苗代主義と医学教育◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:小倉加奈子

2024/05/11(土)09:30
img NESTedit

医学知識が2倍になるまでにかかる日数を調査した研究がある。1950年頃は、50年かかっていた試算が、私が医学部を卒業した2002年ころには5年、そして2020年の段階ではどうなっていたか。──なんと、73日である。

 

講義形式で、「新しい医学トピック」を医学生に教えることはもはや意味がない。これだけ温故知新の新陳代謝が活発になり、ファストフードよろしく、「わずかなエビデンスであっても誰よりも速く!」と大規模研究レースに巻き込まれる“ファストファクト”時代において、その価値観を教育現場に還元していくと、何も育たなくなるだろう。

 

 『見立て日本』に、「苗代」というコラムがある。苗代は、日本独自の方式であり、知恵である。グローバル・スタンダードなシーズやコードを海外から取り入れても、それをいったん日本の風土や仕組みの中で選別編集すること。松岡校長は、これを「苗代主義」といったらいいと思う、という。私もそう思う。今の医学教育の現場も、あまりにも欧米のグローバル・スタンダードが良いと思い過ぎている。そのまま導入しようとし過ぎている。“たらこスパゲッティ”のような医学教育が必要だろう。

 

アメリカでは、大学を卒業した後にメディカル・スクールがある。つまり日本の大学院の位置に医学部があるわけで、その教育方法をそのまま日本に導入しようとしても、学生のバックグラウンドが全く異なるのだから無理がある。人間という摩訶不思議な存在、カラダとこころが複雑に絡み合う営みに真っ向勝負しなくてはならない医師を育てるには、十分な時間が必要である。医学知識を詰め込み、マニュアル通りの診察技法を身につけるだけでは、生身の患者さんに対応することは難しい。

 

苗代と聞いて連想されるのは、私の場合、やはりイシス編集学校の教室である。苗代という言葉が私の頭の中で、“稲作関連の言葉”以上の広がりを持ったのは、ついこの数年ほどのことだと思うのだが、私の苗代のアーキタイプは、まさに師範代が大切に育てる小さな10人単位の教室なのである。

 

発足から1年が過ぎたMEdit Lab。活動が少しずつ大学内で認知され、面白いと思ってくれた医学生10名弱が集まって「MEdit Lab学生部」ができた。ちょうどイシス編集学校の教室と同じくらいの人数である。月1回集まって、雑談をしたり、企画を考えたり、お手製のボードゲームをテストプレイしたり、先日は、『情報の歴史21』の歴象データ集めも手伝ってもらった。ゲームマーケットに“遠足に”行ったりもした。ささやかな活動を少しずつ積み重ねている。

 

千夜千冊1502夜『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』では、松岡校長がクラブとサロンを作るにあたって重要なことをたくさん提示してくれている。

 

「クラブやサロンには二つの特質がなければならないのだが、それが薄れすぎている。ひとつは、特定少数の参加者からすべてを始めて、それをゼッタイに不特定多数にさせないということだ。」

 

MEdit Lab学生部で行われている活動も、特定少数の個性豊かな参加者たちからはじまっている。マンガ、イラスト、東洋医学、リベラルアーツ、ラグビー、公衆衛生、政治等々。興味があること、はまっていることはぜんぜん違う医学生たち。たしかにやみくもに認知度を上げようとするのは意味がないだろう。不特定多数に刺さることは平均化を目指すこと。ひとたびそれを目指すとSNS社会の中であっという間に消費されてしまうだろう。

 

「クラブとサロンに特有の「ツールとルールとロール」(ルル3条)を用意するということだ。」

 

MEdit Lab本体は、病理医のしんしんと私、エディターの金くん、デザイナーの佐伯さん、そしてライターのウメ子ちゃんと、ロールの特徴は際立っているし、ツールもルールもだいぶ進化してきた。ボードゲームづくりをテーマにしたRPG的教材もだんだんと形になってきていて、ルル3条も多層化してきていると自負している。

 

MEdit Lab学生部のルル3条は、これからだ。でも急いではいけない。活動は、まだぼんやりしているし、すぐに形になるわけでも、役立つわけでも、研究につながるわけでもないのだが、ゆっくりで小さいのがいいと思う。学生部のみんなが医師になっていく準備を徐々に整えながら、実りの秋を迎えるまで、その成長を見守りたい。

 

この苗代は、“少数なれど熟したり Pauca sed Matura”となって、医学教育を変えるかもしれない。苗代主義は、ひそかに過激な方法論なのだ。

 

ーーーーー

◢◤小倉加奈子の遊姿綴箋

 クリスマスを堪能するドクターたち(2023年12月)

 漢方医学という方法(2024年1月)

 苗代主義と医学教育(2024年5月)(現在の記事)

 

◢◤MEdit Lab

   MEdit Lab 順天堂STEAM | LINE 公式アカウント

 

◢◤MEdit Lab学生部の活動

 自作の医学ボードゲームで遊ぶ!【第1回MEditカフェ開催報告】 | MEdit Lab

 バナナの病理診断、ついにゲームに!【第2回MEditカフェ】 | MEdit Lab

 ゲームマーケットへ遠足♪【MEditカフェ第3回】 | MEdit Lab

 

◢◤遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは?

ーーーーー

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

  • 【追悼・松岡正剛】圧倒的に例外的

    「御意写さん」。松岡校長からいただい書だ。仕事部屋に飾っている。病理診断の本質が凝縮されたような書で、診断に悩み、ふと顕微鏡から目を離した私に「おいしゃさん、細胞の形の意味をもっと問いなさい」と語りかけてくれている。 […]

  • 漢方医学という方法◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:小倉加奈子

    干支は、基本的に中国やアジアの漢字文化圏において、年・月・日・時や方位、さらにはことがらの順序をあらわし、陰陽五行説などと結合してさまざまな占いや呪術にも応用される。東洋医学の中でも「中医学」は、主にその陰陽五行説を基盤 […]

  • クリスマスを堪能するドクターたち◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:小倉加奈子

    ◆メス納め?ガス納め?   365日、年中無休の医療機関。クリスマスも正月もない、というイメージをお持ちの方が少なくないと思うのですが、年末の院内行事はかなり華やかです。コロナ禍ではさすがにそんな余裕はありませ […]

  • コンティンジェントな旅の物語を【おしゃべり病理医73】

    現在、MEdit Labでは、高校生たちに医学をテーマにしたボードゲームづくりを体験してもらっている。私が書いたコラムに「いいね!」してくれた、ただそれだけを伝手に、強引にもお近づきになった山本貴光さんが、ずっとこのワー […]

  • 君のクイズを日常に-アブダクション考-【おしゃべり病理医72】

    ◆アブダクション・ブーム   イシス編集学校で学んでいると、編集学校内で当たり前に使われてきたキーワードが、世の中でにわかに取り上げられ始める、ということがよくある。“編集学校あるある現象”の筆頭にあがると思っ […]

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025