飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。

きっかけは、世界読書奥義伝第十三季 離の退院式だった。2019年11月、DNPホールで開催された退院式には、エディストカメラマンとして参加していた。ファインダー越しに何度も心が震えた。離ってやっぱりいいな。その時の印象をカタチに残そうと、撮影した写真をつないでスライドショー動画を作成し、千離衆が集うラウンジで公開した。決してうまい写真ではなかったと思う。うまい写真ではなかったが、それが松岡正剛校長の目にとまることとなる。
後日、本楼の片隅で校長から「見たよ」と声をかけていただいた。まさかあのスライドショーを校長に見てもらえるとは思っておらず、とても驚いたのを覚えている。すると、「一日密着して松岡を撮影するか」と校長が問う。迷いなく「撮影したいです」と答えた。
それからすぐに「一日密着」したわけではない。遊刊エディストライターとして、イシス編集学校のイベントを中心にカメラを抱えて記録する日々が続く。撮影したらエディスト記事を書くことが新たな編集稽古になった。記事が公開されれば漏れなく松岡校長にも届く。「雑誌のキャプションを参考にしなさい」「あやしさが足りない」「俳句みたいにしてみたら?」「よくなってきた」。校長から直接アドバイスをいただくこともあった。
黄昏の代官山、千夜千冊の秘密
百間の和泉佳奈子さんから連絡があったのは2020年8月。代官山で千夜千冊のオンラインイベントを開催するので、リハと本番を撮影しませんか?という内容だった。この時はじめて「校長」以外の松岡正剛の姿に触れる。妥協のない徹底したリハ、松岡が絶大な信頼を寄せる太田香保さんと和泉さんとの関係性、場の創り方。編集の余地を残しながら、高速で詰めていく。会場入りから控室、本番、見送りまで一日中撮影できるチャンス。必死でシャッターを切った。
リハは本楼で1日、代官山で2日行われた。台本に赤と青のペンで書き込みをする。
3時間のソロトーク。長時間に渡るソロイベントはこれが最後ではなかったか。
一枚の写真
松岡校長やイシス編集学校を撮影していくうちにどんどん写真にのめり込むようになった。写真学校に通い、カメラとレンズを買い替えた。機材が増えた。語り合える写真仲間ができた。写真学校の授業で「この人を撮影したいのです」とおそるおそる先生とクラスメイトに校長の写真を見せた。一瞬で皆の表情が変わった。誰ひとり松岡正剛を知らなかったが、ただならぬ人物であることは瞬時に伝わったようだった。クラスメイトの一人は「この人に命令されたい」と漏らした。校長は「一枚の写真が世界を変える」と言っていた。松岡正剛を写真で伝えたいと真剣に思うようになった。
書斎で千夜千冊の執筆をする校長。授業ではじめて見せた一枚。
ここで撮ろう
2022年秋。成田山書道美術館の視察に同行した。初めて行く場所での撮影はいつも緊張する。動画担当の林朝恵さんとロケハンのために、先に美術館に入り一通り撮影するものの緊張でおなかが痛くなった。校長が美術館をどう見て回るのか全く想像がつかない。「松岡さんもうすぐ着きます」和泉さんから電話が入り、駐車場に走った。「おう」校長が手をあげて、撮影が始まる。校長の情報の取り方は速い。鑑賞スピードが速くて内心焦る。一方で目を留めた書にはじっくりと向き合う。一瞬、校長の目が潤んでいるように見えて心がざわついた。
成田山では近江ARSメンバーから贈られた和傘を撮影する予定だったが、雨が降ってきたため車に乗り東京に戻る。車窓につく雨粒が増えてきた頃「ここで撮ろう」と校長が指差した。そこはちょっとした空き地だった。校長はトランクに詰め込んでいたジャケットに着替える。雨の中、撮影が始まる。「もう少し傘を傾けてください」初めてポージングの指示をした。
和傘は近江ARS「龍門節会」で本の傘となった。
書の日
編集学校の師範には校長から直筆の書が贈られる。その書の日には何度か立ち合うことができた。「書は人のために書く」と言っていたように、師範一人一人へ時間をかけて書を書き上げる。私は校長が何かとても小さいものに向かっていくところを撮ってみたいと思っていた。とりわけ書に向かうときは、そういう瞬間があったように思う。
近江ARS TOKYO
2024年4月29日に、近江ARSが東京で開催されるというので早々に申し込みをした。開催日が近づいてくると何だかそわそわして、和泉さんに撮影させて欲しいとお願いした。なんでも川本聖哉さんをはじめ、スチールカメラマンが3名張り付き、動画カメラも何台も入るという。無理を言って前日リハから入らせてもらえることになった。会場の草月ホールに到着すると、予定時間よりも前倒しでリハが始まっていた。そして、カメラが多い。どこにいっても他のカメラに写り込みそうだ。状況がよく掴めなかったこともあり気後れした。撮影するときはいつも失礼のないように細心の注意を払ってきた。でもそれが遠慮であると校長にすぐ見抜かれた。程なく校長に呼ばれる。「もっと来てくれないと!大きな舞台はこれが最後なんだから」そう言って控室に戻っていく校長の背中がひどく遠くに感じられた。
本番当日。不甲斐ない前日リハを振り返り、林朝恵さんと作戦を練りながら会場に向かう。撮り逃せばそれで終わり。もうあとがない崖っぷちの気持ちだった。本番中はほとんど撮影できない。本番前がラストチャンス。とにかく一瞬一瞬を記録する。そのことだけに集中した。
控室でブーツストラッピングする校長。赤い靴下に並々ならぬ気概を感じる。
本番直前、地下駐車場で一人リハをする校長。10shot記事で「長浜出身の父について語っているのが聞こえた」と書いたところ、後日「よく聞こえていたね」と言っていた。
松岡校長の何かを撮れたかと言ったらわからない。到底撮り切れたとは全く言えない。ひそかにあたためていた撮影プランも果たせなかった。それでも、これまで撮影することを許してくださったことへの感謝は尽きない。いつの日か「ぼくのアピアランスに向かう人はあまりいないんだよ」というようなことを言われていたが、アピアランスこそ松岡正剛が松岡正剛である最たるものであったように思う。
春頃、これが最後になるとは思わずに、松岡校長からいただいたディレクションはこうだった。
「何を撮影するときも、松岡正剛を撮るように撮ればいい」
倶楽部撮家 後藤由加里
後藤由加里
編集的先達:石内都
NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!
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2025-08-16
飲む葡萄が色づきはじめた。神楽鈴のようにシャンシャンと音を立てるように賑やかなメルロー種の一群。収穫後は樽やタンクの中でプツプツと響く静かな発酵の合唱。やがてグラスにトクトクと注がれる日を待つ。音に誘われ、想像は無限、余韻を味わう。
2025-08-14
戦争を語るのはたしかにムズイ。LEGEND50の作家では、水木しげる、松本零士、かわぐちかいじ、安彦良和などが戦争をガッツリ語った作品を描いていた。
しかしマンガならではのやり方で、意外な角度から戦争を語った作品がある。
いしいひさいち『鏡の国の戦争』
戦争マンガの最極北にして最高峰。しかもそれがギャグマンガなのである。いしいひさいち恐るべし。
2025-08-12
超大型巨人に変態したり、背中に千夜をしょってみたり、菩薩になってアルカイックスマイルを決めてみたり。
たくさんのあなたが一千万の涼風になって吹きわたる。お釈迦さまやプラトンや、世阿弥たちと肩組みながら。