巷では、ChatGPTが話題である。
ChatGPTは、人工知能研究所のOpenAIが2022年11月に公開したチャットボットで、インターネット上のデータを学習し、幅広い分野の質問に対して回答をすることができる。一点の瑕疵もない回答が返るとは限らないが、その自然さと精度は革新的であり、全世界で、史上最も急速に成長している消費者向けアプリケーション(2023年1月に月間アクティブユーザー数が1億人)となった。
また、Microsoftは今週の2月7日、検索エンジン「Bing」に、OpenAIのGPT-4を搭載することを発表した。GPT-4は、ChatGPTに搭載されているGPT-3.5よりさらに強力なモデルであり、AIDAボードの武邑氏によれば「大学院生や研究者レベル」の答えを返すという。
名だたる企業の幹部・幹部候補が集まるHyper-Editing Platform[AIDA]の座衆も、ChatGPTの動向には耳目を属するところだろう。そして「日本語としるしのAIDA」というSeason3のテーマの渦中にあっては、その関心は技術的・経済的な可能性に留まらない。
2月11日に行われた第5講のフラッグメッセージにて、編集工学研究所の安藤昭子氏は、現代を「言葉を生成する機械の中に生きる時代」と表現した。技術の進歩を否定するわけでも、無闇に警戒するわけでもない。ただし、AIによって生み出された「個の記憶を持たない言葉」が外言としてあふれる世界に身を浸していれば、それが知らず知らず、私たちの内言に影響を与えることは必至である。2022年10月に始まった「日本語としるしのAIDA」、今、このAIDAを捉え直すことはますます喫緊の課題となった。
そんな第5講のゲストは、リービ英雄氏である(千夜千冊0408夜『日本語を書く部屋』)。あらためて紹介するまでもないだろうが、アメリカ生まれの日本文学者・小説家で、『万葉集』の英訳で知られるとともに、日本語を母語とせずに日本語で創作を続けている文学者として名高い。松岡座長は、千夜千冊の中で
日本語を越境させること、そのためにアメリカ語から日本語に、漢字から仮名に入ってみること、その役目を引きうけたリービ英雄に、ぼくは言いようのない感謝のようなものを感じている。いわば共闘者への感謝だ。
と述べている。2月11日は長年の共闘者との、じつは初めての交流が実現した日となった。
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第5講では、リービ英雄氏の著書『英語でよむ万葉集(岩波新書)』がたびたび取りあげられた。
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける
これは情景描写の歌であって、当初、リービ氏は簡単に英訳できそうだと思ったという。しかし「真白にそ」の「真」も「そ(ぞ)」も英語には存在しない。純白さ、けがれのなさ、美意識の困難なほどの強調を、リービ氏は I gaze: white, pure white と訳した。
ボードメンバーの田中優子氏は、リービ氏が翻訳のなかに「I」を入れるということについて、新鮮な驚きと発見を述べた。日本の古典文学に「私」を初めとする主語が登場しないという事実はよく知られており、それは田中氏の専門である江戸時代であっても同様である。しかし、リービ氏の翻訳を読み、不尽の高嶺の雪景色を見て「真白にそ」を感じている生身の人間がいるのだということを鮮明に感じ、使いようによっては、日本語の現代語訳においても「私」が効果的なのではないかという発見を得た、と。
リービ氏によれば、この「I」は、根本的には「we」や「you」でも構わないという。松岡座長は、後のAIDAセッションでそれを引き取り「もともとの日本語の人称の曖昧性、ふつつかでおぼつかない状態においてあるものを、英語に訳すにあたってIやweに自在に変化させられるということ、それが可能であるということをリービさんが感じていらっしゃるというのが、かけがえがないことだ」と語った。
見渡せば明石の浦に燭す火のほにそ出でぬる妹に恋ふらく
イシス編集学校の[守]の講座で登場する「”の”の字の不思議」がここにもある。この日の話題の中心は、明石の浦に灯す燭す火の、の「の」だったかもしれない。
ひとつの情景があって、細かい感情の動きがある。「の」という一つの平仮名によって情景と感情が結ばれる。英訳では「火のように」という意味で like が用いられたが、この「の」は、西洋でいう比喩にとどまらない。日本の表現者たちは、繰り返し繰り返し、これに類する「の」を歌の真ん中に置いたとリービ氏は指摘し、ここには非常に本質的なものがあると断言した。
それは、現代語では復元不可能な「の」である。古代人の発想のなかには「似ている」とは異なる情景と感情の融合の感覚があった。リービ氏は、そういった翻訳を通じて見えてきたものについて、最終的には翻訳を否定してターゲット言語そのものに向かう必要がある、という。翻訳という手段を通じて近寄った後に、それを潔く捨て去るのだという方法論に目を開かれた座衆も多かったことだろう。
私たちに取って「万葉集」は古典の古典のように思われるが、リービ氏によれば、万葉集はある意味で「とても新しい」のだという。長いオラル文学の伝統の後、急に七世紀に文字を得て、自分たちの感性を綴る方法を得た人々の溌剌とした歌の数々。リービ氏はそれを「何もない野原に、急に高層ビルができあがったようなスリル」と表現した。出発、1500年経ってまた出発。日本語はつねに「新しい」。
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日本語で綴られた文章、とくに古典から近世の文芸は、枕詞然り、連歌然り、きわめて共同体的なあり方をもっている。文学は共同体の中で作られるというのが、個人のオリジナリティを重視する西洋文学と、日本文学との違いである。日本においても、現代文学は西洋的な価値観に寄っているが、それでも「対談」や「座談会」を重視し、話し言葉と書き言葉のアイダを多様に編集していくというのは、日本に独特のあり方だという。
個の記憶と共に、類の記憶を保存した、場と切り離し得ない言葉としるし。「言葉を生成する機械の中に生きる時代」にあって、日本語としるしのAIDAには、やはり何かの突破口が隠されているのかもしれない。
そんな予感を胸に、AIDA Season3はいよいよ最終講へと向かっていく。
加藤めぐみ
編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。
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