君は、あの「空文字アワー」を知っているか。
[守]講座で受け継がれてきた、<勧学会>で行われる「教室全員参加の言葉ゲーム」のことである。この楽しさは[守]を受けた者しかわかるまい。
遊び方はこうだ。ある簡単な文に( )がある。ここに「言葉」を入れ、さらに次の人に言葉を入れて欲しいところに( )を加える。これを続けていく。
(1)風が( )吹く
(2)風がごうごうと吹く( )
(3)( )風がごうごうと吹く殺伐とした野原
(4)洞窟から風が( )ごうごうと吹く殺伐とした野原
(5)洞窟から( )風がケモノの鳴き声のようにごうごうと吹く殺伐とした野原
と、こんな具合だ。
この「遊び」は、言葉が長く繋がれば繋がるほど面白い。参加者全員の発想や連想が入り混じり、文章は思わぬ方向へ動いてく。稽古は基本「ひとり」だが、この遊びは「仲間」がいることで成立する。編集稽古が、「仲間の存在」で加速・深化することを、「空文字アワー」参加者は実感するはずだ。
ん? 言葉が長く繋がれば繋がるほど面白い?
学校教育ではしばしば、「文章は短く簡潔に」と指導される。ダラダラ書くな、というわけだ。いくら「空文字アワーは長いほうが面白い」といわれても、抵抗のある人はいるだろう。
そこで、「長ければ長いほど面白い名作」を用意した。
まずは谷崎潤一郎だ。谷崎といえば『文章読本』という本を出しているくらいで、世間的には名文家の範疇であろう。その谷崎の代表作『細雪』の一節。
が、未亡人は自分の計画が此処まで進展したことに気をよくしているらしく、それで、幸子さんの御返事を戴くと直ぐ電話で打ち合せたのであるが、明朝十一時前後に沢崎氏の方から訪ねて来ることになっているので、此方は雪子さん、幸子さん、私の三人で会うことにして、別にお構いは出来ないけれども、常子の手料理でお昼御飯を差上げようと思う、ついては、蛍狩は今夜にして、明朝妙子さんと悦子さんとは、忰に案内させ、関ヶ原その他の古跡を見物に行かれるように取り計らおう、弁当持参で出掛けられて、二時頃迄に帰って来られれば、その間に此方も済むであろう、と、至極上機嫌の顔つきで云い、縁のものだから分らないけれども、私は実は、雪子さんが今年厄年になられると云うことばかり頭にあったので、あんなにお若く見えるとは思ってもいなかった、あれなら世間は廿四五で通るから、年齢の注文にも篏まっているようなものではないか、などと云ったりするのであったが、幸子はこの場合、何とか巧うまい口実を見付けることが出来さえしたら、今度は蛍狩だけにして、見合いの件は一と先ず延期して貰うのに、―――と思わないではいられなかった。
なんと、一文が487文字である。きっと隈なく探したら、もっと長文が見つかるに違いない。
谷崎ひとりで驚くには足らず。
私ども夫婦は、中野駅の近くに小さい料理屋を経営していまして、私もこれも上州の生れで、私はこれでも堅気のあきんどだったのでございますが、道楽気が強い、というのでございましょうか、田舎のお百姓を相手のケチな商売にもいや気がさして、かれこれ二十年前、この女房を連れて東京へ出て来まして、浅草の、或る料理屋に夫婦ともに住込みの奉公をはじめまして、まあ人並に浮き沈みの苦労をして、すこし蓄えも出来ましたので、いまのあの中野の駅ちかくに、昭和十一年でしたか、六畳一間に狭い土間附きのまことにむさくるしい小さい家を借りまして、一度の遊興費が、せいぜい一円か二円の客を相手の、心細い飲食店を開業いたしまして、それでもまあ夫婦がぜいたくもせず、地道に働いて来たつもりで、そのおかげか焼酎やらジンやらを、割にどっさり仕入れて置く事が出来まして、その後の酒不足の時代になりましてからも、よその飲食店のように転業などせずに、どうやら頑張って商売をつづけてまいりまして、また、そうなると、ひいきのお客もむきになって応援をして下さって、所謂あの軍官の酒さかなが、こちらへも少しずつ流れて来るような道を、ひらいて下さるお方もあり、対米英戦がはじまって、だんだん空襲がはげしくなって来てからも、私どもには足手まといの子供は無し、故郷へ疎開などする気も起らず、まあこの家が焼ける迄は、と思って、この商売一つにかじりついて来て、どうやら罹災もせず終戦になりましたのでほっとして、こんどは大ぴらに闇酒を仕入れて売っているという、手短かに語ると、そんな身の上の人間なのでございます。
いきなりの671文字! これは太宰治の『ヴィヨンの妻』だ。
『走れメロス』の冒頭は「メロスは激怒した」と10文字に満たないが、実は太宰も一文が長いことで知られる作家なのだ。長い一文の中に、太宰の表現の方法が詰まっている。 え? 昔の作家ばかりじゃないかって? そんなことはない。もし手元に多和田葉子や川上未映子の小説があるならパラパラ見てほしい。彼女たちもまた、一文が長いのだ。
51[守]ではすでに、いくつかの教室で「空文字アワー」が始まっている。学衆が力を合わせれば、太宰にだって多和田葉子にだってなれる。「空文字アワー」の醍醐味である。
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
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