【勝手にアカデミア●絶賛募集中】『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』×3×REVIEWS

2025/12/14(日)10:46 img
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 戦後、突如として誕生した学校「鎌倉アカデミア」とは何なのか。【勝手にアカデミア】では、イシス編集学校のアーキタイプともいうべき同校をもどいてきましたが、中でもいちばんの謎は、文学科、演劇科、映画科にならんで「産業科」がもうけられていたことでした。
 探究してみるとそこには、同校校長・三枝博音の「技術」に対する並々ならぬ思いがありました。三枝は「技術」を「哲学」と同等のものと位置づけ、そこに思想を見出していたのです。実際、『技術の哲学』や『技術家評伝』といった技術をめぐる本を数多く残しています。
 東西48名を取り上げた三枝の『技術家評伝』で、最も頁を費やしたのが、誰であろうレオナルド・ダ・ヴィンチです。三枝いわく、《レオナルドはまことに類比なき偉大な技術家であったのである》。


 「鎌倉アカデミア」の「産業科」を学んで来た【勝手にアカデミア】の面々が、三枝にならって、ダ・ヴィンチの『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』(岩波文庫)を三分割書評で取り上げます。評者が「これは!」と思ったダ・ヴィンチの言葉を引用しつつ、その言葉を「鍵」にして、レビューを展開しました。ダ・ヴィンチの言葉とともに、【勝手にアカデミア】による3×REVIEWSをお楽しみください。


 

1 ダ・ヴィンチ、「バカの壁」に吠える

人生論

おお人間の愚劣さ! おまえは一生涯自分といっしょにくらしながら、しかもまだおまえの一番沢山所有しているものを、つまりおまえの阿呆らしさを理解していないのを悟らないのか?(「序」)
レオナルド・ダ・ヴィンチは続けて、数学を軽蔑し、その中にある真理を理解せず、自分も他人もごまかし続ける「人間の愚かさ」を鋭く指摘する。そして、自分がわからないことはすべて「奇跡」だと言って、思考から逃げている、と。ではダヴィンチは? 彼はいう、自分は《経験の弟子》であると。経験を師とし、彼は真理を追究し続けたのだ。(里星・岩上百合子)

どのようなものであれ認識するということは常に知識に有益である。けだし無用なものを自分から追放ってよきものを保存することができるであろうから。それゆえ、まず第一にその物の認識を有たないならば、いかなるものを愛することも憎むこともできぬ。(「人生論」)
自らを「軍事技術者・建築家・土木家・彫刻家・画家」と語るダ・ヴィンチを、三枝は「無比な技術者」と語る。美と真実の探究者は、幼少の頃から自分の心を惹くものすべてを書き留める習性があった。順序も秩序もないまま同じ紙に描かれたものたちは、彼の自由な構想力で対角線が引かれ、あらゆる作品に変化した。中世と近代の狭間、精細に見て精確に描く気質が提供する発明品に注がれたとき、再び彼の認識する感覚を研ぎ澄ます。残されたメモの行間からは心惹かれるものを愛し抜いたオタク少年ダ・ヴィンチの、微かな笑みが透けて見えた。(お勝手・原田)

 

2 ダ・ヴィンチ、地球の「未来」を突き放す

文学(寓話、笑話、動物譚、預言など)

このものの獰猛なる手足のため、世界じゅうの大森林の樹木の大部分は伐倒されるべし。草木を食いつくしたる果て、おのが欲望を飽かさんがため、生きとし生けるものに死と苦悩と労役と恐怖と逃亡とを興うるに至らん。(「文学」)
ダ・ヴィンチは芸術家・技術者に加え文学者、生物学者でもあったのか。自然、人間、植物、動物など多くの物を細かく観察し意外な側面を紹介するその筆致は雑学博士のようだ。ダ・ヴィンチは、人類の将来、戦争、環境破壊、食糧危機などを予言し、人間に対して警告を発している。「このもの」は全人類でもあり特定の人間を指すようでもある。私たちは向かっている方向を見つめ直して行動しない限り、ダ・ヴィンチの予言の通り、破滅への道を歩いていくことになるだろう。(歩風・伊東賢伸)

相異る半球に別れ住む人々、互いに語りあい、さわりあい、かつ抱擁しあい、しかもお互いの國語を理解すべし。(「文学」)
世界が球体であることをダ・ヴィンチは見抜いていたのだろうか。当時、宮廷の遊びとして朗誦された「豫言」とは、現代でいうところの「謎々」に相当するらしい。「哲学的命題に関する豫言」に飛び飛びに記された断章を読むと、地動説が支配する遥か以前に、彼は地球が球体であると確信していたに違いない。「相異る半球に別れ住む人々」が「互いに語り」あうとは何か? 地球人である我々が、球体表面のあちらこちらに住む他者と交流し、その思想や体験を互いに交わし合って発想することを予め促しているようではないか。(せん師・大塚宏)

 

3 ダ・ヴィンチ、絵画と知を結びつける

「絵の本」から(遠近法、解剖、美について、風景、自然など)

「絵画」は「彫刻」よりも大きな知的論究を要し、より偉大なる技術乃至驚異に属する。というわけは、必要に従って画家の知性は自然の知性そのものに変わらざるをえず、かつ自然法則によって必然的に生ぜしめられたもろもろの現象の原因を芸術を以て解釈することによって、その自然と芸術との間の通訳者たらざるをえないからである。(「絵の本」から)
「絵の本から」に書かれた世界は私の想像を遥かに超えていた。絵画論にとどまっていないからだ。自然に存在するもの……形、色、動きに秘められた謎を明らかにし、再現できるかが彼のゴールだった。キャンパスには、目に見える形、色を忠実に描き、人間を知ろうと解剖に手を染める。水流の動きを管理する水工事に関わり、空を飛ぼうと鳥の動きをスケッチした。彼は絵の技術が自然の知性を人間に置換するインフォモーフ(精神転送)装置であることを示したファーストペンギンだった。故に三枝博音は、「レオナルドの技術思考を見習え」と強く主張したのだろう。(彦星・齊藤肇)

 

『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(全2冊)

杉浦明平訳、岩波文庫

 

■上巻目次

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯とその手記

人生論

文学

「絵の本」から

 

出版社情報

 三枝博音は、ダ・ヴィンチの「手記」をこう評価しています。
《相互にはひどくかけ離れていると思える殆ど一切の物を彼自身の連絡において同じ紙に書き付けたという主観内の美の世界のあの逍遥性、彼の心の戯れと悦び、実にこのことを技術家としてのレオナルドに発見してみるべきではないか》(「技術家評伝」、『三枝博音著作集 第9巻』中央公論社)
 かけ離れているものに関係線を引く。逍遥性――つまり行ったり来たりのぶらぶら加減。こうしたことに遊びやよろこびを見出すカマエ。ダ・ヴィンチの中にもまた、松岡正剛のいう「編集的自己」を見出すことは容易なのです。三枝博音、ダ・ヴィンチ、松岡正剛が繋がりました。(み勝手・角山祥道)

 


Info 多読アレゴリア 2026年冬シーズン

 

【開講期間】2026年1月5日(月)~3月29日(日) ★12週間

【URL】https://shop.eel.co.jp/products/tadoku_allegoria_2026winter
【申込締切】2025年12月22日(月)
【受講資格】どなたでも受講できます
【受講費】月額11,000円(税込) ※ クレジット払いのみ

私たち【勝手にアカデミア】は、イシス編集学校のアーキタイプと言われる伝説の学校「鎌倉アカデミア」をもどきつつ、学んでいます。26冬は「演劇科」コース。あのシェイクスピアを横から、ナナメから、前から、どっぷり楽しみます!(せん師・大塚宏)

【勝手にアカデミア・運営メンバー】播種:大塚宏(せん師)、原田祥子(お勝手)、角山祥道(み勝手)

 


【勝手にアカデミア】をもっと知るには

 

○3× REVIEWS(三分割書評)

【勝手にアカデミア】『三枝博音と鎌倉アカデミア』×3×REVIEWS

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【勝手にアカデミア】『敗戦日記』×3×REVIEWS

【勝手にアカデミア】『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』×3×REVIEWS(当記事)

 

○吟行レポ

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】はとさぶ連衆、鎌倉に集い俳句を詠みつつアカデミア構想に巻き込まれるの巻

【勝手にアカデミア】夏の俳句ingレポ

 

○クラブ紹介

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア①】勝手にトポスで遊び尽くす

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア②】文化を遊ぶ、トポスに遊ぶ

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア③】2030年の鎌倉ガイドブックを創るのだ!

【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】勝手に映画だ! 清順だ!(25春)

夏、高見順の『敗戦日記』を読む【勝手にアカデミア/多読アレゴリア】(25夏)

勝手にアレコレ売っちゃいます【別典祭】勝手にアカデミアの企み

 

  • 勝手にアカデミア

    編集的先達:三枝博音。多読アレゴリアの【勝手にアカデミア】は、鎌倉に生まれた伝説の学校「鎌倉アカデミア」をもどきながら、トポスにトピカ、映画に産業、文学に演劇……などなど勝手に学び、勝手に語らい、勝手に創出する。