自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
ガラス張りの会議室を占める半円形のテーブルは参加者とスタッフでぎっしりと埋まった。廊下側から足を止めて、壁に貼られたエディットツアーのチラシを眺める人が何人も通り過ぎる。
そこは森の都。定禅寺通りのけやき並木の緑が室内からも目に入る複合文化施設せんだいメディアテークの2階だ。仙台のみならず宮城県内の女川や隣の福島、そして東京から老若男女12名が集まった。
華やかなワンピースに下駄の足元、後ろ姿は十人十色。一見して何の集まりなのかまったく分からない。机の上のノートの取り方も文字も図解ももちろん違う。それぞれの頭の中のブラックボックスが可視化していく。個人の方法に光をあてる2時間半となった。
情報の地を動かすことで、図としての仙台を言い換えるワークでは、ある参加者が「羽生結弦ファンを地にすれば、仙台が聖地になる」と回答。ナビゲーターの吉村林頭と参加者たちは「なるほど!」と膝を打つ。編集が決まるとコミュニケーションが加速する。
編集思考素を使って、仙台を3つの情報で伝えるワークでは、近くに座る参加者同士がグループとなって発表する。「すずめ踊り・ジャズフェスティバル・光のページェント」という3つの街のイベントを挙げたグループには、「『舞・音・光』と一文字に揃えて言い換えるだけでより魅力的になります」と林頭がすかさず指南。情報を着替える編集術の効果を目の当たりにした。
回答が重なっていくにつれて、他の参加者の発想を楽しむカマエが備わり、それぞれの発言がよりいきいきとして、場の求心力が高まっていった。けやき並木の木漏れ日が傾き、オレンジ色に変わってきた頃、惜しまれつつもタイムオーバー。
情報が本来持っているものを引き出す方法を手に参加者たちは帰路につく。お見送りのあと、林頭や未知奥連弦主の森由佳はじめスタッフたちは、いそいそとタクシーに乗り込み、夜の国分町でおつかれ乾杯慰労会。
林 愛
編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。
こころとARSの連鎖ー還生の会目前・近江ARSプロデューサー和泉佳奈子さんインタビュー
松岡校長が千夜千冊で「惚れている」と告白したのは、エミール・シオランと川崎和男のふたりだけ。その川崎和男さんが校長の最後の編集の現場である近江ARSで、仏教とデザインを語り結ぶ。 ■還生する仏教 舞台 […]
透き通っているのに底の見えない碧い湖みたいだ―30[守]の感門之盟ではじめて会った松岡正剛の瞳は、ユングの元型にいう「オールド・ワイズ・マン」そのものだった。幼いころに見た印象のままに「ポム爺さんみたい」と矢萩師範代と […]
スペインにも苗代がある。日本という方法がどんな航路を辿ってそこで息づいているのかー三陸の港から物語をはじめたい。 わたしが住んでいる町は、縄文時代の遺跡からもマグロの骨が出土する、日本一マグロ漁師の多い […]
東京を離れるまで、桜と言えばソメイヨシノだと思っていた。山桜に江戸彼岸桜、枝垂桜に八重桜、それぞれのうつくしさがあることは地方に住むようになって知った。小ぶりでかわいらしい熊谷桜もそのなかのひとつ。早咲きであることから […]
2011年の3月11日にはここにいなかった。けれど、東日本大震災の慰霊祭に参加するのは8回目になった。住んでいる神社の境内の慰霊碑の前に祭壇を設けて、亡くなった人にご神饌と呼ばれる食事を捧げ、祈る。午後2時46分が近づ […]
コメント
1~3件/3件
2025-11-18
自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
2025-11-13
夜行列車に乗り込んだ一人のハードボイルド風の男。この男は、今しがた買い込んだ400円の幕の内弁当をどのような順序で食べるべきかで悩んでいる。失敗は許されない!これは持てる知力の全てをかけた総力戦なのだ!!
泉昌之のデビュー短篇「夜行」(初出1981年「ガロ」)は、ふだん私たちが経験している些末なこだわりを拡大して見せて笑いを取った。のちにこれが「グルメマンガ」の一変種である「食通マンガ」という巨大ジャンルを形成することになるとは誰も知らない。
(※大ヒットした「孤独のグルメ」の原作者は「泉昌之」コンビの一人、久住昌之)
2025-11-11
木々が色づきを増すこの季節、日当たりがよくて展望の利く場所で、いつまでも日光浴するバッタをたまに見かける。日々の生き残り競争からしばし解放された彼らのことをこれからは「楽康バッタ」と呼ぶことにしよう。