エ・クリ?エ・クラア!花綵にまねび、震えよ【180回伝習座】

2025/10/12(日)08:00 img
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ヒキブリ?タマフリ!

 

 9月27日の昼下がり、本楼は三線(サンシン)の音色に包み込まれていた。

 

 イシス編集学校オンライン公開講座第180回伝習座に登壇した文化人類学者・今福龍太はゆったりと語っている。そこへお囃子ロールの左近・金宗代と右近・小島伸吾が合いの手を入れ、次の話題への起爆剤を投入していく。

 金は、松岡正剛から「代将」の名を授かる遊刊エディストの副編集長であり、「多読スペシャル今福龍太を読む」ではお題を担当。小島は、イシス編集学校の中部支所「曼名加組」の組長であり、今福龍太が監修する多読アレゴリア「群島ククムイ」のメンバー。二人とも今福龍太を知りつくすこのうえない囃し手だ。

 

左近:松岡正剛は、若い頃からアイデンティティの違和感をもち、そこから「たくさんのワタシ」を引きだしていきました。

今福:うんうん、私の奄美自由大学の原点もそのあたりで松岡さんとつながります。そして、里英吉(さとえいきち)さんの三線との偶然の出会いも「たくさんのワタシ」へと誘うきっかけになったのです。

 

 里の奔放な唄と三線の響きに惚れ込み弟子入りした今福は、奄美大島の浜辺の昼寝小屋に数年間通い詰めたという。

 

 今福が、里の三線から全身で「まねび」得たもの。例えば調弦。

 里は、毎朝その場の空気に合わせて調弦する。調子の加減は、決して一律の固定されたものではない。自然の道理に寄り添ってその日の最適解を導いていく柔軟な仕組みなのだ。

 

 

 今福が本楼で披露した音色は、30年来使い込まれた三線を試した里英吉が「これは響きがいいからどんどん音がでる」と弾く手が止まらなくなり、真夜中まで延々奏で続けたときのもの。三線に宿る唄の魂と英吉の肉体が連動して共鳴するヒキブリ(弾き狂り)な状態を偶然録っていた。

 

左近:人間のありよう、狂うというかダイナミックなものを感じますね。

右近:まるで三線に引っ張られて狂ったようにのめり込むただものではない、子どものような本能的な営みとのつながりを連想します。

今福:そうそう、子ども。子どもの時分の純真な感動と<震え>が重なるんですよ。三線の音色に同調した英吉が依代(よりしろ)となって、その場に「魂(タマ)フリ」の儀式の場が立ち上がったのです。

 

 里英吉が体現した自然の道理と人が感知する仕掛け、今福はそこに「群島的思考」のイメージを見出したのだった。

 

采(花・房・縁・綱)?憲法!

 

 今回のテーマは「花綵列島の新たなる憲法」。

「花綵列島」とは、花を編んだ綱のように島々が弓なりに配列している列島を指し、日本列島を見立てている。

 

右近:台湾島を飛行機の上から見たとき、森がうねるような感覚になりました。街なかにもガジュマルの樹があって、島に繁茂する植物のエネルギーを思い切り感じていましたね。

左近:花をむすんでつくるものから思い浮かぶのはハワイ島のレイかしら。

今福:レイは、もともと首のまわりに子どもが抱きつく様子を模したものでしたね。では、「花綵」を文字というより音で集めた類義語から言葉をひらいて並べていきましょうか。

 

 ポイントは草木の実を採取するという字を示す「采」からの連想だ。花綵から花房へ、房飾りから縁へ、綾につなぐ綱からめぐりめぐって憲法へ。言葉と音と「もの」のつながりを捉えることで、そのおおもとを照らす手すりが得られる。そして、「花綵」と「憲法」はひとつなぎに編まれ、ゆるやかに弧を描いていることが顕わになっていく。

 

今福:ことばあそびが、リニューアルのきっかけになるんですよ。

左近:音が近いということで連想するだじゃれ感覚が大切なのですね。ふむふむ、花綵(はなづな)の「つな」は「つなみ」に通じる。「つなみ」は陸と海の境界で起こる。

右近:なるほど。「災害と花綵列島」。地震で地面はいつも震えているわけだ。

 

テキストのおおもとを語り説く今福龍太の映像と声が重なる。

多重露光の仕掛けはレジュメの被写界深度を深め新たな可能性を示唆する。

 

まねび?曲がり!

 

「花綵列島」の縁を航行する今福龍太の連想は、さらに拡がっていく。

 

 作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、『ボルヘス・オラル』のなかで「古代ギリシャの格言”Scripta manent verba volant(文字は残り、声は飛び去る)」について、「プラトンもピタゴラスも、書かれた言葉は長く残るがしょせんそれは死物でしかなく、口頭の言葉には羽が生えており、弟子たちの心のなかで自由に舞い踊る、と考えていた」と語っている。

 

 今福は、この不意を突かれる一文に着目する。

 

 ボルヘスは、表面的には書かれた言葉の永遠性を肯定しているが、裏を返せば文字になることで言葉が固定化され自由度を失っているという書物の限界点を顕わにしたのだった。この書物のパラドクスを受け止めたうえで、書物の言葉に音や声を重ねることで、裏側にあるモノをひきだし、より濃密な言葉のエネルギーを得られる可能性を示唆して、そこに希望を託した。晩年盲目となってからも一切めげることなく視覚以外のすべての身体感覚を駆使して書物を「読んで」いたボルヘスだからこそ言い切ることができたのだろう。

 

 そして、今福龍太は『私たちは難破者である』で示した「群島響和社会〈平行〉憲法」第七稿で「声」をとりあげている。書かれた言葉を情報やデータの列記に留めるのではなく、音や声に出してはじめて言葉に内在する「モノ」=実践的な存在を私たちの心のなかで具現化できる、とうたう。

 

 観念ではなく具体的な声を与えられたことばだけが、森羅万象の叫びやつぶやきとしての物質言語と連帯=共鳴しながら、智慧を過去から未来へと伝達する最終的な媒体となるのである。 

 (群島響和社会<並行>憲法第七稿より)

 

 群島憲法第十稿「真似び=学び」では、「花綵列島」に生きる私たちのめざすべき方向性を明示している。すなわち、高度なミメーシス(=創造的なまねび)を重ねて、「曲げ」(=自身の固有の智慧と技をつくりだすこと)の創造をめざす姿だ。

 

島々の森羅万象のなかにあまねく存在する「師」の声や身振りや存在原理を見よう見まねによって模倣し、曲がりに曲がりながら「倣(なら)う」ことによって、自身の固有の知恵と技とを創りだしてゆく深く身体的な「習(なら)い」の道を切り拓いてゆかねばならない。

 (群島響和社会<並行>憲法第十稿より)

 

 この憲法は里英吉との学びに震えた今福の声でもある。

 

 三線の群島的思考や采からの連想、ボルヘスの視覚なき身体的読書といったたくさんのアナロジーの裏側には、[守]の38のお題、[破]の4つの編集術の言葉に込められた松岡正剛校長の想いを読みとり、師範代自身の「曲がり」を養うための「習い」の方法が潜んでいた。

 

エ・クリ?エ・クラア!

 

 クレオールが多く住むカリブの島マルティニックの1930年代を描いたフランス映画『マルティニックの少年』に、主人公の少年が長老の昔語りを熱心に聴くシーンがある。合言葉を掛け合うと二人のあいだに「語りの共鳴場」が立ち上がり、少年は嬉々として語り部による物語を学びはじめるのだ。

 

 「エ・クリ?」

 「エ・クラア!」

 

 今福龍太と56[守]・55[破]を担う師範と師範代は、伝習座前半の中締めにクレオールな合言葉を交わしあった。各教室ではじまる指南の方法をめぐる新たな物語に心ふるわせながら。

 

右近:一連のお話を聞いた今、これは祭りの後が大事だということを実感しました。

左近:映像、音楽、語り、など今福さんでないとできないスタイルで師匠から伝わったことを披露していただきました。これは編集学校の[守][破]での「学びの場」に通じるものがありますね。

今福:「学びの場」で習い、まねび、感じ震えるなかから、ことばの根源はひらかれ、「語りの共鳴場」を生み出し、創造できるのです。

  

 かくして、左近・金宗代と右近・小島伸吾は、今福龍太号の舵を巧みに操り、ウズやツナミを乗り越えて「花綵のまねび」を後半の部へと曳航していったのである。

 

 

 (文・写真/細田陽子)

 

◇◇◇

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  • 細田陽子

    編集的先達:上橋菜穂子。綿密なプランニングで[守]師範代として学衆を全員卒門に導いた元地方公務員。[離]学衆、[破]師範代と歩み続け、今は物語講座&多読アレゴリアと絵本の自主製作に遊ぶ。ならぬ鐘のその先へ編集道の旅はまだまだ続く。