「編集工学研究所 Newsletter」でお届けしている、代表・安藤昭子のコラム「連編記」をご紹介します。一文字の漢字から連想される風景を、編集工学研究所と時々刻々の話題を重ねて編んでいくコラムです。
INDEX
「連編記」vol.9「世」:世間と世界のあいだで
└ 「世論」なんてない?!
└ 上から読んでも下から読んでも、ヨノナカバカナノヨ
└ 「世」と「別世」と「常世」
編集工学研究所からのお知らせ:
└ 11/27(水)開催 佐渡島庸平×安藤昭子 『問いの編集力』出版記念トークイベント
└ 12/16(月) AI時代を「問う力」で切り拓く、新しい思考法 ー『問いの編集力』ー 刊行記念トークイベント
└ 12/20(金) 弊社サービス「ルーツ・エディティング」オンライン説明会
「連編記」 vol.9
「世」
世間と世界のあいだで
2024/11/7
「世紀の激戦」と連日報道されたアメリカ大統領選は、予想外のスピードでトランプ陣営の勝利に着地しました。事前の世論調査とのズレにメディア各社も困惑の色を隠せない様子の一夜でしたが、現地の肌感覚ではほぼ想定された結果でもあったという声も聞かれます。世論調査に反映されない「隠れトランプ」の存在が、思いのほか大きかったということでしょうか。アメリカの「本音と建前」とも言えるような予測と結果の動きに、ますます流動化していく「世論」というものの見通しの悪さが浮き上がった選挙戦ともなりました。
世論を読み違える、世論と向き合う、世論を見方につける……。国政が揺らぐ時期は特に、この「世論」と呼ばれる茫漠としたキャラクターがメディアを通して姿を表します。日本の衆議院選挙でも、自民党・公明党の与党が議席過半数を大きく下回る事態となり、投開票日翌日の新聞やニュースでは、「世論逆風」「世論反発」という見出しが踊りました。ではいったいその「世論」はどこにいるのか、「逆風」とはどこから吹くのか。実態を見ようとする程にするりと逃げていく、半透明の妖怪のようでもあります。
明治から戦前にあっては「よろん」と「せろん」は明確に別物でした。理性に導かれた集合的な同意としての「輿論(よろん):public opinion」と、世間一般の風説としての「世論(せろん):popular sentiments」として使い分けられていた言葉です。1946年に当用漢字が制定されると「輿」が使えなくなり、「世論」を「よろん」と読むことで統一されます。以降両者の意味は混じりあい、メディアの勃興やSNSの普及もあいまって「“輿論”の“世論化”」が進んで今に至る、というわけです。社会学者の佐藤卓己さんが、『輿論と世論 日本的民意の系譜学』で「世論」の来歴を詳細に案内されています。
フランスの社会学者ピエール・ブリュデューは、1972年に発表された「世論なんてない」という論考で、「世論調査」の正当性を支える公準として次の3点を挙げていますーー「誰も何らかの意見をもちうる」「すべての意見はどれも優劣がない等価なもの」「それらの問題は質問されて当然だとする同意」。これらの前提条件がなければ「世論調査」は成立しないはずなのに、そのどれもが根拠を持ち得ないという告発です。ブリュデューは、そもそも「意見」をつくりあげる能力自体が平等に配分されているのだろうかと問うた上で、「ある人が政治的知識を前提とした質問に対して何らかの意見をもつ確率は、その人が美術館に行く確率とほぼ同じと見ていいのです」とまで言っています。
このブリュデューの言説を受けて、上述書籍の著者である佐藤卓己さんはこんな風に問題を投げかけています。
私たちは本音のところでは政治判断を世論に委ねることを恐れているのではないだろうか。こうした世論に対するアンビヴァレントな状態を放置したままで、世論調査の数理統計を精緻化しても、世論を現実の政治に反映させることはできない、と私は考える。
『輿論と世論 日本的民意の系譜学』佐藤卓己
この問いかけに考え込んでしまう、2024年アメリカ大統領選挙でした。そもそも「みんなで何かを決める」ということ自体、人類の歴史につきまとう難題です。今月の「ほんのれん」の問いは、「決め方、どう決める?」。この問題をめぐって「ほんのれんラジオ」では、編集部メンバーが時に迷路に迷い込みながら対話しています。よろしければ、聴いてみてください。(→note紹介記事へ)
「貧しさに負けた、いえ世間に負けた」と歌った“さくらと一郎”は、いったい何に負けたのだろう……子どものころ耳に流れ込んできたあの歌は、聴いてはいけないものを聴いてしまったような、おさな心に仄暗い印象を植え付けました。「街も追われていっそきれいに死のうか」と言うくらいだから、「セケン」というのはよほど恐ろしい相手なのだろう。いや“さくらと一郎”が負けたわけではないけれど(大ヒットだったわけですし)、背広のおじさんとワンピースのお姉さんが枯れすすきの道を死に向かって歩いていくイメージは、いまもってなんともいえないやり切れなさを伴って蘇ってきます。
あれから半世紀を経て、SNSが「世間」をつくっているような昨今、華やかにメディアで活躍していた人が何ごとかで「炎上」しては一瞬にして「傷物」になる姿を見るにつけ、あの歌に刷り込まれた「セケン」のおっかなさはなまじ子どもの空想世界ではなかったか、と思ったりします。「お騒がせして申し訳ございませんでした」とテレビの中で頭を下げるタレントさんに、いったい誰へのお詫びなのかと気の毒にもなりながら、太宰治の『人間失格』の一場面が思い出されます。主人公の大庭葉蔵が友人の「堀木」に女遊びをたしなめられ、「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」と言われた場面です。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
『人間失格』太宰治
「世間」の正体も「世の中」の風体もわからぬまま、いったい私たちは何を恐れ、何に対応し、何と闘っているのか。夏目漱石が『草枕』で「余」に語らせたあの気分は、時代を経ても変わらないもののようです。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
『草枕』夏目漱石
企業を疲弊させるオーバー・コンプライアンスの問題も、いきつくところはこの「世間」というものへの予防線に帰着するものではないかと思います。ただその「世間」を構成している多くの要素が、どこかしらの企業で働く人々でもあることを思うと、この「辟易する気分」の入れ子構造になんとも言えない気持ちにもなります。お互いに疲れているけど抜けられない、「世間」の辟易ループに取り込まれていく。とかくに人の世は住みにくい。
中島みゆきが「真夜中、世の中、ああ世迷い言。上から読んでも下から読んでも ヨノナカバカナノヨ」(「世迷い言」)と歌ったように、バカナノヨと思うヨノナカは外でもなく自分も含めた人々の所産であります。上から読んでも下から読んでも同じ景色にいきつくような回文的なトラップに、どうも「世」というものは入りやすい。
メディア論の泰斗マーシャル・マクルーハンは、「誰が水を発見したかは知らないが、それが魚でないことだけは確かだ」といいましたが、「世」をもって呼吸し「世」を泳ぎ生きる私たちは、「世」というものを本来的には発見することができないのかもしれません。けれど、人類の歴史は「世」の織りなすタペストリーであることも、また事実です。
「世界」の問題を考える時に、そのあいだに「世間」あるいは「世」というものが見えない膜のようにわたしたちの認識を包んでいるということは、時折思い出したいことです。
「世」という漢字は、別れた木の枝に新しい芽が出ている様子を表しています。ここから人の一生を「世」というようにもなりました。柳田國男は『海上の道』で、竹の節と節のあいだである「よ(節)」と同語源であると書いています。稲作のサイクルの一期を区切るような、時空間が限られたある区間のことを指します。
日本における「世」は、直線的な時間の流れや普遍的な尺度のことではないようです。いくつもの時間や視点が織り込まれた、はなから複雑な事情を抱える単位であったものと思います。絵画等にもこの「世」の見方は現れています。絵巻の書き方に「異時同図法」と呼ばれる技法がありますが、いくつもの時間や場面とともにひとつの絵の中に同一人物が複数出てくる「吹抜屋台」の描き方です。典型的なものに、「伴大納言絵詞」があります。
このように、日本の「世」は同時多発的で多視点であり、次々と変化していく風景を円環的に捉えるものでした。「世間」というものは生まれては消えていくという、生々流転の感覚を織り込んだうつろいの現れでもあったことと思います。古くは万葉集にこんな歌があります。
世間を何に譬へむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白浪 沙弥満誓
この「世間」は「よのなか」と読みます。船が通った跡に残る白波のように、その痕跡も消えてしまうものという世の無常を詠んだものです。この時期にはもう、聖徳太子の「世間虚仮(せけんこけ)」という仏教観念が行き渡っていたのでしょう。こうした「儚い世」を生きる代わりに、たくさんの「世」を自らに取り込み、多様な「世」を渡り歩いた。吹抜屋台の絵巻にあるような、同時多発的な別様を抱える自己を遊んだのが、日本の文化や芸能だったのだろうと思います。これを、田中優子氏(イシス編集学校・学長)は「別世」と呼びます。
悪所には江戸文化が凝縮していた。しかいそれは、権力に立ち向かう「思想」などではない。(略)彼らは思想においてではなく、日常において「別世」を作ってしまったのだ。
『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』田中優子
覚束ない世の中に、合意形成やアイデンティティで対応するのではなく、更に複雑さを掛け算することで本来の生を成り立たせようとした、日本人の知恵のひとつかもしれません。その根底に何があったかと言えば、おおもとを辿っていくと「常世」への憧れに行き着くものと思います。海の彼方にある理想の国、苦楽の根本を運んでくる遠い場所。その目には見えない母なる面影の想定がカミや芸能の苗代となって、複雑さ・曖昧さごと受け入れる文化的精神の土壌をつくっていったのかもしれません。
こうした日本の「おおもと」を訪ね続けたのが、折口信夫でした。折口信夫は、「世」を処しやすい要素に分割せぬまま、「世」という怪物に分け入った民俗学者でありました。今の世、そしてこの先訪れる世界を考えるにあたっては、一度は文化の古層から届いてくる「世」の声に耳を傾けることも、肝要なことであろうかと思います。
今年のHyper-Editing Platform[AIDA]のテーマは、日本の深層・中層・表層を行き来する「型と間のAIDA」です。11月9日(土)開催の第2講では、民俗学者・折口信夫の視点を借りながら、日本の「おおもと」とその「発生」について巡っていきます。
◆編集工学研究所からのお知らせ:
■11/27(水)開催 佐渡島庸平×安藤昭子 『問いの編集力』出版記念トークイベント
AIが答え、アルゴリズムがそれらしいものを教えてくれる時代、「問う力」が必要と言われています。 学校教育では探求学習が浸透し、ビジネスの現場でも課題解決力よりも課題発見力の重要性が盛んに言われています。 その「問う力」はどのように伸ばすことができるのでしょうか。 株式会社コルク代表で編集者の佐渡島庸平さんと、編集工学研究所 代表 安藤昭子が、「問う力」と「編集力」について語ります。
お申し込みはこちらから。
・日時:11月27日(水)18:00-19:30
・場所:渋谷区渋谷3-2−3 帝都青山ビル5F ラウンジ
・参加方法:会場参加 or オンライン視聴
・登壇者:佐渡島庸平氏、安藤昭子
・主催:コルクラボ、ディスカヴァー21
■12/16(月) AI時代を「問う力」で切り拓く、新しい思考法ー『問いの編集力』ー刊行記念トークイベント
12月16日には、丸善ジュンク堂主催のトークイベントに安藤が登壇します。
お申し込みはこちらから。
・日時:2024年12月16日(月)19:00~20:30
・場所:ジュンク堂書店池袋本店9階イベントスペース
・参加方法:会場参加 or オンライン視聴登壇者:安藤昭子
・主催:丸善ジュンク堂
・通常価格:¥1,100(税込)
■12/20(金)弊社サービス「ルーツ・エディティング」オンライン説明会
◆ルーツ・エディティングとは
弊社では、これまで様々な企業様に向けて人材育成や組織開発をはじめ、コンサルティングなど多方面でご一緒させていただきました。
中でも、弊社サービス「ルーツ・エディティング」は企業経営の根幹となる理念の策定に向けて「自社らしさ」をユニークな手法で紐解きながら未来のビジョンや、自社の提供価値に繋げていくサービスとして大変ご好評をいただいております。
◆最近の動向
昨今では外部環境の変化もますます高まる中、経営環境でも日々スピーディーな意思決定が求められています。 その際に、自社として何を基準に意思決定するのか、自社を自社たらしめているのは何なのか、という問いをここ最近、特に多くご相談をいただくようになりました。
◆オンライン説明会のご案内
そこで、このたび改めて「ルーツ・エディティング」の説明会を開催させていただくことにいたしました。オンライン実施となりますので、ご負担なくご参加いただけます。
<開催概要>
・日時:2024年12月20日(金)10:00-11:30
・形式:Zoomオンライン
・費用:無料
・申込:こちらにてご登録をお願いいたします
◆これまでにご相談いただいた企業様例
・近々周年を迎えられる企業様
・これから上場を目指される企業様
・創業家で代々経営を続けてきた企業様
・「日本発の企業」としての価値をグローバルに届けたい企業様
・100年以上の長い歴史を辿ってきた企業様
・数年で急成長し、自社の理念再構築をお急ぎの企業様 など他多数
弊社HPでも一部ご紹介しておりますのでご覧ください。
当日は弊社のチーフエディターの橋本英人がこれまでにご支援させていただいたお客様の事例も含めエピソードも交えながらご紹介させていただきます。
途中、皆様からのご質問などもお寄せいただきながら活発な意見交換の場にしたいと考えておりますのでぜひ奮ってご参加ください。
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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