イシス・ジェネシス OTASIS-16

2020/06/18(木)12:28 img
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 1999年7月7日の夜、とつぜん“それ”は始まった。「編集工学研究入門-01」とタイトルされたA4にして4枚ほどのテキストが、編集工学研究所・松岡事務所の全スタッフのパソコンに配信されたのだ。松岡正剛の完全書き下ろし、冒頭に「001-01 編集思想というものは、本来《自由》をつくるためのものです」とある。つづく「001-02」で、「自由」には「freedom」と「liberation」の二つがあるということを簡潔に解説、「そのことをただちに英語辞書で調べなさい」とやにわに指図し、「余裕がある者は語源辞典も当たれ」とも促している。

 

 すわ一大事、スタッフは競うようにして所内の辞書辞典の棚に走る。大部な英和辞書や語源辞典を手にできた者も、出遅れてコンパクトな辞書しか手にできなかった者も、いっせいに「freedom」と「liberation」の意味や語源を調べあげ、キーボードで打ち込み、「コミュニテ・メーカー」に新設されたスタッフオンリーのラウンジに成果を報告しあっていく。「コミュニテ・メーカー」はヘンコウケンが開発し、そのころ各地で実証実験を進めていた電子会議室システムである。

 

 松岡のテキストは、編集と自由の関係についてさらに解説を深めながら、「自由を大きく構成する方法と、ちょっとした隙間から自由を拡張する方法」の違いについて述べ、その隙間拡張型自由の感覚を掴むために、今度は「『枕草子』の“小さきもの”の挙げ方を原典にあたって調べなさい」と指図する。いまだ辞書の棚でうろうろしている者をおいてけぼりに、先頭集団がわれがち先に日本古典文学の棚をめざす。それぞれ抱えている仕事の〆切も納期もそっちのけで、すっかり夢中になっている。

 

 この七夕の夜、何か前代未聞のことが始まるということは、松岡によってそれとなく予告はされていた。

 

 それより1ヶ月前、われわれは目黒区青葉台のマンションの一隅に構えた仕事場から、赤坂稲荷坂上の一棟貸しの4階建てビルに、そのころは4万冊とも5万冊ともいわれていた蔵書とともに移転したばかりだった。「新居」と呼ぶには築40年近いかなりのおんぼろビルであったが、そのぶん好き放題に内装工事を施し、全館にネットワークを張りめぐらし、坪庭に穴を掘って金魚など育て始めたりもし、一方では一時中断していた仕事を再開しつつ、全員がかりでフロアーごとに特徴のある書棚を組み、来る日も来る日も本を並べ続けた。

 

 松岡とともに親しんできたこれらの蔵書を武器に、ネットワーク時代を先駆する編集軍団たろうという気運がいやがうえにも高まっていたのだ。すでにこの前年、松岡はヘンコウケンとともに、インターネット上に相互編集コミュニティを構築する「編集の国」構想を立ち上げ、経産省肝いりの新プロジェクトとして編集工学を応用した教育ソフトの研究開発などにも着手していた。また96年に上梓した『知の編集工学』につづく「ちのへん」第二弾として、講談社現代新書から出す編集工学の入門書も着々と準備していた。

 

 そのようななか、“それ”がいきなり始まったのである。一丸となって無事に大引っ越しを終えたスタッフたちへの労いもあっただろうが、おそらく編集工学のさらなる“進軍”のために、一足飛びにスタッフたちの理解とスキルを向上させたいという松岡の宿願から生まれた乾坤一擲だったのだろう。あるいは「編集の国」や教育ソフトの開発の方向性を探るための実験という意味もあったかもしれない。

 

 理由はどうであれ、スタッフたちの無我夢中は松岡をたいそう喜ばせたようだった。わずか3日後には「編集工学研究入門-02」が配信された。今度は冒頭でハンナ・アーレントの「古代ギリシアから“勇気”を学ぶべき」という言葉が紹介され、そこから古代ギリシアの概念編集の構造解説がめくるめく展開されていく。そのまた4日後には「03」が、3日後には「04」が、という調子でほぼ3~4日おきに次のテキストが配信され、「西洋の概念工事においては《する》が重視されるが、日本においては《なる》が重視されてきた」というような話を挿しはさみながら、アリストテレスの方法論をぐいぐいと深堀りしていく。そのあいだに、本に当たって調べたり、それをもとに考察したりする指図がふんだんに連射される。

 

 私も、小集団のなかでなら一等賞を狙わずにいられないという生来の負けん気を発揮し、テキストに食らいつき指図に答え続けた。とりわけ、アリストテレスの「テオリア」とともに「テロス」を考察するというお題に燃え、そのうちに指図されたことだけではあきたらず、似たような器質の数人とともに「三段論法」に深入りし、バルバラやらケラントやらフェリオといった「型」を試技しあう自主稽古にも勤しんだ。けれども、次から次へと連打されるテキストと指図がこなせずに、落伍していくスタッフも出始めていた。松岡には不本意だったろうが、だんだん配信リズムが手加減されるようになっていった。

 

 「編集工学研究入門」の配信は、開始と同様に、終了も唐突だった。ヨーロッパのロゴスの生成史を終えて、ミュトス(物語)の誕生にさしかかったところで、中断されてしまった。「スタッフが夢中になりすぎて、本来の仕事をまったくしていない」というゆゆしき事態があからさまになりすぎ、不穏な空気が流れはじめていた。さすがの松岡もこれ以上の継続は危険と考え断念せざるをえなかったのだろう。「本来の仕事」よりも「研究入門」のほうが大事ではないかと拗ねたくもなったが、テキストが配信されなければ、それ以上学習や稽古を続けていく手立てもない。

 

 がっかりしているスタッフたちを尻目に、松岡は講談社現代新書の編集工学入門に多種多様な「お題」=「編集稽古」を入れるというアイデアを思いつき、今度はその構成編集に没頭していった。タイトルも『知の編集術』と決定し、「研究入門」の中断からたった4カ月後の2000年1月に完成し、発売された。「編集は遊びと対話と不足から生まれる」「編集は照合であり連想であり冒険である」というモットーに沿って、「64編集技法」や「編集八段錦」などの編集工学の要諦が全28問の多種多様な「編集稽古」をともなって、惜しげもなく開陳された(同じ1月に、「イシス編集の国」がインターネット上に“開国”、翌月「千夜千冊」連載も始まっている)。

 

 この『知の編集術』の「編集稽古」を「コミュニティ・メーカー」(現在はバージョンアップされ「エディットカフェ」)に乗せたらどうかというアイデアがイシス編集学校誕生のきっかけになったことや、そこから半年もしないうちに入門コース「守」と応用コース「破」がリリースされ、あれよあれよというまに松岡が「ぼくが産み出したもののなかでもっとも出来がいいもの」と絶賛するほどの、充実した相互編集・相互学習の場に成長していったという、すでに各方面で語られている伝説的な話は、ここでは繰り返さない。

 

 じつはイシス編集学校誕生の数ヵ月前に、「守」でも「破」でもなく、「離」の原型といえるようなコンテンツとスタイルの学習実験が、ひそかに編集工学研究所内部で行われていたことは、あまり表沙汰にはされてこなかった。残念ながら、スタッフたちの熱狂的意欲をかきたてすぎて、あっというまに終息させられてしまったという“黒歴史”を帯びているせいなのかもしれない。

 

 だが、イシス編集学校が20周年を迎えた今こそ、「守」や「破」が充実して「離」へと進化していったのではなく、あたかも宇宙開闢のようにとつぜん「離」が生まれ、そこからベビーユニバースのごとき「守」や「破」のたくさんの教室が生まれていったのだという、新しい「創世記」を語りはじめてもいいのではないか。ただしそのばあい、イシス編集学校で「離」が開講するまでに5年間もの「産みの苦しみ」があったという、いままで流布されてきた別な伝説との折り合いをつけねばなるまい。イシスの物語編集力が試されている。

 

 

おまけ:写真は、赤坂稲荷坂上に引っ越したばかりのころの書斎の松岡。ここに見られる書棚と机とランプと書院ワープロと小物たちは、20年後の現在の世田谷区赤堤イシス館の書斎でもまったく同じように配置されている。

  • 太田香保

    編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。

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