発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

「身体の再編集を尽して、遊ぼう」
身体はあらゆる地のもとで違った姿を見せている、目的であり、手段であり、モノであり、コトである。しかし、生まれたときから付きまとっている身体、我々はそれについてほとんど知らないのだ。
当茶論では、身体を巡る様々な”身体編集”をイベントを通じて体験する。いよいよ桜も開花宣言!風にまみれて「トルコ料理を食す会」のイベントレポートが薫茶人から届いた。
2025年3月14日金曜日、日暮里「夕やけだんだん」の片隅に北は埼玉、南は沖縄から身体多面体茶論の茶人たちが集まった。
「あなた、PCばかり叩いているオタクだね」
「あなた、日本経済をダメにするよ」
「あなたみたいな美女に会うためにこれまで生きてきたのよ」
オクシデンタルな方角に日が沈む刻オリエンタルな店主が出迎える。
群生するキノコのようなモザイクランプがぶら下がり、壁一面にペルシャ模様が彩られた怪しい空間の前で、陽気でテキトウで濃厚な歓迎を受けて、茶人達は戸惑いながらも敷居を跨いだ。外から見ると、一見中東の怪しげな雑貨屋の如く、日本で生活している人にとっては、思わず遠慮したくなるそんなお店である。
なぜこんな怪しいお店に入ったのか?そう、ここはぼったくりの雑貨屋ではない、中東の料理をたらふく楽しむことができる大人気レストランなのだ。茶人達はトルコ料理を食べにきた。身体多面体茶論は様々なテーマの下、身体を再編集して自分なりの身体観を探求するクラブだ。昨期は進化身体、美食身体、資本主義身体の三軸のお題と向き合い、それぞれのテーマについて、ピラティス体験、栄養コンシェルジュワークショップ、投資勉強会と、オンラインの共読を越えて、外部の専門家との学びも模索してきた。
そして今回も共読から飛び出し、美食身体の実践知獲得に挑んだのだ。茶人として何の食を経験するべきかというところから出たテーマがトルコ料理。世界三大料理の一つにも関わらず、日本人の認識は薄い。東西文化の潮目の中で、オスマン帝国の宮廷料理として洗練され、交流点として多くを受容してきた懐深さとはどのようなものなのか。スパイシーでマイルドで、ワイルドでエレガントなトルコ料理の魅力に触れて、世界の食を鳥瞰的に見ないことにははじまらない。身体的考察なんのそのということで、「食べきれないコース」というメニューの宴会が始まった。
遊牧民スタイルの低い食卓である床座に着くと、お冷の代わりにチャイが並び、自然と団欒の場へと導かれる。柘榴ビール、柘榴ハイ、柘榴ジュースで乾杯後は、昨期に参加した栄養コンシェルジュワーク
ショップの分類に従うと、主菜はキョフテにタヴック・シシ、主食はチャパティにバスマティライス、副菜はサラダにショルバ。あっという間に床一面に料理が溢れる。栄養バランスはばっちりだが食べきれない量の食事に圧倒されながら、茶人達は語り合う。クラブのこれから、昨期の振り返り、他クラブからの乱入者もありの交わしあい、身体についての各々の興味などなど。
熱く語りあっていると偶然か必然かダンサーが登場してベリーダンスが始まった。気がつくと茶人達も舞台にあがり、ベリーダンスの実験台に。ベリーダンスのベリーはお腹のこと。茶人と客達はダンサーの先導のもと、必死にお腹を回すが、小刻みなリズムについていくのがやっとながらも、振り返ればピラティスの胸郭と骨盤の分節的運動かな…と、頭では理解しつつも、体は動かぬもどかしさ。騎馬民族の動作の名残か、小刻みな鼓動の中で体幹の波動を体感。クライマックスでダンサーが頭にサーベルを載せて踊るその様は、進化身体で共読した中西メソッドのペットボトルの如く、頸椎と頭の位置調整。
ベリーダンスの妖艶な余韻の中、デーツのパイと乳飲料アイランでお口直し。乾燥により濃縮された重厚な甘みは心地良い疲れを癒し、酸味と塩味がその場をリセットする。ゲイメという名のどこか懐かしい煮込み料理は、バスマティライスの香ばしくも軽い味わいと調和して、その場の空気も一体感。〆のデザートはシェルベットで、気がつけばあっという間のお開きの時間。腹も心も満たされて、トルコ料理の底知れなさ恐るべしと日暮里を後にする茶人達でした。
春潮にたとひ櫓櫂は重くとも 高浜 虚子
虚子の詩と共に春の海へ出航するように、身体多面体茶論の第2期がスタートした。
今期は昨期のテーマにも睨みを効かせつつ、メディア身体、数学身体、道具身体という新たなテーマに取り組んでいく。
文:薫茶人(身体多面体茶論)
アイキャッチ画像:身体多面体茶論×山内貴暉
【多読アレゴリア:身体多面体茶論】地に足つけてスッピンでいこう!(イベントレポート編)
https://edist.ne.jp/post/allegoria_shintai06/
【多読アレゴリア:身体多面体茶論】其儘身体尽し
https://edist.ne.jp/just/allegoria_shintai05/
身体多面体茶論④:「身体」を読む(資本主義身体編)
https://edist.ne.jp/just/allegoria_shintai04/
身体多面体茶論③:「身体」を読む(美食身体編)
https://edist.ne.jp/just/allegoria_shintai03/
身体多面体茶論②:「身体」を読む(進化身体編)
https://edist.ne.jp/just/allegoria_shintai02/
身体多面体茶論①:「身体」を斬る(導入編)
身体多面体茶論
一番近くて遠い"未知の身体"を動く・食べる・賭けるを通じて編集していく。「体は本であり、本は体である」ことを多面的に取り出していく実験的なサロン。
【多読アレゴリア:身体多面体茶論】奥深い声の世界、茶人は赤ちゃんに還る
身体多面体茶論は、様々な切り口で身体実験を繰り返す集団だ。己の身体に新たな可能性を拓き、その限界を超えていく。 3月の夜は、妖しく美味しい日暮里のレストランでベリーダンスに挑戦。身体がイメージをマネージできず、悔しさ […]
「身体の再編集を尽して、遊ぼう」 身体はあらゆる地のもとで違った姿を見せている、目的であり、手段であり、モノであり、コトである。 生まれたときから付きまとっている身体、なのに我々はそれについてほとんど知らないのだ。 […]
【多読アレゴリア:身体多面体茶論】地に足つけてスッピンでいこう!(イベントレポート編)
「身体の再編集を尽して、遊ぼう」 身体はあらゆる地のもとで違った姿を見せている、目的であり、手段であり、モノであり、コトである。しかし、生まれたときから付きまとっている身体、我々はそれについてほとんど知らないのだ。 […]
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。