【ISIS BOOK REVIEW】本屋大賞『汝、星のごとく』書評~”言語聴覚士”の場合

2023/07/08(土)08:00
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評者: 竹岩直子 
言語聴覚士、
イシス編集学校 [守] 師範代


まだ小さな歯と舌の隙間。そこから理想の風が生まれる。
ドリルブックの「す」の頁。発音の練習に励む児は、ある単語をみて目を光らせた。
「せんせい、これ、あとでおかあさんにいうね」
時間の終わり、母を呼び込むと子は待ちわびたように先ほどの単語を披露した。母の目がわずかに見開き、その後ゆっくりと細い弧を描く。
―だ・い・「す」・き―
親子のあいだを温かな空気が通い、それはやがてトロトロと溶けて糸を引き始めていた。糸はみるみる濃くなり、繭となって二人を包んでいく。
気付けば、私の目の前で、親子は歪な形をしたひとつの物体となっていた。

◆「母」と「子」
本書は、男女の恋愛物語であり、同時に母子の物語でもある。
瀬戸内の島で生まれ育つ女子高生の暁海(あきみ)。彼女の父は不倫相手のもとへ出たきり帰らず、精神的に壊れゆく母と二人暮らしだ。島に越してきた同級生の櫂(かい)もまた母と暮らし、恋愛依存症の彼女に振り回されつづけている。
不安定な母を支え、生きる。似た境遇の二人は半ば必然的に巡り合い、不遇な身の上を男女の仲へと昇華させる。そして、打上花火も目に入らぬほど、互いに身も心も求め合う関係となるのだった。

十七歳から三十二歳。二人の人生には容赦のない難局がつづく。不幸の連鎖を止めようと藻掻くも、運命という膨大な数の歯車の、いったいどこを押さえればいいのかわからない。
けれど、暁海も櫂も、そして読者さえ、薄々に気が付いている。はじまりの小さな二枚の歯車。それは、母と子なのだ。母を諦めれば、運命はまちがいなく新たな局面を迎えるはずだった。
それでも、彼らは頑なに唱え続けてしまう。「見捨てない、母親だから」と。

目の前の可哀想な女。それは自身の母であり、源郷であった。人生に躓くたび、彼らは呟く。「俺はやっぱり泣いている女に弱い」、「私はなりたくない母と似ている」。
二人の背後には必ず母の影があった。それは運命の糸が巧妙に絡みつき、母と子をひとつの生き物にしているようでもあった。

◆「正体」と「正解」
つづく苦難に読者が疲弊する頃、ようやく暁海たちの正体は明かされる。即ち、彼女の元担任から「きみはヤングケアラーです」と宣告を受けるのだ。読者はここで、昨今話題のカタカナ語を知識としてではなく、地面を這うような重力とともに体感することとなる。

すべてのヤングケアラーに同様の精神構造がうまれるわけではない。
しかし、本書にはその一つの典型が描かれるかもしれない。

社会(家庭)の中で、選ぶ間もなく自身の役割を定められた子ども。
それは、たとえば母に対する精神的介護など、彼らが担うには重すぎるものだった。無邪気な時間も奪われていく。
―しかし、皮肉なことに、その役割に応えている限り、彼らはおのずと一つの「正解」を出していることになるのだ。
正解を出しつづける自己への愛は着実に募っていくだろう。そんななかで、己が抱く不満や期待といったものは、少しずつ濁り、澱み、見えなくなっていくのかもしれない。


◆「真の私」と「たくさんの私」
この歪にみえる自己形成は、われわれにも無関係ではない。
私たちは皆、多かれ少なかれ外界より求められるものによって自身の在り方を知ろうとする。
恋をすれば、あの人から見た「私」が濃くなり、社会に出れば会社での「私」が人生のオールを握る。自己と他者、個と社会、さらにいえば本能と理性さえ、すべての境目は蜃気楼のごとく揺らぎ続けている。「真の私」とは、いったい何処に在るのか。

暁海たちは、その揺らぎの中で「○○したい」と自分の意思を拾ってゆく。その作業は、自身を受容する過程そのものであった。
「母を見捨てられない私」、「あの人を忘れられない私」、「どこまでも格好悪い私」。
そんな「見たくない私」にこそ、「在りたい私」は隠れていた。

自らの意思を自覚した彼らは、やがて社会通念からはおよそ外れた、自分たちなりの新しい「正解」を導き出していく。その景色に、「真の私」とは、「たくさんの私」を知り抱きとめた先に光りだすものなのだと知った。

そして、こうも思った。濁流のなかだからこそ、彼らは頭上の光を、自分にとって大切にしたいものを見失わなかったのかもしれないと。

物語の最後、二人が追いかけた光はその掌のなかへとおさまる。そして生涯、手元でやさしく灯りつづけるのだった。

その美しい結末を、ぜひご覧いただきたい。


仕事終わり、「すき」とつぶやいてみる。
舌先で起こす摩擦の「す」、舌を打ち付ける破裂の「き」。二つの音のあとには遥か遠くより愛おしさが打ち寄せた。
それはきっと、この若い男女のあいだを、そしてその母とのあいだを流れた、おだやかな風と、砕ける波、そして消えることのなかった温かな情愛と同じなのだ。

言語聴覚士として思う。
これは、まぎれもなく「すき」の物語なのだと。


  • 竹岩直子

    編集的先達:中島敦。品がある。端正である。目がいい。耳がいい。構えも運びも筋もよい。絵本作家に憧れた少女は、ことばへの鋭敏な感性を活かし言語聴覚士となった。磨くほどに光る編集文章術の才能が眩しい。高校時代の恩師はイシスの至宝・川野。

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