■「いいね」か無視か
ディストピアに陥らぬために
「作文」は嫌われ者だ。小学校の読書感想文はいわずもがな、スーツの紳士でさえ文章書くのはどうも……と頭をかく。そしてだいたいこう続く。「スラスラ書けないんです」 果たして文章はスラスラ書けるべきなのだろうか。
イシス編集学校[破]コースで最初に学ぶのは文体編集術だ。文章を書くための基礎を学ぶ。けれど勘違いしてはならない。これは手際よく文章をまとめる方法ではないのだ。頭のなかのイメージをきっちり文章に落とし込むのが目的ではなく、むしろ文章にまとめていく過程で新しい考え方に出会っていくための編集術である。
文章を省エネで書きたいならば、ありあわせの常套句を使えばいい。けれど、紋切り型の文にはなんの新規性もなく、ほかでもない「あなた」が書く意味がない。ものの見方も錆びついてしまう。そうして言葉を失えば、行き着く先は「いいね」か無視か、二択の感想しかない五感のディストピアだ。編集学校では、多様な見方を生むように文章を書く。その手続きを「作文」ではなく「創文」と呼ぶ。
■創文の近道は、けわしい道に
自由をもたらす「異物」にヒント
では、言葉から手垢を落とし、この世界をはじめてみる赤子のような視点で創文するのはどうすればいいのか。コツは、書く対象の選び方にある。
46[破]では目下、千夜千冊にまねぶ「セイゴオ知文術」の準備が進む。これは課題本10冊のなかから1冊を選び、800字でその本の世界観ごと伝えるというお題である。学衆はつぎつぎに相棒となる本を選んでいる。
師範・新井陽大はきっぱりと言い切った。
「書きやすそうだと思うものは、あまりお勧めしません」
文体編集術稽古でめざすべきは、自分の言葉に変更をかけること。けれど、ふだん読み慣れた本を相手にすれば、ついつい書くこともふだんの考えに落ち着いてしまう。
「できれば、未知なものに挑戦しましょう。そうすればいやでも書くための『モヤモヤ』が湧いてきます」
新井は、創文のプロセスを、体内に取り込んだ異物を真珠にする二枚貝と重ねて語る。異質に対しての葛藤こそ、文体編集力の養分なのである。
■イシス師範が100字で紹介
課題10冊、競馬モドキ寸評
とはいえ、難しすぎても考えもの。一行たりとも意味がわからない本であっては、書く前に玉砕だ。自分と本のあいだに、ゆたかなコミュニケーションが生まれるような適度な間合いの本はどれか。
学衆の選本の参考にと、師範・天野陽子は棚の奥から新聞を持ってきた。発行日は2020年9月20日。イシス編集学校が感門之盟に際して発行・配布したタブロイド紙だ。その10面には、「タルホサン挽回あるか」との煽り見出しとともに、馬柱表擬きの「師範冊評」が掲載されているのだ。
1冊100字。エッセンスだけを真空パックにし、さらには競馬モードで味つけをしたハイパー知文。遊刊エディスト紙上でも共読しよう。どの本が気になるだろうか。
イシス編集学校 46[破] 知文アリスとテレス賞課題本10選
課題本1.
同じ志を持ちながら、やがて両極に向かう辞書界の巨人2人。言葉の匠だからこそすれ違った言葉。両者が編んだ辞書の特徴を射貫く用例選択が鍵。事実を丹念に集め、ノンフィクションに仕立てた騎手にも注目。
『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』
佐々木健一/文春文庫
課題本2.
全人類には共通の母がいた!驚きの仮説を証明する人類遺伝学の成果をコンデンス要約する粘りを出せるか。研究の厳しさあり、数万年前の母たちを想像する楽しさあり。人種や民族って何だ?自らに問うて追い込みを。
『イヴの七人の娘たち 遺伝子が語る人類の絆』
ブライアン・サイクス/河出文庫
課題本3.
文字に潜む呪力・神性の豊穣な世界。甲骨、金文、古代数万年を写し取り、文字の構成・律動に身を投じた碩学の魂が招く、時空を越えた逍遥。巍然屹立、緩みなき一語一文に肖り、怯まぬ覚悟が勝機を呼ぶ。落馬に注意。
『文字逍遥』
白川静/平凡社ライブラリー
課題本4.
水銀に侵される前のふるさと水俣の記憶を残したい。岬へつづく風景と山の神にまつわる父の話、村の弱者や大人たちの秘密。四歳のみっちんが全身で感受した出来事を、詩情あふれる文体で綴った自伝的小説。回想快走!
『椿の海の記』
石牟礼道子/河出文庫
課題本5.
踊るために生まれてきた自称50歳のダンス教師、気性荒し。彼女を鍛えたのは時代か、あるいは生き延びるという意思か。30年前のプラハロシア学校の記憶を辿り、反語法に隠された秘密が今明かされる。オリガよ、永遠に。
『オリガ・モリソヴナの反語法』
米原万里/集英社文庫
課題本6.
セイゴオ眼鏡でイナガキを観るか、タルホ鏡でマツオカを映すか、目付を違わねば勝利は近い。好調ならば一千一秒で駆け抜けるが、時に斜行の癖あり。過去期大賞多数あるもここ四期はグランプリなし。そろそろ来るか?
『稲垣足穂さん』
松岡正剛/立東舎
課題本7.
曲芸、接吻、動物園。多和田葉子がホモサピエンスという種の外の目で、まったく新しい世界を編み出していく。白い毛に覆われた「わたし」の存在の移ろいを、文体編集できるかできないか。そこが勝負の分かれ目だ。
『雪の練習生』
多和田葉子/新潮文庫
課題本8.
「ぼくら」が勝つかやつらが勝つか。重馬場コースを制する者は、浮き世の欺瞞に打ち克つ者だ。戦時下の混沌に揺蕩う双子は、今日も互いを鞭打ちながら、鉄の心で日々を淡々と記し続ける。幸福なんて、くそくらえだ。
『悪童日記』
アゴタ・クリストフ/ハヤカワepi文庫
課題本9.
ここの「あるある」とむこうの「あるかも」をひねって結んだ33本のメビウスの環。マンガのステレオタイプを自在に操り、昔話も世間話もSFも記号も同居させる文体のしっぽをつかんだら、アリスもテレスも見えてくる。
『ひきだしにテラリウム』
九井諒子/イースト・プレス
課題本10.
宇宙を説明する理論が、宇宙の終焉をもたらす!? SF的華々しい舞台の陰で蠢く陰謀と疫病。謎は宇宙だけではない。情報、物質、生命、技術、人間、精神、様々な万物理論の変数を見つけて大著を乗りこなせ。
『万物理論』
グレッグ・イーガン/創元SF文庫
選べなかったら、どれも読む。本の目利きが選んだ本は、どれもが文体編集術のお手本だ。アリスとテレス賞エントリー〆切は、5月16日(日)。出題から4日後、望眺世界塔教室学衆Fはすでに初稿を放った。学匠原田淳子が「ロケットスタート」と驚く初速が止まらない。ここから師範代との終わりなき推敲ラリーが始まる。
冊評:44[破]指導陣
写真:原田淳子(アイキャッチ)、梅澤奈央(タブロイド紙)
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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