「破」はただの学校ではない。
「破」の方法にこそ、
編集を世界に開く力が秘められている。
そう信じてやまない破評匠ふたりが、
教室のウチとソトのあいだで
社会を「破」に、「破」を社会につなぐ編集の秘蔵輯綴。
50破に、稲妻がはじける。
セイゴオ知文術の稽古に、雷鳴が轟く。
ネットで最近復活した「風雲!たけし城」ではないが、50破学衆たちが最初の大関門「アリスとテレス賞 セイゴオ知文術」に挑んでいる。エントリー締め切りは21日。あと数日しかない。
それにしても、50破の知文はすさまじいことになっている。師範代や師範、さらには学衆自身が方法の稽古-5つのカメラ、いじりみよ、そして5W1Hのノートを作り、課題本の著者やテーマに関する年表=クロニクルを編んでは教室にさらす。そのアウトプットを他の学衆がかっさらって自分の創文に織り込んでいく。そんな現象が始まっているのだ。もはやひとつの生態といってもおかしくない。
もちろんこれまでも、知文を書くにあたってクロニクルを作ったり、膨大なノートを紡いだりする学衆はいたが、自分の知文の参考のため、ということがほとんどだった。これほど多くのクロニクルや編集的解析が誰のためでもなく、頻繁に、しかも響き合うように出てきているのは初めてだ。
破に何が起きているのか。パドレスのダルビッシュ有は自身のYoutubeチャンネルで惜しげもなく自らの投球術を明かしているが、そういう流れがISISにも来ているのか。
だいたい書くということは、いかにも個人的な作業である。書くときは、ひとりで書く。書くことこそが自分で自分を表現していくものだし、その秘密はそうそう明かすわけにはいかないものだ(明かすと恥ずかしいというのもある)、とふつうは捉えられている。
そんな社会の片隅で、50破では、ひとりで書きながら、みんなで書くというムーブが起きつつある。これは剽窃でも何でもなく、「誰が書いているかわからない状態」で書いたほうが、編集的状態への近道なのだ。共読という言葉はよく使うが、共筆になりつつある。教室で共筆が進むのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※
前回の記事で読みの「地と図」について触れたが、書くときにも「地と図」がある。ささやかでもよいから、それまでに誰も書いたことがない切り口で、名づけようのない新しさまでたどりついて、それを表現できるか。「アリスとテレス賞」ではそこを問われる。
私の実体験でもあるが、ひとりで書こうと思っても、すでにある既存の「自分」に捉われることを脱するのはなかなか難しい。作文のなかでこれがキーワードだ、という言葉を見つけたとしても、自分がすでに慣れ親しんだ意味でしか使えないことも多い。書くときは、ここが苦しい。
そこを突破して新たな自分として書くためいちばんいい方法は、ひとりで書かないことだ。誰かと書く。みんなと書く。ややロマンティックな言い方だが、場を共有する“仲間たち”と書くことだ。多くの学衆たちが、新たな地と図の境界となった教室の共筆の渦中にみずからを投じている。
もちろん、この生態が最後にどんな作品を生み出すのかはこれからだ。腕利きの師範代たちが存分に鍛えてくれることだろう。この嵐と雷鳴は、評匠の期待を高揚させる。大風に楽しみに吹かれつつ、週末のエントリーを待つ。
中村羯磨
編集的先達:司馬遼太郎。破師範、評匠として、ハイパープランニングのお題改編に尽力。その博学と編集知、現場と組織双方のマネジメント経験を活かし、講
座のディレクションも手がける。学生時代は芝居に熱中、50代は手習のピアノに夢中。
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