【大澤真幸の編集宣言!】アブダクションで〈世界〉からの呼びかけを見出せ

2023/07/03(月)21:00
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「オタクの楽園」「サブカルの聖地」と言われるようになった街、東京・中野。中野駅前で半世紀にわたって街の激変を目撃してきた中野サンプラザが閉館した。同じ日、イシス編集学校の本楼では社会学者・大澤真幸氏がオタク語りをしながらスペシャル講義を行っていた。テーマは「編集力はなぜ必要なのか」。

 

  • ▼世界が手放された

 

井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいと思う。

 

これは吉本隆明の言葉である。戦後の思想世界を席巻した吉本を起点に「現代、編集力によってどのような精神の状態と対決しているのかを考えてみましょう」と言って、大澤氏は戦後日本の精神史について語りはじめた。

 

「井の中」とは、日本の現実、日本で生きている人々の生活領域をさす。人々の生活の実感があり、吉本はそこに「大衆の原像」を見た。一方、知識人たちは「井の外」で知識を得て大衆に対し優位に立っているような振る舞いをするが、それで”偉く”なったと考えるのは虚像でしかない。井の外ではなく井の中に徹することで、逆に井の外にもつながる普遍的思想が自然と生み出されていく、と吉本は考えたのである。「そのとき獲得するのは知識ではなく【真理】である」と大澤氏は補足して、フランスの精神分析家ジャック・ラカンに触れた。ラカンは「知識」(savoir/knowledge)と「真理」(vérité/truth)をはっきりと区別した。どちらもつねに成り立つ普遍的な妥当性を求めているという点では同じだが、【真理】はそれに対する「あなたのコミットメントが含まれる」という点が「知識」と異なる。「あなたはそれに対してどういう態度なのか」と。

 

ふたたび吉本の思想に戻ると、井の中に徹するとき【真理】を獲得するならば、それは「世界にコミットしている」という感覚をもたらすことになる。無名の民衆として、自分の立場から考えていること(井の中)が、そのまま世界の理想(井の外)につながる何かについて考えることができているという感覚、これは戦後数十年間はリアリティがあった。ところが1980年代あたりでその感覚が通用しなくなったという。自分にとって深刻な問題は、世界の理想にはなんら関係がない。井の中は永遠に井の中なのではないか、そう思われるようになった。まるで世界が手放されたかのように。ちょうどそのころ登場したのが「オタク」である。

 

▼ぼくらは【真理】に飢えている

 

世界のポイントは、一つの全体性だということ。定義上、世界の外はありません。わたしたちが関わっている意味のある全体性が世界です。

そう言って大澤氏は黒板に〈世界〉と書いた。

 

〈世界〉を自分の興味のある主題の領域にまるごと写像しているのがオタクです。

今度は「世界」と書いた。

 

 

では近頃よく聞くセカイ系のセカイはどうか。

自分にとって親密な関係の出来事が、宇宙や地球の運命のような決定的に大きなものに結びついているという極端な短絡があるのがセカイ系です。セカイ系のセカイは、「世界」に〈世界〉を取り戻そうとしたときに生まれるもの。セカイは〈世界〉から二重に隔離されているのでより一層幻想的な世界になってしまう。だからセカイ系の話には超能力、非現実的な力が入ってくるんです。

最後は赤字でセカイとして、上に〈〈世界〉〉と書き添えた。

 

〈世界〉と「世界」とセカイの関係を炙り出した上で、「現代は【真理】が成り立たない時代」だと大澤氏は指摘した。自分は〈世界〉とつながっていない、〈世界〉は自分を求めていない、〈世界〉に見捨てられている。そうした感覚を持ちながら、オタクは〈世界〉を「世界」で代理する。あたかも「世界」が〈世界〉そのものであるかのように関わる。「世界」ならコミットできる感じがする。ただし、いくらコミットしてもそこはあくまで「世界」。〈世界〉へコミットする【真理】はない。もちろんセカイにもない…。

 

 

それなら【真理】など不要なのか。いらないと開き直れば「それってあなたの感想ですよね」のひろゆきになる。「でも、」と大澤氏の言葉に力がこもった。

ほんとうは【真理】がほしい。ただどこに【真理】が転がっているか分からない。だったら〈世界〉のほうから、ほかならぬこの私に呼びかけてほしい。そういう切実な気持ちがわれわれのなかにある。呼びかけがあれば、私はその使命に【応答する】というかたちで世界にコミットできる。【真理】に近づけるんです。

 

そしていよいよ「編集」に踏み込んでいく。「編集は〈世界〉に対する関わり方であり、〈世界〉からの呼びかけをどうやって見つけるかという技術、スタイルである」と言って、校長松岡正剛の千夜千冊エディション『編集力』を手にとった。

 

 

▼アブダクションで〈世界〉からの「呼びかけ」を見出せ

 

『編集力』をぱらぱらとめくりながら、編集力の精髄はチャールズ・パースの「アブダクション」と大澤氏は断言した。演繹法や帰納法とは違い、間違っている可能性がある推論としてのアブダクションこそ、ほんとうの意味での想像力と創造力の源泉となっている。さらに私たちは【真理】に近づくために〈世界〉からの呼びかけを感知しなければならないが、呼びかけを見出す方法がアブダクションなのだと。

 

「ところでみなさんには、なぜアブダクションがそれほどまでに大切なのか、そこまで腹落ちしてほしい。アブダクションの背景について、松岡さんの援護射撃的な話をしてみたいと思います」

 

キーワードとして挙げられた言葉は「懐疑」だった。懐疑といえばデカルトの懐疑が思い浮かぶ。だが原点中の原点はキリストが十字架の上で神に対して抱いた懐疑であると強調した。神はわたしを見捨てているかもしれないという疑い。言い替えれば、存在そのものに対する疑いであり、そのとてつもなく深い懐疑を西洋精神は抱き続け、それに対抗しようとして異様な体系が生まれてきたというのがヨーロッパの歴史の全体だ。その懐疑に対抗する最後の強烈な一手がアブダクションだった。

 

これでもかという疑いがあるなかで〈世界〉からの「呼びかけ」を見出し、「信じる」ことを取り戻して〈世界〉へのコミットメントを獲得すること。それこそがアブダクションという方法なのである。

 

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前期50期[守]基本コースからはじまった各界著名人による特別講義。法政大学元総長で江戸文化研究者の「田中優子の編集宣言」では、50[守]全体に”目覚め”の渦が巻き起こった、と[守]学匠鈴木康代は振り返った。半年後、「大澤真幸の編集宣言」を目撃した51[守]にはアブダクションへの歓声が湧き上がり、”アブダクションの聖地”になっていきそうだ。

 

 

 

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  • 福井千裕

    編集的先達:石牟礼道子。遠投クラス一で女子にも告白されたボーイッシュな少女は、ハーレーに跨り野鍛冶に熱中する一途で涙もろくアツい師範代に成長した。日夜、泥にまみれながら未就学児の発達支援とオーガニックカフェ調理のダブルワークと子育てに奔走中。モットーは、仕事ではなくて志事をする。