■2022.11.16(水)
わかくさ道場で「寛容」について談義されている。
師範代は編集稽古のなかで、学衆から届いた回答に対してどのように関心を持ち、その関心をどのように表明するべきか。
師範代に求められる「受容」の態度を、入伝生のイトウは「寛容」と言い替えることで理解しようと考えた。錬成師範の嶋本昌子がこれに応じて「寛容」を巡る発言や語義のコンパイルを提示し、イズミ、オダ、ツカハラが問答に連なっている。
「自分には受容なんてできないかもと落ち込みました」
「そんな時こそ寛容の心」
「自分が納得するための意味づけに囚われているように感じる」
「味わい楽しむ心もヒントになりそう」
「相手にとっての意味を見つける、という態度もありえますね」
「師範代って性格が良い人しかなれないと思い込んでいました」
他者を受容するための方法として、自分が寛容であろうとすることは有効だろう。ならば、他者や自分のなかに不寛容を見出したときにも、その寛容さが不寛容をも抱握することはできるだろうか。
受容の態度は、相手に対して向けられるばかりではなく、相手との関わりのなかで巻き起こる自分自身の反応の様子にも向けられている。そこで起きていることが寛容であれ不寛容であれ、関心であれ無関心であれ、共感であれ拒絶であれ、喜びであれ怒りであれ、全て「情報」として捉えて応じていくこと。その点で、「受容」は相互編集的な態度の実践が問われている。
■2022.11.17(木)
たとえば「与えられた問題」があまりにも難しく感じるようなとき、ひょっとしたら「わたし」が問題を難しく考えようとしているせいだと見ることはできないだろうか。そうだとしたら、問題は「主題」ではなく「方法」の側にあることになる。問題の質や意味は「方法」次第で変容するだろう。
あれこれの情報が「われわれにとって必要な情報」になることを、ふつうは「知」といいます。情報をそのような「知」にしていくことが編集なのです。
「難しさ」や「もどかしさ」が「われわれにとって必要な情報」になり得るとしたら、どんな場面やプロセスが想定できるだろうか。
■2022.11.19(土)
花目付などというロールを担っていると、どうしたって人は私を「花目付」として見る。私自身も事あるごとにそういう視線や圧力やアフォーダンスを感じるので、そんなつもりがあってもなくても自ずと花目付として振る舞おうと意識づけられて行く。どうかすると編集学校の外の場面にいるときですら「花目付として恥ずかしくないように」などという意識が働いたりもする。
とはいえ実のところ「花目付」はたんにロール名であって、そこにいるのは常に「わたし」でしかない。ワタシとセカイの接地面に「花目付像」が立ち上がっているだけのことである。
花目付に限らず、世のあらゆる役職や肩書きや属性は「虚」なのだとしみじみ思う。
花目付らしさ、キャプテンらしさ、学生らしさ、社長らしさ、母親らしさ、私らしさ…。家族や友人や恋人同士でさえ、お互いの虚像を媒介にして認識し合っているように見える。おそらく、人は人を属性によって規定したがるものなのだろう。
さてそうすると、「師範代」とは何者なのか?
「らしさ」のもたらすイメージの力は人を輝かせもするが、「らしさ」に囚われて苦しむ者も少なくない。その相剋を解放することを花伝式目は教えようとしている。
つまり、師範代に立つという体験は「らしさ」を自由にするプロセスなのである。だが、その自由は自動的に与えられるものではない。
アイキャッチ:阿久津健
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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