【三冊筋プレス】おれはひとりの修羅なのだ(中原洋子)

2020/04/19(日)10:03
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 明治時代、西洋文化が日本に入ってきて、学問、芸術、思想などの多くの基本用語が日本語に翻訳された。翻訳語研究者である柳父章は、『翻訳語成立事情』の中で、漢字を用いて舶来の新しい概念を作ろうと奮闘した、当時の知識人たちの迷いと試行錯誤を興味深く描いている。


 「物理」ということばも、physics という外来語の翻訳語である。「物理」はもともと漢学にもあり、日本では「物の道理」という意味で使われてきたが、明治以降は「理学的な道理」のみをいうようになる。「物理」ということばから「人がそうあるべきすじみち」という意味は消えてしまった。

 西洋の列強に対する恐れと憧れ、日本は生き延びをかけて西洋文明の取り入れと外交を始め、富国強兵という修羅の道を歩んでいく。

 やがて、世界では科学と産業が結び付き、軍事化され、物理学も国家や社会との関係性が強まり、政治や軍事とも直結する様相を深めていくようになった。


 そんな中、日本でも湯川秀樹がノーベル賞を受賞する。物理学者が燦然と輝いてみえた時代、『修羅から地人へ』の主人公、当時中学生だった藤田祐幸少年は、物理学の可能性に胸を膨らませ、科学者への道を志したのだった。

 憧れの物理学専攻の大学生になって間もなく、藤田青年はある疑問を抱くようになる。近代物理学の大家たちの多くが、原爆の開発に関与していたと知ったからだ。彼らは自分たちが作ろうとしているものがどんな結果をもたらすか理解していたにも拘わらず、研究に没頭し、ヒロシマ・ナガサキの悲劇を生み出した。水俣病で、政府や産業界の意に沿う形で原因確定を遅らせた学者たちのありようと彼らの姿が重なった。研究の結果がどんなに重大な結果をもたらしても、権力に阿る科学者たちが責任を問われることはない。科学者の倫理規準はどこにあるのか。理想は失われ、腐敗した現実がそこにあった。

 

 藤田氏は、市民側に立つ科学者であることを自らに課し、ずっと原発に反対する立場をとり続けた。一方、その活動と並行して、三浦半島の自然を破壊する都市開発反対の市民運動にも情熱を注いだ。藤田氏の人生を背骨となって支えたのは、地人として生きた宮沢賢治の生き方への共感である。この運動は宮沢賢治の童話『ポラーノ広場』にちなんで、「ポラーノ村」運動と名付けられた。賢治が夢見たような村を作ることはできなかったが、「小網代の森」と呼んだ豊かな森は残った。

 現地調査でチェルノブイリやイラクなど汚染地域を訪ね歩くうち、藤田氏は本当に大切なのは進歩でも発展でも成長でもないということを痛感する。放射能の現場を彷徨う「修羅」から、地に根を張って循環型社会のあり方を示す「地人」として生きることを決断した。長崎県の雪浦という小さな寒村で、太陽光・通風・雨水・排水を利用した自然環境志向の住宅に住み、有機野菜を作る。


 人々が芸術に触れながら有機農業や工芸などを営む雪浦の暮らしは『ポラーノ広場』を思い起こさせる。伝説の広場「ポラーノ」を探し求めた少年たちがたどり着いた場所は、腐敗した権力者たちの酒宴の場。最初は失望するが、やがて自分たちの手で人と自然、人と人が共生する新たな理想の広場を実現する。

 大事なのは自分はこうしたいという意志を一人一人が素直に「表明」すること、それは原発問題にも通じる、と藤田氏は語る。

               
 私たちはミューズ的な人間の芽生えとして生まれてくる。音楽に潜むミューズ(音の女神)は胎児の頃から人間の中に根差しているのだ。

 世界どこの国においても、遊ぶ子供たちの間には自発的な歌が存在する。『内なるミューズ』の著者であるヨン=ロアル・ビョルクヴォル氏は、そんな子供たちの自発的な歌を「ンゴーマ」と呼ぶ。

 乳児の喃語に端を発するンゴーマは有機的に発展していく。身体の動き、言葉、歌からなるンゴーマは感情の内部エネルギー、緊張、揺れをいわば音によって実現している。ンゴーマはまさに彼らの「表明」だ。

 ミューズ的人間の表現力は測り知れない。彼らから生まれてくるその表現は、私たち皆のうちにある“何か”と関わりを持っている。芸術家は子どもと同じ源からそれを注ぎだし、我々のミューズ的な自己に霊感を与え、命を吹き込む。音楽を人間の内で揺らし、強大な社会さえ揺さぶるほどの制御不能な衝撃を与えることができる。


 ソ連国家と権力者によって抑圧され迫害された作曲家ショスタコーヴィチの音楽は、ことばなしで純粋に楽器だけを使って、完璧に全てを言うことができた。彼の音楽は大衆も直面している検閲の恐怖体制において、大衆の抵抗の手段となったのだ。ショスタコーヴィチはたくみに国家体制を欺き、スターリンを生き延びた。

 

 生き延びるための戦略としてのユロディヴィ(聖痴愚)の仮面、それもまた修羅の道であったことは間違いない。

 

●3冊の本

 『「修羅」から「地人」へ 物理学者・藤田祐幸の選択』福岡賢正/南方新社

 『内なるミューズ(上・下)』ヨン=ロアル・ビョルクヴォル/NHKブックス

 『翻訳語成立事情』柳父章/岩波新書

 

●3冊の関係性(編集思考素):二点分岐

 

 

  • 中原洋子

    編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。