vol06.嗄声【言語聴覚士ことばのさんぽ帖】

2023/04/04(火)08:35
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「話す」「聞く」「食べる」。
私たちに綿々と受け継がれ、なんとはなしに行われてきた行為たち。
あらためて注意のカーソルを向ければ、どんな景色が見えてくる?
言語聴覚士の端くれである筆者が、もっとも身近な自然である「私」を寄り道たっぷりに散歩します。


 

 朝、庭は一面の薄雪に覆われていた。

 均等な白を踏めば、きゅっと縮こまる音がする。沈めた足をそのままに、私はかつてそこにいたものたちの姿を思い出す。

 群生するシロツメクサ、ニホンヤモリの青い尾、ちぎれた蝉の頭、名前の知らないキノコ。庭を訪れる客はリレーするように移ろい、やがて順々に土へと還っていった。そうして、過ぎた季節の記憶は大地へと沁み込んでいった。

 濡れる足元には、いま、鮮やかな四季が滲み出していた。

 

 年明けからの時間は早い。『一月往ぬる二月逃げる三月去る』とはうまくいったものだと、毎年この時期になるとカレンダー前で立ち尽くしてしまう。

 暦の上では早々に迎えていた春を追いかけるように、降る陽ざしも俄かに暖かくなった。あちらこちらで弾けた花の香に包まれながら、ようやく私も新たな季節を迎えようとしている。

 

 さて、前回に引き続き「声」の話をしよう。

声は私たちから産まれる音の波であった。実はこの波間にも季節の記されたものがあることをご存じだろうか。本日は「嗄声」という言葉を歩いてみたい。

 

 【嗄】は訓読みで「かれる」や「しわがれる」と読む。そのことば通り、嗄声(サセイ)とは「声がれ」の医学用語だ。

 長時間のカラオケやおしゃべりで声がかれた経験をもつ方もいるだろう。嗄声の原因には、こうした声の使い過ぎがある。その他、過度な喫煙や飲酒、風邪や声帯ポリープ、はたまた喉頭癌といった疾患も引き金となり、いずれも声帯や声帯を動かす神経が障害されることで生じている。

 治療についてもこれらの原因に対応し、おしゃべりを控えるといった一時的なものから、禁煙や節酒といった習慣の見直し、外科的手術や化学療法など幅広い方法がとられる。

 

 

 では、かれた声とは具体的にどんな声だろうか。

 ガラガラ声、か細い声、もはや息だけがとり残されたような声。実は、これらすべてを嗄声として括ることができる。

 声は一般に、大きさ、高さ、質、持続性といった要素があるとされるが、嗄声とは、このうちの声の「質」に何かしらの異変がおきたものを総称するのだ。

 

 もうすこし詳しくみれば、嗄声には、粗糙性(Rough:ガラガラとした声)、気息性(Breathy:息漏れのような声)、無力性(Asthenic:弱弱しい声)、努力性(Strain:力んで無理をしてだすような声)といった4つの分類が用意され、評価の際には、この4成分がそれぞれにどの程度含まれるかを聴覚印象で数値化したりする。(*1)

 

 このように、声は「大きさ」や「質」といったいくつかの情報に枝分かれした後、その先でも、嗄声の分類といった細かな分枝が伸びている。

 声の全貌を知るには、そのひとつひとつを誠実に観察する必要があり、そこでは、あらゆる声に精通した〈耳〉はもちろんのこと、観察に得られたスコア同士を重ね一つの像へと結ぶインタースコアな〈目〉も養わねばならないのだろう。

 

 

 また、至極当然のことだが、声を聴くとき、そこには声の主がいた。

 嗄声をはじめ、思いがけない声の変容を理由に、実にさまざまな人々が病院を訪れた。

 教授、秘書、アナウンサー、車掌、歌手、販売員。声はあらゆる仕事場に響き、時にその伝言には非常な正確さが求められた。

 ある日、彼らは思うように声が出せなくなった。仕事の段取りは忽ち乱れ、生活を回していた歯車も次第、狂っていった。

 戸惑う彼らの瞳を覗けば、途切れてしまった授業や、伴奏だけが流れつづけるステージ、いつまでも発車できない列車たちが過ぎてゆく。

 皆が皆、喉の奥にかつての自身の声を探していた。そのとき、「いつもの声」は、その身と一心同体であった頃よりもずっと鮮明に、彼らの鼓膜に響きつづけている。

 

 声という切実な道具の破綻は、そこに紐付き営まれた仕事や規律の瓦解にも等しかった。

 病院で症状を訴える彼らが抱えるものは、ただの喉の不調ではない。彼らが見つめるのは、きっと、その延長線上に見え隠れする自身の世界のほつれめなのだ。

 

 

 ところで、【嗄】という漢字に目を向ければ、なぜ口に夏だったのだろうか。

 「かれる」というならば、寄り添うはもっと世界の静まる秋や冬の方がよかったのではないか。そんな素朴な疑問が湧いてくる。

 

 この謎を思うとき、私はある女性を思い出す。それは米国の詩人、エミリ・ディキンソンだ。ディキンソンは生涯を生家で過ごし、自室の窓から四季の庭景色を眺めては思索に耽っていた。

 そんな彼女がどんな季節より愛したのが、夏だった。

 彼女は、彼女の愛した季節について幾つかの詩編を残している。

 

Two Seasons, it is said, exist―

The Summer of the Just,

And this of our’s, diversified

With Prospect-and with Frost―

 

May not our Summer with it‘s First

So infinite compare

That We but recollect the one

The other to prefer?

 

二つの季節が存在するという

実際の夏と私たちの心の中にあるこうした夏

最初の夏は期待で、二つ目の夏は霜で彩られる

 

二つ目の夏は最初の夏に比べどこまでも無限だ

私たちは後者を愛すために前者を思い出すのではないか

(Fr811,J930)より

 

 愛する夏の終わり、霜の季節とともに喪失と、悲嘆と、孤独とは訪れる。彼女はその翳りのなか、過ぎた時間を思いながら、胸に生命の象徴のような「夏」を響かせていた。

 彼女にとって―そして私たちにとって、真の「夏」とは、激しく燃え盛る実際の夏ではなく、過ぎた後に胸に溢れるこの鮮明な面影の方だったのだ。

 

 【嗄】の夏も、きっとこれと似た性質をもっている。

 嗄ればんだ姿は、まばゆさを放つ面影を連れていた。

 それは、皺のよった老女の頬にかつての少女をみるような、歓びと憂いとを内包する生命の本質のようでもあった。

 【嗄】は、いつか果てる後ろ暗い影を伸ばす命を示しながら、燦然と輝く命を宿していた。光と影は互いに鬩ぎあい、やがて一筋の線だけを残す。それは、皮膚も、瞳も、声も、生物という存在のすべてが、いつか朽ちゆく限りあるものであることを教える、私たちの輪郭なのだ。

 

 詩人の愛した季節を口元に寄せれば、【嗄】は私を示す記号として生まれ変わり、嗄声は時を超えた二重奏となる気配がした。

 

 

 ふたたび庭を訪れると、雪は跡形もなく消えていた。

 あの雪は、季節と季節のあわいに置かれた空白のようだった。それは私たちが自身にとっての季節を綴るための白紙の頁だったのかもしれない。

 

 溶けた余白の先、いま、私たちに顔を出したのはどんな季節なのだろうか。進むほど鮮やかな面影と出逢えるような気がして、私はひとり庭をあとにした。

 

 

*1:詳しくは嗄声の聴覚心理的評価法であるGRBAS尺度をご参照ください。

〈参照文献〉

藤田郁代他『発声発語障害学第3版(標準言語聴覚障害学)』 医学書院(2021

『病気がみえるvol.13 耳鼻咽喉科』医療情報科学研究所(2020

亀井俊介編『対訳ディキンソン詩集』岩波文庫(1998)

  • 竹岩直子

    編集的先達:中島敦。品がある。端正である。目がいい。耳がいい。構えも運びも筋もよい。絵本作家に憧れた少女は、ことばへの鋭敏な感性を活かし言語聴覚士となった。磨くほどに光る編集文章術の才能が眩しい。高校時代の恩師はイシスの至宝・川野。

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