■2020.10.26(月)
34[花]道場演習開始。
日付があらたまるや、第1週目の課題が4道場へ配信された。花伝式目5Mは「Model」(型)を捉える演習から始まる。
空が白む頃、わかくさ道場のホープKJが電光石火の回答を連打した。前ノメリな心意気や良し。速力は美徳だ。ただしそれは個性であって技術ではない。「機」と「間」を測る眼差しを得て、機敏さは型となるだろう。
同日開講した46[守]の動向を番所(*)越しに窺う。花伝所から送り出したばかりの師範代たちの活躍を願う。
*番所:
当期[守][破][花]の学番匠と学林局メンバーが集う運営ラウンジ。講座を横断してリアルタイムに動向を共有し、編集契機を探る。
■2020.10.27(火)
京都で開催中のKYOTOスマートシティEXPO特別企画「知の巨人 国際会議」に松岡校長がパネラーとして登壇。YouTubeでライブ視聴。
「ニューノーマルの時代」をテーマとする4名のディスカッションは、危機からのチャンスメイクへ向かう矜恃に溢れていた。
冒頭、免疫学の小安重夫氏によるCOVID-19についての概説を受けて、松岡が「免疫システムの未来像」を問うた。
これに小安が「免疫とは自己と外界とを繋げる仕組みである」と応じた回答が、パネラーたちに「問・感・応・答」から大小の「返」をスピンオフさせる(*)契機となった。
さらに松岡は「免疫」を経由して、ウイルス禍に端を発する与件を「境界とは何か?」「分類とは何か?」とQをリフレームさせて行く。
免疫は自己を自己たらしめるシステムなのだが、この「自己(self)」と呼ばれる界をウイルスは越境している。その越境者を「情報」と言い換えるなら、ウイルスからビッグデータまで、性の多様性から歴史の分類まで、全てを総じて議論すべき時代がやって来たとみることができる。
情報は蓄積すれば越境する。情報の宇宙史、情報の生物史、情報の社会史を、界を跨いで編集可能な状態にして行かなくてならない。
松岡の提言に呼応するように、企業家の孫泰蔵氏は「分業ではなく融業を」とヴィジョンを掲げ、歴史学の磯田道史氏は「21世紀のホモサピエンスはワケルとトケルの鬩ぎ合いのなかにいる」とパースペクティブを展開させる。我々は免疫学的にも、人類学的にも、社会学的にも、「自己」の隘路に迷い込んでいるのだ。
自己を知るには、非自己との関わり合いが不可欠だ。さりとて、自他を分けなくては融けることも出来ない。自他の境界をどこに捉え、ワケルとトケルの域値をどう測るのか、編集工学の果たす役割は大きい。
京の都で交わされた「問感応答返」は、はたして隣接領域を越境し波及して行くだろうか。
*問感応答返:
「問・答」は1組の因果関係によってのみ結ばれるものではない。「問」「答」の間は、折々の「感・応」によって迂回し、そこから多様な「返」がコンティンジェントに湧出する。この一連の編集プロセスは、QからA(正解)へ向かう一本道ではなく、QからE(編集)を興す半開複複環構造と捉えるべきなのである。
■2020.10.29(木)
さて、「問」が編集を起動させるのだとしたら、私たちは何処でどんな風に「問」と出会うのだろうか?
編集学校の稽古は「お題→回答→指南」と三間連結で進捗する。学衆は「問」を与えられ、回答を返す。回答には指南がつけられ、指南の後には幾度かの「再回答⇔指南」が交わされる場合もある。
一方、花伝所の式目演習は「課題演習→式目解説→フィードバック」と進展する。はじめに課題が与えられる点では、これが「お題」と呼べないこともないが、回答に対して指南や指導は届かない。先ず課題をやってみる、そして様々な「わからなさ」に出会って行く、という自学自習の姿勢が求められる。
つまり、師範代候補生にとって「問」は与えられるものではなく、能動的に発見するものなのだ。
昨夜は式目演習が始まって最初の課題提出の締切期限だった。入伝生18名全員が刻限までに回答を届け、花伝師範から各道場へ「式目解説」が配信された。
さぁ、ここからが花伝所の「問感応答返」の始まりだ。式目解説に即応してフィードバックを返す者もあるが、多くは次の課題の締切に追われている。
師範ボードでは、錬成師範が入伝生の香ばしい「感・応」をスコアリングし始めた。このエディストが公開される頃、入伝生たちへ第1週のスコアが届けられるだろう。
花の問答は、師範と入伝生が互いに互いの編集可能性を深く遠くノックし合っている。
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
<<花伝式部抄::第21段 しかるに、あらゆる情報は凸性を帯びていると言えるでしょう。凸に目を凝らすことは、凸なるものが孕む凹に耳を済ますことに他ならず、凹の蠢きを感知することは凸を懐胎するこ […]
<<花伝式部抄::第20段 さて天道の「虚・実」といふは、大なる時は天地の未開と已開にして、小なる時は一念の未生と已生なり。 各務支考『十論為弁抄』より 現代に生きる私たちの感 […]
花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
<<花伝式部抄::第19段 世の中、タヨウセイ、タヨウセイと囃すけれど、たとえば某ファストファッションの多色展開には「売れなくていい色番」が敢えてラインナップされているのだそうです。定番を引き […]
<<花伝式部抄::第18段 実はこの数ヶ月というもの、仕事場の目の前でビルの解体工事が行われています。そこそこの振動や騒音や粉塵が避けようもなく届いてくるのですが、考えようによっては“特等席” […]