空中戦で捉えた獲物(下)をメス(中)にプレゼントし、前脚二本だけで三匹分の重量を支えながら契りを交わすオドリバエのオス(上)。
豊かさをもたらす贈りものの母型は、私欲を満たすための釣り餌に少し似ている。

五色の衣から二十の世界に着替え、56[守]へ走りだした。
今期の花伝所は勢いがあった。第88回感門之盟・放伝式冒頭で所長・田中晶子に「なつく」と評されたように、放伝生たちは、師範から技を盗もうと、何度も応答を繰り返し、どこまでも知と方法を追い続けた。その姿に感化され、師範たちも指導に熱が入った。長年花伝所に携わる、43[花]くれない道場の花伝師範・吉井優子は、1273という道場での発言数は、過去一だという。
そんな放伝生を代表して、やまぶき道場からトージ瀬戸際教室に乗り換えた、杜本昌泰師範代が武者震いしながら、決意を述べた。
『インタースコア』(春秋社)に、“とくにぼくが重視する編集は「境い目」を超えるときに最も劇的にあらわれる”、という校長の言葉が記載されている。それを千夜千冊443夜『五輪書』では、“渡をこす”と表され、“「渡」を越したかどうかを体や心でわかるべき”と書かれている。杜本は、花伝所の経験をそれに重ねた。指南を書き、指導が入っても、まったく出来ている気がせず、手も足も出なかった。しかし、夢中になって演習をすすめ8週間たつと、手足が少しずつ出るようになっていた。みなそれぞれが渡を越す瞬間があり、それを身体と心で感じるものだった。渡を越すことに全身で全力を尽くした、と振り返る。
そして、意味に飢える社会で、師範代になることに意味がある。意味が欠如した世界は、編集を要している。編集工学に魅せられた皆と共に、校長の共伴者となって、感と応を全開にして別様を介していく存在になりたい。ここまで編集工学をつないでくださった、学林局や学匠、番匠、花目付、師範のみなさまに感謝したい、と締めくくった。その言葉に、その場に居合わせた[破]番匠・白川雅敏は、「嬉しいね」と思わず漏らしていた。
杜本は、冠界式で名前を呼ばれると、壇に上がる前に本楼の校長の祭壇に一礼していた。そこで、校長と共に走る意志を伝えたのだろう。編集工学を継ぐ師範代として、カマエ直した。
アイキャッチ・文/中村裕美(43[花]錬成師範)
イシス編集学校 [花伝]チーム
編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。
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沖縄では新暦の暦のずれを調整するため、約3年に1度、旧暦で同じ月が2回現れる特別な月がある。「ユンヂチ(閏月)」だ。ユンヂチの旧盆はことさら特別なのだが、今年はあろうことか第88回感門之盟と重なった。 叫びとも呻きともつ […]
教室名発表は告白だ。告げられる側なのに、なぜか告げる側のような気持ちになる。「イーディ、入れておいたよ」、松岡校長が言葉をそえる。その瞬間、告白した後の胸が掴まれるような感覚を、私はいまでも忘れない。 ” […]
「アフ感」への参加は感門之盟のあとがきを綴ることである【88感門】
編集稽古では回答の末尾に振り返りコメントを書く。教室では回答したあとでしっかり振り返ることが欠かせない。講座修了を言祝ぐ「感門之盟」を振り返る。その場を提供してくれるのが「アフ感」だ。正式には「アフター感門之盟」である。 […]
コメント
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2025-09-09
空中戦で捉えた獲物(下)をメス(中)にプレゼントし、前脚二本だけで三匹分の重量を支えながら契りを交わすオドリバエのオス(上)。
豊かさをもたらす贈りものの母型は、私欲を満たすための釣り餌に少し似ている。
2025-09-04
「どろろ」や「リボンの騎士」など、ジェンダーを越境するテーマを好んで描いてきた手塚治虫が、ド直球で挑んだのが「MW(ムウ)」という作品。妖艶な美青年が悪逆の限りを尽くすピカレスクロマン。このときの手塚先生は完全にどうかしていて、リミッターの外れたどす黒い展開に、こちらの頭もクラクラしてきます。
2025-09-02
百合の葉にぬらぬらした不審物がくっついていたら見過ごすべからず。
ヒトが繋げた植物のその先を、人知れずこっそり繋げ足している小さな命。その正体は、自らの排泄物を背負って育つユリクビナガハムシの幼虫です。