「世は共感の時代を迎えたのだ」。動物行動学者であるフランス・ドゥ・ヴァールは『共感の時代へ』の冒頭にこう書き、「この生まれながらの能力を活かせば、どんな社会も必ずやその恩恵に与るだろう」と期待を込めて締め括っている。その著書はバラク・オバマ大統領が誕生した翌年に出版された。奇しくも、オバマは大学の卒業式で「私たちは共感面での”赤字”についてもっと語るべきだろう」と演説している。
2020年のいま、「共感の時代」は続いているのだろうか。コロナ禍のトランプ大統領に「共感」を感じ取ることはかなり難しそうである。かたや、ニュージーランドのアーダーン首相の共感力が評価されている。パンデミックに不安を抱える国民に対し、共に困難を乗り越えていこうと励ましと思いやりのメッセージを送り続けた。
「共感」は、他者の情動を目にすると自分も同じ情動を生み出し他者と同一化する能力である。さらに、他者の気持ちを理解し協調行動をとる。それには、相手の視点に自分を重ねてみることや相手の心の内を理解することが必要である。そうした認知的行動はヒト以外の動物には認められないと考えられてきた。 ところが、動物にも「共感」は備わっているという。その起源は他者の行動を模倣するといった単純な身体的同調にあり、哺乳類の進化においては古く、根っこにあるものであるとドゥ・ヴァールはさらに説明する。
例えば2匹のチンパンジーは餌の置かれた箱を協力して引っ張ろうとする。それでは、1匹は既に餌をもらい箱の餌には興味がないとしたらどうだろうか。いやそれでもその1匹は、もう1匹のために一緒に箱を引っ張ろうと協力するのだ。
また、貨幣を模したトークンと引き換えに餌などの報酬を得られることを覚えたオマキザルの実験がある。自分だけが報酬をもらえる「利己的な」トークンと、自分と相棒の両方が報酬をもらえる「向社会的な」トークンを選ばせる。すると二匹は「向社会的な」トークンを圧倒的に選んだ。
それなのに、見知らぬ相手と組んだ時や相棒がいても壁に遮られてその姿が見えない時は、オマキザルは利己的となるのだ。さらに、相棒が自分よりも良い報酬をもらったことがわかった時にも向社会的ではなくなってしまう。
人間は社会集団の中では誰かの役に立ちたいと協力的である一方で、自分自身の欲求のために競争的にもなる。相反する二つの面を人間がコントロールできているとすれば、それは見知らぬ相手や目の前にいない相棒を想像し、お互いの関係を判断できるからではないだろうか。
哲学者の鷲田清一は「少しでも知らない人がいると心を閉ざして顔をそむけてしまう。そんな人が増えている」のではと『想像のレッスン』で問いかける。著者の「ここにあるものを手がかりにここにないものを想う」という想像力を駆使したアートの評論集である。ここでは鷲田は敢えて「壊れたもの」「塞がれたもの」「棄てられたもの」「見失ったもの」「消え入るもの」に目を向けている。
想像力はわたしたちに前に進む未来を用意し、立ち止まって心を癒す過去を思い起こさせてくれる。人間として生きてゆく力にもなるものである。その「想像」する力がいま弱っている。
グローバルにテクノロジーで繋がった世の中で、例えば遠く離れた家族の声や表情までもをスマホは瞬時に目の前に届けて見せてくれる。分からないコトや知らないモノはスマホで手軽に調べることができる。ところが、スマホで見つけられないと、もうそれ以上は自らの手で情報を集めたり探究してみようとしない。テクノロジーが私たちに想像することを忘れさせてしまったかのようである。
それだけではない。ヒトはこれまでダーウィンの「自然淘汰」を「強者の論理」と捉え、競争こそ自然な社会進化だと信じ行動してきた。誰もが「利己的な」トークンを選択し続けた結果、社会は極端な経済的格差を生んでしまった。想像の起点は「ここにあるもの」であり、「いま」という存在である。多くのヒトの「いま」が心もとなく、「いま」にゆとりがなくなってしまっている。ここにはないものや見えていないものを受け容れるだけの余裕をもてないでいるのだ。
ヒトは社会の中で人と人との繋がりのなかで生きている。見える、見えないに関わらず何かしら他者に依存している。そうした中で次世代の社会基盤を構築しようとする動きがある。目指すのは「誰も排除されることのない社会」「誰もが自分の生きたい人生を生きられる社会」である。『次世代ガバメント』には、そんな未来を担う行政府をイメージし、実験し、実装しようとする各国の先進的な前例が紹介されている。そこには「いま」「ここにはない」未来を想像する人達が確実にいるのである。
一人一人が自立し公平に生きてゆける社会基盤。それこそが「向社会的な」トークンをわたしたちが選択するプラットフォームとして必要であろう。個々の市民に目を向ける行政府は、「簡単に言ってしまえば、共感を軸として機能しなくてはならないということだろう」と宣言するように言う。「共感」はこれからがさらに求められる能力なのだ。
「いま」「ここにあるもの」「のこされたもの」を自分の眼で見て、身体で感じ、そこに立ち上がってくる感情を素直に受け止めてみる。それが、一億年以上も前からある脳に働き、綿々と育まれ進化してきた人間の能力を最も活かす瞬間ではないかと思う。
さあ、スマホを置いて町にでてみよう。
●3冊の本:
『共感の時代へ』フランス・ドゥ・ヴァール/紀伊國屋書店
『想像のレッスン』鷲田清一/ちくま文庫
『次世代ガバメント』若林恵(責任編集)/株式会社黒鳥社
●3冊の関係性(編集思考素):二点分岐型
鈴木哲也
編集的先達:寺田寅彦。本楼厠にある鑑真写真、能の翁面のごとき見た目とは裏腹に熱い編集闘志を秘める男。4度の師範代で「テツヤさん」と多くの学衆からも慕われる。落語風に食事を案内、プロフ写真は子供時代とお茶目でもある。