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おしゃべり病理医 編集ノート - 不要不急の定義
- 2020/06/09(火)11:11
「不要不急のことしかしてこなかった松岡です」
HCUの最終講義の冒頭で、松岡正剛はさらりとそう言う。めちゃくちゃかっこいい。わたしもいつか胸を張ってそう言ってみたい。
解剖学者の養老孟司さんは、長い間、自分の仕事は不要不急なんじゃないかと思っていたそうだ。臨床医にならず、解剖学の道に進んだ先生はずっとそういうコンプレックスを抱えていたらしい。不要不急かどうかは自分が決めるしかないと発想を転換するまで時間がかかった。養老先生でさえそうなのかと思った。自分のやっていることに価値を見出していかないと自虐のスパイラルから脱却するのは難しいと思う。
パンデミックが起こり、医療従事者というだけで大変ですねと言われた。そのたびになんとなく恐縮した。病理診断が不要不急だとはぜんぜん思わないけれども、救急の現場の「急」に比較すれば、目の前に患者さんがいない分「不急」である。医療現場ではつねに感染のリスクがつきまとうが、ずっとオンラインで自宅に籠って仕事をする方が大変そうだと思っていた。新緑が眩しく、きりっとした空気に満たされた早朝に、自転車を飛ばして病院に行くのは爽快ですらあったし、帰宅すると自宅自粛中の家族とまるちゃんが賑やかに出迎えてくれるのはとても幸せであった(まるちゃんはこの1か月ですっかり散歩嫌いになってしまった。散歩に行こうと誘うと目を逸らしてゲージに籠る)。
さまざまな日常のあれこれが削られ、その方法も変更を余儀なくされたことで、これまでの生き方を見直す機会になった。今までいろいろなことを不要不急と無意識にみなして大切にせず、ないがしろにしてこなかっただろうか。たとえば、子どもや主人や母の話にじっくり耳を傾けること。娘と一緒にご飯を作ること、時間をあまり気にしないで本を読むこと。ふだん会えない誰かに心を込めて手紙を書いたり、メールを出すこと。いつもいつも忙しさにかまけてやっつけるようにこなしてきたのではないか。色々なことを丁寧にやってこなかったのではないか。
女性医師、働くママのキャリアアップについて質問されることが少なくない。しかし、時間がないのはわたしだけではないと思う。子育て以外に介護や副業で多忙な日々を過ごしている人も大勢いる。
毎日あっという間に時間が過ぎていく。母としていたらないなぁと反省するとその言い訳を仕事に求め、仕事に対しての姿勢が徹底していないとなると子育て中だからと思う。仕事も子育ても色々な波風があり、いつもどっちづかずの自分に腹が立ったり、「中途半端なたくさんのわたし」がありすぎて自信を無くしたりする。それでも時間がないから、つねに、何らかの役割に逃げる場を見出して、急いで日々を生きてきたように思う。色々なことを雑にこなしてきているために、何がいまのわたしにとって不要不急なのかもわからずに来てしまったのではないか。色々と自問自答してみる。
働くパパのながせくんは、お子さんを預けていた保育園がしばらく休園になると伝えられ、働き方の変更を余儀なくされた。ここで再認識したのは、多くの保育士の先生方も働くママであること、そして、病理医ながせくんと、パパのながせくんは物理的には共存できないこと、という至極当たり前のことであった。当たり前だったことは、当たり前じゃなくならないと気がつかないということにも気づいた。
みなさんもそれぞれの仕事や抱える事情の中で、不要不急の再考に迫られ、きっと同じような自問自答の時間を過ごしているのではないかしらと想像する。否応なく、所属する組織や政府が求めてくる不要不急の定義づけと、自分のそれとを再照合するという作業も必要になっているのではないだろうか。ただ、自問自答なんてしている場合ではないほど生活が逼迫している方も少なくないと思うと、あれこれ考える余裕があるだけでも幸せかもしれない。
ながせくんとわたしの勤務する大学病院では、診療、研究、教育の三本柱、すべてをまんべんなくこなすように求められる。この3つの仕事以外はすべて不要不急とみなされると言ってよい。研究に関しては、論文という実績にならなければ、講演だろうと書籍執筆だろうとほとんど仕事とみなされないのが現実である。
わたしは論文を書く暇があったら、別のジャンルの本を読んで新しい思索にふけって、そこで得た知見をヒントに編集工学を使って新しいことを試みたいと思ってしまう。その時点で勤務医としてはかなりの異端となる。職場の先輩方は、おぐちゃん、早く論文を…と言う。不要不急なことばかりしていないで、やるべきことをやりなさいと。でも、わたしの人生にとって、やるべきことって何だろう?組織の不要不急基準に、漫然と自分を合わせて何も疑問を持たなくていいのか?そう感じるなら組織に所属していることは甘えなのか?たくさんのわたしは自分のいろいろな問いにその都度違った答えを見出すので、けっこう悶々とする。
松岡校長や養老先生のように不要不急なことしかやってこなかった、あるいは、不要不急かどうかは自分で決めるんだ、という境地に達するのはまだまだ遠い先のようである。もしかしたら、死ぬまでいろいろなジレンマ(でもきっと本質的ではない)に心揺れて過ごすことになるかもしれない。
新しい価値を創造していくということは、世の中の、あるいは自分が所属する組織やコミュニティーにおける「不要不急という常識」をどこかで乗り越えていく覚悟が必要なんだろう。それは、外出自粛のさなかに飲み歩いてみるとか、体調が悪いのに無理に外出するというようなことをいうのではない。ヒントは最近の千夜千冊にある。
自粛は自縮ではない。それぞれが粛然としなければならない。たんに粛然とするのではない。「粛」は聿(いつ)と規(き)に従って、しかるべき文様や画文を描くことをいう。文様や画文とはヴィジョンのことだ。それを自発させるのが自粛だ。
問題はその「粛」による文様や画文をどういうものにするかである。グローバルスタンダードな画文であるはずがない。わかりやすければいいというものでもない。粛然は多様を生むべきだ。できればコンティンジェントな別様の多様性を企むべきだ。
1741夜『免疫ネットワークの時代』西山賢一
おそらく、社会の多くの人も間違いなくわたしも、この文様や画文をいまだ描けていないのだろう。それがこの強制された自粛生活の中で、表沙汰となった。ヴィジョンがはっきりしないのだ。
ここでのヴィジョンは、それぞれひとによって異なっているものだけれど、個々の用事の達成目標のもっと上にあるものであろう。つまり、個々の用事をつないでいく、生きるうえでの思想みたいなものだろうか。「こう生きていきたい」というやわらかく大きな目標みたいなもの。
吉村堅樹林頭に、講義だとか企画の相談をすることがよくあるが、[破]で学ぶプランニング編集を活用するためには、まず、クライアント用のものを考える前に、自分用のものを作るといいですよとアドバイスされる。そして自分用のものには、目の前の企画を思想レベルとか世界レベルに拡大したハイパーなターゲットを掲げておくと良いですよと。
アドバイスされた当初は、正直ぴんとこなかった。切実でなかったのかもしれない。でもこの状況になってよくわかる。日々の細々とした用事が将来的にどんなことにつながっていくのか、大きなヴィジョンがあるのとないのとでは、何かを企画するうえでの必然性や説得力は違ってくる。セレンディピティに対する感度にも影響する。
何かを夢中に探していると、
新たな発見に出会うことがある。
偶然性と察知の能力がどこかで結びつくとき、
新たな創造性が発揮されることもある。
これがセレンディピティである。
1304夜『セレンディピティの探求』
わたしは、セレンディピティの感度をつねに高めて、新たな発見に驚いていたいと思う。病理診断の魅力を、新たな発見の驚きとともに幅広く世の中の人々に届けたいし、そういったことを教育の現場にも提供していくことに挑戦し続けたいと思う。
自分のヴィジョンを再確認すると、子育てと仕事という小さな役割の違いというものが気にならなくなってくる。むしろそれらが相互に関係しあっているという当たり前のことにも改めて気づき、自然と何が不要不急であるかを自分の力で判断していくことができるように思う。できるようになりたい。
既存の組織における評判をどこかで求めているのかもしれない。評判を求めていては新しい価値は創れない。わたしも、粛然として多様を生み出したい。自分にも大切なひとにも、そして、社会にも必要なんだ、と、自分が信じるものをひたむきに追求してみたい。そういうやわらかい強さがほしいなといつも思う。
自粛