バレエの苗代大国日本◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:原田淳子

2024/05/30(木)19:00
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▼日本のバレエ人口は、2021年の調査で25万6000人だという。2011年は40万人だったそうで、大幅に減ったのは少子化やコロナ禍の影響もあるだろうし、ヒップホップダンスやストリートダンス教室に生徒が流れているからという説もある。しかし「日本のバレエ教育環境の実態分析調査」の結果をよく見ると、年齢別の学習者は、小学生までの各年齢層と50代~80代の各層で増加している。バレエを踊る人は、幼児から後期高齢者まで幅広くおり、年齢を重ねてもやめない人が増えているとみえる。

 

▼外来の文化であるバレエが日本に入ってきたのは1911年といわれている。習い事として実際に踊る人が増えたのは、森下洋子さんが1974年にヴァルナ国際バレエコンクールで金賞を受賞し、世界的に有名になった頃からだろう。1990年代になると憧れの習い事からスタンダートな習い事になったようだ。

 

▼どうしてこんなに広まったのか。バレエは職業になりにくく、上達するのも難しい。歌や楽器、絵なら、技術はそれほどでもなくても「味があっていい」という評価もあるのだが、バレエについて、ヘタウマはありえない。プロとアマの間には越えがたい壁がある。

 

▼何がそんなに難しいのかといえば、バレエは最初から最後まで型であり、その美しい型を身につけるのに時間がかかるのだ。立つ、足を踏み出す、腕を動かす、顔の向きをつける…すべてのポーズと動作に名前がついており、美しく見えるためのルールがあり、その通りにしないといけない。その決まったルールを自分のものにすることが、容易ではない。一度でも体験してみれば、わかるはずだ。とくに技術も筋力もいらないような簡単なポーズでも、先生は女神のように美しいのに、自分はやぼったくカッコ悪い。一生懸命マネしているのに、どこが違うのがわからない…ということにガクゼンとする。10年やっても、なかなかバレエの美にならない。型どおりにするのに一苦労。さらに美しい型にするためには、身体を動かす際にどのように意識を向けるかが関わってくる。教えるのも習うのも難しいことだ。美しく型にはいり、それを自在に組み合わせ、音楽的に踊るまで高めるのは、遠い遠い道のりなのだ。

 

▼簡単ではないからこそ、続ける意味があるのだと思うのが日本流なのかもしれない。そう簡単には身につかない、一生をかけて学ぶ、芸を磨く、というカマエが日本にはあった。技芸を学び、作法を身につけるうちに人格が陶冶され、それが芸ににじみ出ると考えるのが芸道というものだと思う。バレエに出会い、魅せられた日本人は、それを芸道として捉え、そういうカマエで稽古に励んできたのではないか。

 

▼入手困難なバレエの型は、バレエ以外のダンスやスポーツにも通用する。フィギュアスケート、競技ダンス、新体操、ジャズダンスでもバレエのレッスンをしている人は多い。バレエは普遍的な美の型なのだ。職業になるとか何かの役に立つとか以前に、姿勢よくあるために、筋力を保ち健康でいるために、毎日自分を支えるアルスなのだと考えることもできる。

 

▼日本のバレエ人口の大半は苗代のまま、初心のままにとどまっているように見える。なかなか成果のでないものに、それでもあこがれをもって、粘り強く向かう芸道感覚がこんなところに継承されている。遠く高いところにある美に、じわじわと近づくのをライフワークにしている苗代な人たちが、バレエの裾野を広げている。

 

参考資料:日本のバレエ教育環境の実態分析

 

 

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◢◤遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは?

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  • 原田淳子

    編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。