宮谷一彦といえば、超絶技巧の旗手として名を馳せた人だが、物語作家としては今ひとつ見くびられていたのではないか。
『とうきょう屠民エレジー』は、都会の片隅でひっそり生きている中年の悲哀を描き切り、とにかくシブイ。劇画の一つの到達点と言えるだろう。一読をおススメしたい(…ところだが、入手困難なのがちょっと残念)。

イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
荒井理恵さんが編集学校の応用コース[破]を終えたのは、2018年の夏のこと。結婚、出産を経、生活も変わったが、子供とのやりとりの中で、「編集の型」と出会いなおしたという。
イシス受講生がその先の編集的日常を語るエッセイシリーズ、「ISIS wave」の第24回は「母」の目線で切り取った「子どもとの日常」を荒井さんが活写します。
■■2歳半の娘との編集的対話
この世界に言葉が存在すると知ってから、娘は毎日「なあに」の雨を降らせている。にわか雨や、どしゃ降り、時雨のようなときもある。
1歳の頃は「これなあに」「それなあに」と目の前のモノの名前をポツリポツリと聞いていた。その度に「これはイチゴだよ」、「あれは救急車だよ」と答えていた。2歳半を過ぎてから語彙が急速に増え、質問はモノからコトへ広がっていく。「〇〇ってなに?」と意味を問うようにもなった。
――朝ってなに?
――明後日ってなに?
――上ってなに?
――行くってなに?
――空気ってなに?
――追い越し禁止ってなに?
――こだわりってなに?
――ゆきはこんこんってなに?
「それは…」と答えようとするが口ごもる。何度となく読み、書き、発してきた言葉をなかなか言い表せない。「なに、なに、なにー!」が止まない娘に迫られ、えーとうーんとうなっていると、編集の型がいるとふと気づいた。辞書の定義のような《コンパイル(編纂)》と自由に類推・想像する《エディット(編集)》だ。誰にでも通じる解釈を、2歳半の子に向けた答えに変換してみる。言葉の要素・属性・機能に目をこらし、あれこれ説明の着せかえをする。
――「朝」はお日さまがのぼって明るくなるときだよ
――「明後日」は寝て起きて、もういっかい寝て起きたらくるよ
――「上」は空のあるほうだよ
――「行く」はここからあのいすまで歩くってことだよ
――「空気」はみえないけどいっしょにいるものだよ
――「追い越し禁止」は追い越しが禁止、ではなくて並んで進もうねってことだよ
――「こだわり」は、今日はあのスカートがはきたい!ってことだよ
――「ゆきはこんこん」は、雪がこんこん降るってこと…こんこんってなんだ?
私の頭の中にも「なに」が降ってきた。調べると、童謡『ゆき』の歌詞は“雪やこんこ”で、“こんこ”の語源は来ん来、来い来いとされている。雪よ来いと囃す歌なのだ。
「なに」を追うと、自分が言葉をあいまいなまま使っていて、本当はわかっていなかったことがわかる。そして言葉の由来や類語を知りコンパイルすれば、意味のシソーラスが広がり、見方もエディットも変わっていく。
――「ゆきやこんこ」は、雪、降れ降れって呼んでるんだよ。たのしそうだね!
「エディティングは表現も思索も含んだ知の行為の進行形」という『知の編集術』の一文は、娘の「なあに」で初めて実感できた。子供ひとりにひとこと伝える。ちいさなことのなかにも編集がある。
[守]で学んだのは、いつでもそこにいる型。[破]で見つけたのは、世界の何もかもを自由に扱える手段。編集学校に入門して6年が過ぎ、結婚、出産、退職と日常は大きく動いた。関わる人・求める情報・向き合う問題も変わった。だが、編集の方法たちは今も変わらず、たのしそうな方へ手をひいてくれる。
娘は私の答えをじっくり聞くときもあれば、気にもとめずよそへ行ってしまうときもある。3歳を迎える娘の記憶からは、ほとんど消えてゆくだろう。それでも、たくさん降った「なあに」の雨が娘の言葉を育ててくれたらいい。単語を採集し、イメージを捕まえ、意味の図譜をつくる。言葉の森で遊ぶ娘の姿を、私は夢想している。
▲「なあに」は雨のように降ってくる。写真は「なあに」の主だ。
文・写真/荒井理恵(40[守]カイトウついつい教室、40[破]リテラル本舗教室)
編集協力/阿曽祐子
編集/角山祥道
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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コメント
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