DUST★STARこと、井ノ上シーザーが時事ネタに挑戦する。話題の事件や出来事を編集技法で読みとき、「い(位置づけ)・じ(状況づけ)・り(理由づけ)・み(見方づけ)・よ(予測づけ)」を応用してアウトプットする試み。井ノ上シーザーのニックネームはもちろん古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)に由来する。「カエサル」はカルタゴで「象」を意味するらしい。そこで連載タイトルは「有象無象」なわけだ。さて、どんな手際になるものやら…。第一回のテーマは、「アカデミー賞授賞式ビンタ事件」。さまざまな議論を誘っているよね。
◇◇
●――違和感が問いを突き付ける:
この事件、ウィル・スミスかクリス・ロック、どちらを支持するかといった議論(というより意見交換)がネットやテレビでされていたけど(今でも続いている)、シーザーは「おいおい、そんな単純なものかよ」と眉をひそめている。まあ、SNS時代らしいけどね。
●――あと味の悪い事件のアトサキ:
米ロサンゼルスで行われた第94回アカデミー賞授賞式(2022年3月27日)で、妻ジェイダ・ピンケット・スミスの容姿がジョークのネタにされたことに激高したウィル・スミスが、プレゼンターのクリス・ロックを平手打ちした。翌日のインスタグラムで、ウィル・スミスはクリス・ロックに謝罪をして、ついには映画芸術科学アカデミーを退会することになった。
●――二軸四方で与件の整理:
この議論は「どちらかが悪い」という決着がなかなかつかず、長引いている。世間の評価を分類をしてみるとこんな風だろうか。
▲ウィル・スミスークリス・ロック、好感―嫌悪で軸を引き、二軸四方の型であらわしてみた。
評価A:
「公衆の面前でビンタをされても冷静なクリス・ロックは尊敬に値する。」
評価C:
「ウィル・スミスは、公衆の面前で暴力をふるった感情的な奴だ。」
「アンガーマネジメント(怒りの管理)」は、欧米のセレブ階級では必須のものとされている。怒りにまかせて手を出し、手を出された方が応酬しては収拾がつかない。ウィル・スミスの自制能力の不足は致命的とされている。
他方、ぶたれた瞬間に両手を後ろ手に組み、スミスの感情的な言葉にジョークで切り返したクリス・ロックの忍耐力は評価されている。
評価B:
「妻を侮辱されて仕返しをしたウィル・スミスは、男らしい。」
日本で多いらしい。ヒロイン(ジェイダ)を守るヒーロー(ウィル)という、ステレオタイプな構図を見いだしているのかも。かくなるシーザーも、妻をおもんばかったウィル・スミスに共感する。けれども「怒りにまかせて」とった行動が、かれのキャリアに大きな影響を及ぼしている。ウィル・スミスはジェイダを伴って、無言で会場を出る、という行為で不快感を示したらスマートなのかもしれないが、それすら「空気を読まない男」として評判を落とすことだろう。
評価D:
「クリス・ロックのスピーチやふるまいは、不快だ。」
「なんで、クリス・ロックのような人間をアカデミー賞のプレゼンターにしたのか」
仮に、ウィル・スミスがクリス・ロックのスピーチを笑い流していたら、こういった意見は発生しない。実際に、ウィル・スミスも含めた会場の人々は事件の直前まで、クリス・ロックのスピーチに大ウケをしていた。そもそも、アカデミー賞のショーアップされた舞台に、モラルの物差しを安易にあてていいものか。
●――「型」としての洗練されたきわどさ:
シーザーは、クリス・ロックの背景である「スタンダップ・コメディ」(クリス・ロックは、とりわけアグレッシブなコメディアンだ)と、アカデミー賞授賞式の空気に着目している。
アメリカで活躍しているスタンダップ・コメディアンの柳川朔氏は、スタンダップ・コメディを「マイク一本で舞台の上で立ち、ジョークを披露する芸能」と定義付けている。その話術の題材は「人種」「宗教」「政治」から「科学」に「ドラッグ」「セックス」まで多岐にわたっている。
そしてスタンダップ・コメディアンは、過激に振る舞うほど、大きな笑いを得るようなきわどさがある。「仮に、クリス・ロックが白人だったら、このようなスミス夫妻への接し方はあり得ないだろう」とも言われている。個人の感情が人種間の問題となり、深刻な対立を招き得るからだ。
アカデミー賞受賞の発表の場では、プレゼンターは場を盛り上げるためにジョークを入れ、すぐさま受賞者の発表に移る。「笑い」→「感激の涙」への急テンポな展開が授賞式の「型」「パターン」で、それはそれで洗練されている。
そもそも、パフォーマーと観客、ステージと観客席の間では「これはパフォーマンスだよ」「これはふりだよ」といった、暗黙の合意が共有される。ショーアップされた場でいじられること。それは、栄誉を手にする者のためのお約束なのだろう。でも、今回の事件は、授賞式という文脈を作る仮の相互了解が、マジな怒りでくつがえされた。
●――スタンダップ・コメディという解放区:
前に述べた通り、モラルの物差しを安易に当てることに、シーザーは賛同しない。
クリス・ロックのスタンダップ・コメディを、ユーチューブで見てみると、「ニガー」という言葉を連発している。それは、黒人に対する最大の侮蔑の言葉だ。白人でも、日本人でも、この言葉を投げかけたら殺されてもおかしくない。でも「ニガーにはうんざりだ」と毒づくクリス・ロック自身が黒人で、大笑いしている観客も黒人で、ベースにあるのは自虐だ。ネガティブな感情を白日の下であからさまにすることで、スタンダップ・コメディは”負”を焼き尽くそうとしているのではないか。”笑い”には、ディベート(議論)にはない速度がある。
●――ースベり落ちた道化と、ズレまくったマッチョ:
スタンダップ・コメディアンに注意のカーソルを当てると、”道化”という原型に思い至る。道化は英語では、馬鹿者を指す「フール(Fool)」と呼ばれる。『リア王』(シェイクスピア)では、王を傍らでからかうが、王にとって道化は不可欠な存在だ。サーカスでは、笑いを誘うピエロとして登場する。文化論的には、道化は権威や合理性で窮屈になった世界を、笑いで活性化する機能があるとされる。日本にも、歌舞伎の”道化方(三枚目)”や、お座敷を盛り上げる”幇間”といった道化的文化がある、。
▲太陽の下で、派手な服を着て身軽に旅する、タロットカードの”道化”。軽やかであるが目前は崖っぷち、という際どい立場にいる。
フール(馬鹿者)であるから、世間知を越えてなんでも言える。クリス・ロックは、アカデミー賞の権威や感動を引き立てるための”道化”の役回りを演じた。その発言は笑い流され、すぐさまアカデミー賞受賞の権威付けや受賞者の感動のスピーチへと移行すべきものであった。だが、ジェイダ・ピンケット・スミスを不快にさせたことが失速の元となる。場が昇華せずに生煮えになってしまった。クリス・ロックは、妻のジェイダではなく、ウィル・スミスをいじるべきだった。たとえ、ジェイダとは旧知の仲であり、黒人という共通項を持っていたとしても。そして、ジェイダの不快感はウィル・スミスのマチズモ(マッチョイムズ)を誘発し、ビンタでクリス・ロックという道化を崖へと落とした。
▲視聴者の大部分は仕込みと思ったらしい。シーザーも、ウィル・スミスのきれいな両腕のポージングに役者のセンスを見て感銘しまったが、それはアカデミー賞の本来ではない。
「お前のファッキン・マウスで、妻の名前を出すな」と、真顔のウィル・スミスは男気を見せた。「おれの女を守るぜ」と。しかし、クリス・ロックが引き合いにした『GIジェーン』が、女性のエンパワメント(権限付与)を鼓舞する映画であった。なんとも皮肉で、ちぐはぐな展開だ。
ジェイダの醒めた反応が、道化であるクリス・ロックをすべらせ、マッチョイムズ全開のウィル・スミスは、その言動でより深い谷底へと滑落した。
笑いとは、その場にいる全員がウケれば昇華をし、スベると奈落の底へと落とされる。評価の尺度はモラルよりも速度や好悪であるべきで、発し手と受け手の間の場に対する共通了解が前提となる。
「これはショーアップされた舞台だ」という会場のコンテキストがぶち壊しになった、第94回アカデミー賞授賞式。
この事件は「週刊エディスト」編集部界隈でも話題になっている。映画好きの後藤由加里さん(師範・編集部)は「ビンタより受賞ニュースを見たかった」とため息をつき、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』押しであった太田香保さん([離]総匠)は、二重に裏切られ、憤慨している。
<本日のキーブック>
『Get Up Stand Up!たたかうために立ち上がれ!』柳川朔
※柳川朔氏(Saku Yanagawa)は、米国でスタンダップ・コメディアンとして活躍中。ユーチューブで確認すると、ガチな英語のパフォーマンスに驚愕だ。若武者のアメリカ武者修行記でもあり、米国エンターテイメント事情最前線レポートでもあり、アメリカ文化論でもある一冊。本場・アメリカでも、過激な言動は炎上を招くようになり、柳川さんも新たな表現方法の模索をしているようだ。
付記:この記事のアイキャッチイラストは、「マンガのスコア」の堀江純一画伯からの提供です。
お願いしてから2時間で書き上げてくれました。感謝!
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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