死者・他者・菩薩から新たな存在論へーー近江ARS「還生の会」最終回案内

2024/11/10(日)07:30
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 近江の最高峰の伊吹山が雪化粧をまといはじめる12月、近江ARS「還生の会」は、当初の予定の通り最終の第8回を迎える。日本仏教のクロニクルを辿りなおした第6回までを終え、残りの2回は、いまの日本を捉えなおすための核となるテーマを扱う。最終回は「大乗仏教と菩薩の倫理―他者とどう関わるか」。登壇する末木氏文美士氏は、一貫して「顕」と「冥」という構図で世界を捉えることを語ってきた。日常的な「顕」の世界と神仏や死者が属する「冥」の世界。私たちが「ないもの」としてしまいがちな「冥」の世界の秩序が「顕」の世界に密接に関わっている。

 

『法華経』の前半部分は、仏が他者として現れ、他者論として解釈できるが、後半部分(本門)では、死者の仏という新たな視点が導入されている。このように、仏教の根本には死者の問題がある。大乗仏教が仏の死後(仏滅後)という前提のもとで展開されていることを考えるならば、死者としての仏が大乗仏教の根底を規定しているのも当然である。

『死者と菩薩の倫理学』末木文美士

 

 末木氏は、さらに人が仏になる「菩薩」という在り方が、現代社会においてこそ機能するのではないかと可能性を見る。当日は、末木氏のレクチャーに加えて、松岡正剛から仏教の捉えなおしを託された三井寺長吏の福家俊彦(近江ARS)が「還生の会」の総まとめを語る予定だ。

 

 

 思い起こせば、近江ARSは、この夏、ひとつのさしかかりを迎えた。「還生の会」の第7回は、松岡が不在のなか、7月10日に本楼で開催された。開会にあたり、チェアマンの中山雅文が、「近江ARSが”別”に向かうには、それぞれのフィールドで”自分の近江ARS”を問い、行動にうつしていかなければならない」と語った。この日のテーマは「神と仏の間柄」。松岡もたびたび取りあげている。

この「仏の見せ方」と「神の感じ方」には、多神多仏の国の日本の謎を解く鍵と鍵穴が隠れていると思います。

 『日本文化の核心』松岡正剛


 松岡の仮説に応じるかのように、末木氏は仏教の視点から、ゲストの伊藤聡氏は神道の視点から語った。両者は、私たちの中に備わっている「神道」のステレオタイプな見方を解体するところからはじめ、神道は悠久の太古から連綿と続く信仰ではないと言いきる。伊藤氏によると「神道」は「仏法」の対語。神道は単独ではなく、仏教と対になって歴史を重ねてきた。末木氏は、現代の日本人の死者観の起点となっている幕末の平田篤胤の見方を辿り、明治政府の宗教政策によって排された平田派の幽冥観や神道論の革新性を紹介した。
 二人のレクチャーを受けて登壇した福家は、たくさんのアートを交えて、横超的に存在論を語った。変容しつつある日本人の死者観を踏まえながら、祈りがどうあるべきかを問いなおしたいという。さらに、近江ARSメンバーからも問いが投げ込まれ、神と仏の関係史から現代の祈りの有り様へと、4時間にわたる神仏談義が、広がりと深まりを帯びていった。

 

(第7回の還生の会の詳細は近江ARSサイトのダイジェストを参照ください。映像も近日中に販売予定です。)

 

 

 

 第8回も多彩なゲストが集う。多読ジムSPで批判的・方法的な読書と神学視点の世界観を披露した佐藤優氏、千夜千冊でビジュアル編集も注目された『近代仏教スタディーズ』(法蔵館)の近代仏教研究者の大谷栄一氏、近江ARS TOKYOで「祈りこそが現実」と語った石山寺座主の鷲尾龍華(近江ARS)らの出演者による対談も用意されている。末木氏は、ユリイカ11月号「松岡正剛特集」の寄稿文『「別」なる日本、「別」なる仏教――近江 ARS と松岡正剛の方法』で還生の会を紹介し、最終回について「不在の松岡さんに対して何を語ることができるのか。荷は重いが応えなければならない」と覚悟をあらわした。駆けつけてくださる方々も同じ想いに違いない。

 

 死者と他者と菩薩を巡る語らいのなかから、何をつかむのか。ともすれば「顕」の世界のみに留まってしまう自分のブラウザーをどのように動かし、どのような地から次の編集へと向かっていけるのか。あらためて歩みだす一日としたい。

 

 


■近江ARS 第8回「還生の会」の詳細

◎日時
令和6年12月19日(木) 13時30分 ~ 18時頃


◎テーマ
「大乗仏教と菩薩の倫理―他者とどう関わるか」

<はじめに> 和泉佳奈子「還生の会をふりかえって」
<第1部>伝え|福家俊彦「別所から別日本へ」
<第2部>語り|末木文美士「大乗仏教と菩薩の倫理」
<第3部>巡り|観音堂の観覧
<第4部>交わし|佐藤優、大谷栄一、末木文美士、福家俊彦、鷲尾龍華他
<おわりに>名残

◎場所
三井寺「観音堂」|滋賀県大津市園城寺町246

◎出演
末木文美士 未来哲学研究所所長
福家俊彦  三井寺長吏
佐藤優   作家・元外交官
大谷栄一  宗教社会学者
鷲尾龍華  石山寺座主

◎進行
和泉佳奈子 近江ARSプロデューサー

◎定員
現地参加  約70名

◎参加費
<第1・2・3・4部>現地参加費 13,000円(税込)
HYAKKEN MARKETにてお申し込みをお願いします。

 

 

★近江ARSについてはこちらも参照ください★

    近江から 日本が変わる | 近江 Another Real Style
    別日本に向かって – 近江ARS TOKYO 裏舞台の10shot
    別様への出遊に向かえ――『[近江ARSいないいないばあBOOK]別日本で、いい。』発売

 

  • 阿曽祐子

    編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。