イシス人インタビュー☆イシスのイシツ【掘ってつなぐ森山智子】File No.8

2021/04/16(金)07:00
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≪証言①≫「なんと言っても松丸本舗の看板ブックショップエディター。彼女目当てに来店する客も多く、みなが憧れた」

≪証言②≫「着物編集で有名。黒の着物に金髪カツラで感門之盟に登場したこともある」

≪証言③≫「独特のセンスで松岡校長にも早くから目をつけられ、イシスにもファン多数」

 

会わずとも面影が迫るイシツ人は多いが、この人もまた格別。数々の噂がその印象を彩り、感門之盟での赤い着物姿とともにイメージを上書きする。

 

「あの感門で、イシスで学んだことが助けてくれたとあらためて分かりました。わたし、ここ2年ほど心を病んで籠っていたんです」

 

実際に相対したイシツ人は華奢で儚げで、鬱という言葉に引きずられ庇うように話を聞いてしまったが、勘違いも甚だし。話せば話すほど消え入りそうだった目の奥の光は強くなり、とんだ編集モンスターの復活に立ち会ってしまったのだった。

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【イシツ人File No.8】森山智子

 

20~21[守]師範、10[ISIS花伝所]錬成師範、4[離]。資生堂でSEを勤めたのち、好きで着ていた着物とシステムが「モジュールと構造」でつながることに気づき退社、着物エディター(※)の道へ。その後編集工学研究所にも在籍、松丸本舗ではブックショップエディターのリーダーを務める。再び資生堂の関連会社にSEとして再就職したが体調を崩し退社。〝面白そう〟とミーハー心だけで数寄の道を歩んできた数寄妖怪。辛口の林頭・吉村堅樹に「大好きな憧れの師範」と言わしめる編集妖術の持ち主。

 

(※:普段着に着物を取り入れる提案をするなど着物をOSとして編集するコーディネーター)

 

 

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モジュール①:システム 

子供のころ、考古学の道に進みたかった。兵庫出身で奈良に知り合いもあり、『飛鳥昔語り』などの漫画から有間皇子や大化の改新に興味をもち育った。でも「一生、土を掘っていられるのか?」という父の問いに立ち止まってしまった。うーん、お洒落もしたいし、キラキラしたものへの憧れも捨てがたい。

 

数学が得意で古文が好き。進路に迷ったとき、理系と文系双方の素養が求められるのが情報処理の分野だと知り、須磨の西にあった商科大学に進学した。基礎となるプログラミングの授業では、全てをコマンド指示しなければ動かないコンピュータに人間の感覚的思考との差異を感じ、引っかかりを覚えた。

 

時代はバブル前夜、86年に男女雇用機会均等法が施行され、女子大生がお茶汲み採用から解放され始めたころ。企業は情報のシステム化を迫られ、神戸西の端の小さな大学にも大企業から求人が届くようになっていた。

 

「時代の波にひゅっと乗れた感じです。コンピュータへの引っかかりはずっとあったんですけど、私すっごいミーハーなんです。大阪だったらぜったい御堂筋に本社がある会社に行きたかったし、東京銀座の資生堂なんてえーっ!て感じで」

 

人とコンピュータの感覚のズレを図解や見立てでひたすら埋めていく作業。めまぐるしいIT革命は95年にWindowsを生みだし、SEの仕事も激変する。業務やシステムを分節し、最新パッケージソフトの組み合わせを最適に構造化していくことがメインとなり、この頃からコンピュータへの引っかかりはシステムとモジュールへのイシツな関心に変換されていくこととなる。

 

◎結節点:ミーハー心

◆モジュール②:着物

考古学に憧れた同じころ、システムと並ぶもう一方の軸が芽生えていた。

クラスにお洒落な女の子がいて、なぜこの子は可愛く見えるのだろうとずっと考えていた。女性ファッション誌が絶頂期を迎え、独自路線で人気を博した『an・an』や『Vingtaine』に答えが変換されていることに気づき、記事のスクラップを始める。

 

「で、わかったんですね、全体に散りばめる部品の調和がお洒落感を醸し出すんやって」

 

   トーン別に整理されたスクラップ。

 

 

お洒落に目覚めた女の子のスクラップは稀有でないが、30年以上大切に持ち、仕様をアップデートし続けているのはイシツ。背景には自分が何を好きか掴んでいないと心を見失うという切ない後悔が込められていた。

 

「小学校のとき、すっごい好きな男の子がいてたんです。大好きで大好きで、中2のバレンタインに告白してお付き合いをすることになったんですけど、その子が校則違反をして停学になってしまって。そしたら『そんな子と付き合うなんて』と周りの目がこうわーっと。それで自分から、もうお付き合いできませんと言ってしまったんですね。私は何をやってるんやろう、周りがどう言うとか、人の言うことそのまま信じるとか、もうなしなし!って」

 

思い定めたらイチズ。心がどう感じるかが大事、ミーハーだって構わない、それまで以上にお洒落を掘り進めていくと、意外なもの同士がつながった。

Vingtaineに出てくるイタリアマダムには太刀打ちできないと洋服の限界を感じ始めたとき、友人の結婚式で着物姿の老女を見て強く惹かれる。その後アンティーク着物と出会い、衝撃を覚えた。

古い着物をベースに帯揚げや帯締めと言った消耗部品をヴァージョンアップさせ今に蘇らせていく着こなしは、まさにモジュールとシステムの関係。しかも構造化に徹することで洋服より自由にお洒落になるなんて!

 

着物とシステム。遠くイシツなもの同士をつなげた瞬間だった。

 

◎結節点:初恋の男の子

 

 

◆構造化:着物エディター→三冊屋→ブックショップエディター

勢いのまま退社し、着物エディターの道を進んだ。

書店でたまたま目にした松岡正剛校長の『おもかげの国 うつろいの国』(04年NHK講座テキスト)に背中を押され、いわば帯揚げに人生をのせ、帯とともによいしょと背負いあげた。

 

「着物はシステムだなんて言っている人は他に誰もいなかったし、それだけで何とかなると思っちゃったんですね。退職金で着物の産地を周ったり、着こなしの要である帯揚げを12色染めてもらったり。でも事業計画も立てられず、それで終わっちゃったんです」

 

 

雑誌をトリガーにモジュールを微細に構造化する着物編集。

 

 

着物を深堀りしていると悉く千夜にあたり、入門。[守]のミメロギアで、つながりそうにない遠くにあるもの同士をつなげるとき自分の心が一番動くと気づき、[破]の物語編集術で、換骨奪胎するから心が動くのだと分かった。

 

もう十分学んだと思ったものの、システム開発では常に順逆双方向の視点が求められることに思い至り、逆も面白そうだと師範代、師範となった。さらに編集工学研究所に誘われ、三冊屋→ブックショップエディター(BSE)へと突き抜けていく。

 

「よう分からんうちにBSEリーダーに任命されていて(笑)。でも着物で本屋に立てると聞いてミーハー心が動いたんやと思います。いつも、面白そうというだけで進んでしまって、けっきょく何者にもなれていないんです」

 

編工研でイシスフェスタや着物ワークショップを手掛けたのち、数寄を極めるにはもう少し稼がなければと、古巣の関連会社に再就職したが、職場にまつわるストレスから鬱病を発症した。

◆イシツ人によるフロー語り①:連想類推狂気(思考が働くまで)

このウツなるものは何かの情報を宿す力をもっている。〟

(『日本という方法』松岡正剛著/角川ソフィア文庫)

 

『インタースコア』で川野貴志師範との花綵対談が掲載されたのが、ちょうど再就職したころでした(P.186)。でも回しきれない物量とともに潰れてしまったんです、私。コンピュータがアベンドしたみたいに心も体も動かなくなり、処方された薬で常に頭に靄がかかって、生きているだけの状態が続きました。

 

このままだと脳が支配され続けるようで、薬を減らしつつ少しでも興味があることから動いてみようと東京国立博物館の『出雲と大和』展に出掛けたのが20年2月、何かきっかけが欲しかったんですね。そこから古代史や中国史の本を三カ月ほど読み流しましたがまったく頭に入りません。

 

ある日、宮崎市定の『古代大和朝廷』から連想が広がりそうな予感がして、思いつくままノートに単語を書き始めました。それまで休職申請書の3、40文字すら書けなくなっていたんです。市定は中国史からアジアを見た人で、一方現代中国の人が一番大切にしているのが「潮流に乗る」ことだと知りました。

 

一冊ではだめだ。ここは二冊で読まなくてはと別の本を探した時、「潮流に乗る」から粘菌に思いがつながります。粘菌って潮流に乗ってる、と思ったんですね。そこから粘菌研究でも知られる南方熊楠の『森のバロック』(中沢新一/講談社学術文庫)と二冊読みし、熊野→芭蕉→西行へと連想が進み、類推して調べてノートに書いて書いて書いて…。

 

自分の思考がなくなっちゃったので、本の流れを頼りに著者の思考の仕方を真似していったというのでしょうか。理解できないことがあっても組合せ爆発を恐れず連想を広げていくと、あるとき最適解にパッとつながる感じがあって、これは量子コンピュータの手法でもあったんですよね。

 

 

一冊から内藤湖南に、苔に、もののけ姫につながる。

 

 

 

◆イシツ人によるフロー語り②:おもかげうつしもどき(心が動くまで)

〝ウツという観念が正負にも、順逆にも、凹凸にも、内外にも、

その両方を往復して何かを動かす力をもっていた〟(同上)

 

ようやく思考は働き出してくれましたが、心が動く感覚がありません。

自然な流れで西行から万葉集にいったので、ひたすら和歌を写しながら歌人の心の動き方を類推していると、何かこう、奥にあるものを引っ張ってくるような感じがありました。

一日4時間位集中するようになり、ノートは13冊に。でも目的意識はなく、立ち上がってくる感覚を大事にしよう、その一点だったと思います。

 

人って面白いですね、書き続けているとアウトプットしたくなってくるんです。[遊]の風韻講座を韻去(修了)された方たちがエディットカフェのラウンジで連句をされていて、心をどんなふうに表すのか思い返す気持ちで仲間に入れてもらいました。句の言葉が選び抜かれていく感じが着物と似ていているなーと思っていたら、ある男性師範代が投稿した恋の拒絶の句にキュンキュンして悶絶し、それでやっと、心が動き出したのがわかりました。

 

いま思うと編集学校で学んだことや、SEとしてモジュールのつながりを図解していたことが、自分の深層や記憶のどこかでつながっていたんですね。

 

万葉集を写していたとき、「惜しき」という漢字に「あたらしき」とカナがふってありました。新しいものが入ってくると古いものは不要となるけど、そこに惜しき意識が働く。常に両方向を見る古代の多義性が、前述したコンピュータの双方向性ともつながります。

 

『古事記』の思金神(おもひかねのかみ)は複数のことを同時に合わせて思う神で、この方法は古来より日本人が大事にしてきた思考法です。現代は情報の在り方が概念化していますよね。私も思金神のように場や情報を多義的に見ながら、原初に近い言葉や連想の感覚で、いまを生きていきたいと思っています。

 

 

濃密に埋められたノートはいまも書き継ぐ。

【連記◎イシツ人と赤】

2年ぶりにイシスに復活登壇した感門之盟で、赤い着物を選んだ。着物エディターとして立ち始めたとき、最初に染めた帯揚げの色が赤だった。禁止されていた赤を纏えるようになった古人の高揚した気持ちを追体験しながら、心が止まり花隠れしていた際に最後まで消えなかった自分の中の「熾火」もまた、赤なのだと気づいた。

 

「熾火は私が[離]を受講したころに校長がよく仰っていた言葉で、焚き付けたら再び焔になりゼストが起こります。私の中にも熾火のように編集術が残っていたし、今日こうしてお話できたことで、囚われていた心が軽くなりました。

やりたいことは未だハッキリしていないんですけど、何が数寄かはシッカリわかる。自分の中を外部化して再びフィードバックをかけることで、数寄の芯も段々クリアになります。今後何があってもここに戻ればいいし、感門で拝見した皆さんのように、今後私もシュッとしてやっていけそうな気がしてきました(笑)」

 

 

赤は大切な色。思い出の帯揚げはたとう紙に丁寧に包まれて。

 

 

 

【これまでの連載記事】

≪File No.1≫宇宙人な桂大介

≪File No.2≫福田容子の伝説

≪File No.3≫矢萩邦彦の黒

≪File No.4≫ズレのネットワーカー福田恵美

≪File No.5≫”守”護神な景山和浩

≪File No.6》鏡の国の阪本裕一

≪File No.7≫シャーマンな西森千代子

 

  • 羽根田月香

    編集的先達:水村美苗。花伝所を放伝後、師範代ではなくエディストライターを目指し、企画を持ちこんだ生粋のプロライター。野宿と麻雀を愛する無頼派でもある一方、人への好奇心が止まらない根掘りストでもある。愛称は「お月さん」。