序
コンタクトを失くした。メダカが死んだ。前歯が折れた。また、メダカが死んだ。それだけではない。介護中の祖母が誤嚥性肺炎で緊急入院し、首を長く長くして待ち侘びていた松濤美術館のフランシス・ベーコン展は休館延長ののち中止、幻と消えたことを知った。その他あれこれいろいろと「負」の雨あられがザーザーと降りしきる。すべては金宗代の身に起きた、ここ1週間の切実である。
不運といえばそれまでだが、これはちょっと異常ではないか。お天道様からの何かのシグナルではないか。それで近くの神社にお参りしたくなったり、「神よ、いったい何をお望みですか」とかなんとか「説明がつかない」ことのモウシューに耐えられなくなって、ついつい「神秘」な気分に浸りたくなる。人間ってそういうものだ。
なぜそうなるのか。次の6つ理由に集約されている。①強いエモーション(情緒)に駆られたい。②恍惚や忘我を少しでも体験したい。③偶像やイコンを大事にしたい。④不安から解き放たれて心の充実を得たい。⑤強い啓示を得たい。それをもたらす啓示者に出会いたい。⑥説明のつかないことを信じたい。詳しくは、千夜千冊1771夜『神秘主義』をご覧いただきたい。
破
さて、”金況報告”はこれくらいにして、引き続き、千夜千冊の話題は「神秘」で持ちきりです。最新夜の1773夜 井筒俊彦『神秘哲学』が先日アップされましたね。「いよいよイヅツか」と感慨にふけった人もいれば、当夜は哲学ワードや宗教ワードが頻出するため、読んではみたものの、まるで珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)という方もいるかもしれません。それでも丹念に読みこめば、井筒俊彦が企んだ思想の「核なる部分」をちょっぴりとなら垣間見ることができるのではないかと思います。なんら予備知識がなくとも「核」をチラッと覗けるというのが、千夜千冊の一つの大きな魅力です。
そうしたなか、以上のような大問題が片付いてこなかった理由を、井筒俊彦は研究者や知識人が「神秘」に向き合ってこなかったからではないかと、ずっと思ってきた。
「神秘」を見て見ぬふりする思想なんて思想とは言えない。一言で言えば、井筒はそう言い切ったのでした。ぼくはまったくそういう立場にないのでその実感は測りかねますが、ガクモンの世界で「神秘」を持ち出すというのは相当に勇気のいることなんだろうと思います。そしてそれは当時も今も変わらないのでしょう。だからこそ、ガクモンは人々を魅了する力を失ったのだとも言えそうです。宗教もそう。前夜の1772夜『占星術』にあるように、すべてはサブカルの一人勝ちというのが世相の現在です。
井筒のこのような企み(信念)を最初に指摘したのは、ぼくが知るかぎりでは中沢新一(979夜)だった。1991年に「井筒俊彦著作集」(中央公論社)が刊行されたのだが、その第1回配本『神秘哲学』の挟み込みの栞に中沢は「創造の出発点」を書いて、井筒の意図を簡潔に言い当てた。中沢はこう書いた。
井筒の企みをもう一歩わけいって理解するなら、上の引用に続く中沢新一さんの指摘を読むのがてっとりばやいでしょう。中沢さんは979夜『対称性人類学』で取り上げられている思想家です。近年、若松英輔さんや安藤礼二さんが井筒俊彦の案内人となって、図版のキャプションにもあるように「ひそかな井筒俊彦ブーム」を巻き起こしていたことはなんとなく知っていましたが、実は中沢さんがその下地を整えるロールを担っていたとは知りませんでした。ちなみに南方熊楠の千夜千冊でも、『熊楠の星の時間』(講談社選書メチエ)を取り上げて、中沢さんの熊楠をレコメンデーションする姿勢を絶賛しています。
急(Q?)
井筒思想が大ザッパに掴めてきたところで、「編集工学」を学ぶ学衆にとっては絶対に見逃せない文章があるので次に引用します。
ぼくはこれを読んだとき、井筒の言葉についての掴まえ方は編集工学といくつかの部分で重なっていると感じたものだった。
ぼくは編集工学をエピクロスの原子がタテに逸れて落下していくという発想にヒントを得て組み立てはじめたのだけれど、それはスーフィーによって、また井筒俊彦によって、うんと確固たるものとして縦横自在に感知されていたのである。その後、このようなイスラム的な神秘の多義性は、むしろ多神多仏の日本の「見立て」でこそ解明するのがおもしろいと、思うようになった。
すでに「序・破・急」の「急」(「Q」?)に差し掛かっているところなので、ここからはすこしかっ飛ばして説明します。キーワードは「バシーラ」というイスラームの概念です。これは「一定の修行して得られる意識」というものだそうです。また、「言語以前」の体験、「根源の意識」に関わるものであって、「神秘の多様性を暗示する」ものです。そのとき、「何かがわかるのではなく、何かを多義的なままに捉えることができる」。したがって、日本の「見立て」とも重なるのではないかと書かれています。
このことを踏まえて、もっとはっきり言えば、「編集工学」は決して「神秘」から逃げたりはしない。見て見ぬふりなんてゼッタイにしない。だって、それこそが本来中の本来の思想や学びであるはずなのだから。「切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか」(1000夜『良寛全集』)になぞらえるなら、「神秘」を引き受けずして、いったい何が思想だろうか。…って、ちょっと「急」すぎましたでしょうか。…いやはや、「Q」ですね。
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◉多読ジム season07・夏◉ 締切間近!!
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2021年7月12日(月)
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<1>ブッククエスト(BQ):ノンフィクションの名著
<2>エディション読み :『文明の奥と底』
<3>三冊筋プレス :笑う3冊
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金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:水木しげる
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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