これでだめなら、日本は闇よ。日本を憂う女、幕末カノン教室の佐藤裕子が、イシス編集学校20周年の差し掛かりに登板した。時は令和元年秋、香港の一国二制度は崩壊し、首里城は焼失、海の向こうに渡った侍・イチローが大リーグを引退した。年明けにはコロナパンデミックが世界規模で迫っていた時期だ。
もはや待ったなし。師範に桂小五郎ならぬ桂大介を擁し、開講にあたり佐藤の決意は固かった。
「去る十月十三日、松岡校長には全国の十八教室の師範代がたを豪徳寺に集め、これについて、諮問遊ばされましたが、内々には同日、鈴木学匠が感門の詔書を教室に手交されし報らせも入っており、いまや国内を納める手段としては先手を打ち、かくなる方法より他はなし」。
黒船来航指南、薩長同盟指南、大政奉還指南、五箇条の御誓文指南、廃藩置県指南や、墨汁五滴指南など、本人はいたって真面目に熱烈に展開させ、佐藤の愉快な編集キャノンを浴びせられた学衆は、令和の志士となって巣立っていった。
しかし、佐藤はこれで落ち着く女ではない。離を退院後、すぐに速修師範代として再登板。現在、イシスの最後尾と荒くれは私に任せろとばかりに、48[守]しんがりスサビ教室の師範代をつとめている。松岡校長も「こいつが組織を変える」と太鼓判を押す佐藤裕子。これからなにをしでかしてくれるのか、その遊びっぷりを期待したい。