の軍隊』(演出:栗山民也/出演:藤原竜也、山西惇、片平なぎさ)

『木の上の軍隊』公演パンフレット/こまつ座・ホリプロ

『ふかいことをおもしろく―創作の原点 (100年インタビュー)』井上ひさし/PHP研究所

『イーハトーボの劇列車』井上ひさし/新潮文庫

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025