53[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!アリストテレス大賞 小笠原優美さん

2025/02/26(水)12:00
img

人生は物語である。人にはそれぞれの物語があるわけだが、ならば、物語など書く必要はあるのだろうか。

 

[破]には、3000字の物語を書く物語編集術がある。[守]の稽古を終えて卒門した学衆の多くは、この編集術に惹かれて[破]へ進む。

 

物語編集術は、5つの課題映画から選んだ作品のキャラクターやストーリーを読みとり、オリジナルな物語を作る編集術である。時代を取り替えたり、主人公の性や性格や属性を読み替えたりして「翻案」することで新しい物語をつくるのだ。学衆はアワード「アリスとテレス大賞」に作品をエントリーし、方法の目利き(学番評匠、師範)が選考にあたる。

 

2月9日に突破日を迎え幕を閉じた53[破]では、5本の映画から数多の物語が生まれた。行き過ぎたAI活用のその先を描いたSF、秋田のマタギの家を舞台に神隠しをモチーフにした奇譚、関ヶ原の合戦後に起きた忍びの者の汚名挽回活劇など、多様多彩な48の物語だ。

 

これから紹介する小笠原優美さんのアリストテレス大賞作品は、映画『エイリアン』の翻案から生み出された、戦後すぐの広島を舞台に、体に変調をきたした主人公の環が苦悩し再生する物語。アリストテレス大賞へと導く指南をした、土田実季師範代(イメージ・チューナー教室)は、小笠原さんの稽古をこう振り返る。

 

戦後広島の妊婦の世界のコンパイルを
現代を生きる小笠原さんがしていく中で、
「復興とは何か?」という問いを持たれました。
そしてあるとき、私から見て、小笠原さん自身がふぅっと、
環になって生きているように感じた瞬間がありました。

 

小笠原さんは物語を書くことを通じて、その「世界」を生きた。その経験は、書き手自身とその人生、つまり、これからの物語を変えずにはおかないだろう。物語を書くことの意味はそこにあるにちがいない。

 

小笠原さんに、変容を迫ったであろう物語を、選評委員による講評とともにご堪能あれ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 53[破]≪アリスとテレス賞≫「物語編集術」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【アリストテレス賞:大賞】

 

■小笠原優美(イメージ・チューナー教室)

『オモカゲ』                原作:エイリアン

 

フタツキ 

 

 川から抜ける風がいつの間にか息をひそめて止まった。額からジッと汗が吹き出して来る。地から湧き上がるようにサイレンが鳴り響き、8時15分を知らせる。
 「黙祷」
 環は手拭いを解いた。あれから1年。この後、追悼会に出席する航一に差し入れを持たせねばならない。静かに目を閉じると、壁の黒いシミが瞼の裏で徐々に大きくなる。あの日も、今と同じように出掛けに畳を掃除していた。屋根が爆風で吹き飛ばされ、ガラスまみれの割にかすり傷で済んだ。だが、山の方角にあったはずの街が忽然と消えている。空襲警報は鳴ったのだったか。我が子を思って、背筋がゾクっとした。「探さにゃ」。走ろうとするが、泥沼に捕まったように足がもつれ、前へ進めなかった。
 そっと目を開けると、ブツブツ言いながら隣で祈祷の真似事をしていた翠がいない。「みどり?!」一瞬、グイッと誰かに背中を掴まれたように感じて悲鳴が漏れた。「じゃじゃ~ん、ここじゃ~」。
襖の裏から顔を出した子が、舌を出して笑っている。「そばにおるって、約束したじゃろう!」どんぐり目からみるみる涙が溢れ、環を睨みつける。「すまんね」。膝を折ると、胸の辺りに酸っぱいものが上がってきた。前にツキのものが来たのは、いつだったか。

 

ヨツキ 

 

 忙しく街中を駆けずっている航一が数日ぶりに食卓に戻った。新しい命のことを家族にはまだ伝えられていない。「あの支那そば、お父ちゃんにも食べさせたいねえ」。翠がハツ子の耳元でささやいている。「そば?ハツさん、翠を駅前に連れて行ったんか?」環が問い正すと、ハツ子は翠の方を向いて「そうやねえ」と気まずそうにしている。市の辺りは流れ者がゴロついているため必要以上に近づかない、と決めていたのに。航一は下を向いて菜葉をポリポリ噛んでいる。ハツ子が顔を上げて言った。「そうそう、今日寄合でウメさんに会うたんですよ。産婆の。ケイ子さんが一昨日じゃったて。赤子はあかんかったそうじゃ」。
 アカンカッタ。裏戸側の厨は暗くて手元も良く見えない。カチャリ茶碗がぶつかって音を立て、洗い桶の縁が暗がりにゆらゆら混ざり合う。環の手元にポッカリ穴が落ち込んで、嫌な臭いが鼻をかすめた。ホウシャノウを、あの日自分はたっぷり吸い込んだのではなかったか。目に見えない、恐ろしいもののせいでか、しばしば吐き気を催し、腹をくだしている自分はどこか悪い所があるんだろうか。腹に宿った命は。闇の中でじっと立ちつくす環の中をツーっと泳ぐ赤子の気配がする。

 

イツツキ

 

 踏み固められた道端に草っぱが申し訳なさそうに生えている。微かに膨らみ始めた腹に手を当て、環が眺めていると、翠が何かを大事そうに抱えて帰ってきた。母の怪訝な顔を見て、聡い翠は問われる前に素早く弁解する。「ウメさんにもろた」。
 羽織に着替えた航一がチョコレートの包み紙をしみじみ撫で回している。「駅から奨励館を抜けて東西に大きな道路ができる。そこを車がようけ走るでぇ。街は生まれ変わるんじゃ」。一瞬、あまりのお人好しぶりにカチンと来た環は「フッコウフッコウ。多いにケッコウ。そんなん急がんでもええ」。呟いてハッとした。みなが哀しそうに環を見ている。「身体にいらうで、栄養つけにゃ」。航一が言うと、ハツ子と翠がイソイソと米国産の銀紙を剥いて、環の前に一粒コツンと置いた。「明日御礼に行ってくる」。
 隣町境にあった小学校は骨組みだけが残っている。区画整理が追いつかず、あちこちに醜いバラック小屋ばかり目立つ。梅は髪を丁寧に纏め、小さな身体でテキパキと庭先で片付けをしていた。戦後他所から越してきた梅を環は良く知らない。よそよそしく「結構なものをありがとの」礼を言うと、梅が「奥さんは、あの日市内に?」
と聞いた。何を問われたのか分からず黙ったままでいる環を無遠慮に覗き込んで、梅は続けた。「ムツキくらいかしら」「今度米国が被爆者調査のため市内に入るんです。妊婦は産まれる子らも経過観察対象になっていて。奥さんにも協力いただきたいの。あなたなら近所にも顔が利くし」「私も、息子を戦争に取られました。立ち直るためにすべきことがあると思います」。

 

アト、イツツキ  

 

 佳子のお産がハッキリ被爆のせいと決まった訳ではない。だが、それにも調査が必要だし、米国は情報提供を求めている。お腹の子のためにも協力すべきだ。梅の言葉は環の目の前にバラバラと落ちた。「うちは・・・。なんでそがいに、簡単に・・・」。おぼつかないまま、梅宅を辞して、どうやって歩いたのか分からない。気が付くと、環は新たに井戸を掘るための大きな穴ぼこの淵に立っていた。街灯の陰になって、全てを見渡すことができない。ヌメっとした生き物が赤ん坊のような泣き声をあげて、奥底から呼んでいる。
 環は声を押し殺して泣いた。女学校の友人と歌いながら歩いた道も、翠とつくしんぼを探した川縁も、あの日に重なり、黒い影になって目に焼きつき、人の焼けるにおいが鼻の奥にこびりついている。摘んでもニョキと生えてくる雑草のように、助けを求める呻き声は尽きることがない。なかったことにできるなら、そんな簡単なことはない。だが、新しい道路を作っても、川を埋め立てても、決して元には戻らない。あの光と降った雨のせいで身体に染み込んだものを、消し去ることはできない。「どうせい、っちゅうんや」。怒りとも哀しみとも知れない塊が喉につかえている。

 

ナナツキ

 

 腹の重みが増すにつれ諦めに似た気持ちでいた環が決心したのは、キリッと冷え込み霜が降りた冬の朝だった。港に近い事務所には星条旗と日の丸が一緒に掲げられている。事情を告げて粗末な部屋に通されると、出がけについて来た翠がそっと環の手を握った。ノックの音がして、髭を生やした背の高い男が小さなカップを手に入って来る。出迎えたイアンは、唐突に訪れた客にどう接して良いものか考えあぐねていた。見ると背筋を伸ばした女のオビの辺りが膨らんでいる。「コーヒーは好ましくなかったか」。
 環は先程から、机の周りをウロウロするばかりで落ちつかない大男を眺めながら、逆に自分の緊張が徐々に解けて行くのを感じていた。米国人の話す言葉はさっぱり分からない。が、彼は環を見ながらゆっくりと話す。「For your children. For your home town. For our future.」
 ふと、翠を見やると、角砂糖を小さな口に頬張り、目を回してニヤニヤと笑っている。「ほうじゃ。この子達にとってはこの景色が故郷じゃ」。新しい草木と命が吹き込まれた街を、取り戻さねばならない。「お父ちゃんとハツさんに持って帰ろうね」。懐から出した手拭いに残りの角砂糖を包んで、環は黒々とした液体をグイッと飲んだ。苦味が喉を抜ける。「なんじゃ。うまいけえ」。ふっ、っと環は笑った。お腹の子が、グルリ一回転する。呆気に取られているイアンを置いて、環と翠は事務所を後にした。手を取って歩く二人の帰る道は、あいも変わらず空が抜けて、焼け野原が山まで続いている。

 

◆講評◆
 ワールドモデルと物語を驚くべき精緻さで表裏一体に編み上げた構想力と筆力と覚悟に感嘆しました。切実を引き受けずして何が編集か。とはいえ、あまりに生々しい切実は人から言葉を奪います。頭上に浮かぶ目が主人公を後背から見つめるような、いわば自己を他者化した鳥の目のナレーションを見出したことが大いに奏功しましたね。『東京プリズン』と共にかつてのセイゴオ知文術の課題本に『悪童日記』『オリガ・モリソヴナの反語法』がありました。戦争や収容所を扱ったこれらの作品の特殊なモードは、危機に瀕した感情から距離をとって人間が生きていくためのやむにやまれぬ方法で、小笠原さんが今回編み出した語り方はこれらに匹敵する方法の発見だったと思うのです。
 エイリアンの翻案の多重性、反復される黒いモノの不気味さ、正体も先も見えない閉塞感。標準語と広島弁の対比、象徴的なカタカナ遣い。そして、苦味や酸っぱさや臭いといった生理的で身体的なストレス表現。挙げればきりがありませんが、よく練られた構成とディテールが見事に世界を立ち上げ、さらなる寓意性を帯びた物語が誕生しました。
 最終章冒頭で主人公がふっきれたきっかけは何だったのか、暗示的といえば暗示的、不明瞭といえば不明瞭ではありますが、理屈で割り切れないからこそ情動。大賞の風格を備えた玉篇に満場一致でアリストテレス大賞を贈ります。

                     講評=評匠:福田容子

 

  • 白川雅敏

    編集的先達:柴田元幸。イシス砂漠を~はぁるばぁると白川らくだがゆきました~ 家族から「あなたはらくだよ」と言われ、自身を「らくだ」に戯画化し、渾名が定着。編集ロードをキャメル、ダンドリ番長。

  • 【校長相話】あの声が聴こえるところ

    これは徹夜になるな。    その日私は、ツトメ帰りに会場である本楼上階の学林堂に向かった。到着し準備を始めたところに、松岡校長がふらりと現れ、離れたところに腰を下ろし静かに耳を傾ける。そして、私はうれし苦しい […]

  • 52[破]のPERFECT DAYS

    映画『PERFECT DAYS』が異例のロングランを続けている。アノ人も出ている、というので映画館に足を運んだ。   銀幕を観ながらふと、52[破]伝習座の一幕を思い出した。物語編集術の指南準備として、師範代た […]

  • ★祝★一倉師範代、五七五で新人賞!

    ホトトギスが一倉広美師範代を言祝いだ。51[破]マラルメ五七五教室の師範代、一倉に日本伝統俳句協会新人賞が贈られたのである。    日本伝統俳句協会は、明治の俳人高濱虚子の孫、稲畑汀子が虚子の志を現代に伝える […]

  • 「いじりみよ」にコイをして

    恋せよ学衆。   51[破]はコイの季節である。対象はもちろん編集だ。編集は奥が深い。そこで、51[破]は編集を研究する「コイラボ」を立ち上げた。   まず、「いじりみよ研究所」が一部局として開設され […]

  • 49[破]に第3のアワード誕生

    [破]に新たなアワードが誕生した。といっても全教室参加の「アリスとテレス賞(AT賞)」ではない。チーム限定の非公式、ローカルなAT賞擬きである。49[破]の2教室、藍染発する教室(古谷奈々師範代)と臨刊アフロール教室(西 […]