自らの体内から這い出したコマユバチの幼虫たちが作った繭の塊を抱きしめるシャクトリムシ。科学者は「ゾンビ化されて繭を守るよう操作されている」と解釈するけれど、これこそ「稜威」の極北の姿ではないだろうか。
飛び込む水の音がしたときに、蛙の姿はもうそこにはなく、春の古池だけが残っている。
俳句とは、読み手のなかに「蛙」を鮮やかに想起させる「アブダクション」でできている。俳人でもある師範の一倉広美は、[守]の用法3と俳句を重ねて「俳句のカタチはBPT」と言い切った。その連想のベースにあるのは「季語」である。
* * * * *
俳句をアーキタイプにもつ対句の型「ミメロギア」の解説では、寺田寅彦の句「客観のコーヒー、主観の新酒かな」を引いた。コーヒーと新酒のらしさを相互に指差しながら、客観と主観をあれこれと論じることなく脈絡させる。
本楼の本棚劇場に立つ一倉師範。集まった師範代たちへ用法3と俳句を同時に手渡す
一倉は、新酒が「秋の季語」であることを強調する。そこには、秋の収穫の喜びや言祝ぎといった主観の情動があるのだ。いっぽう一倉は、コーヒーの側については多くを語らず、聴衆の「アブダクション」を期待する。これもまた俳句のカタチであろう。
師範代の杜本昌泰は、松岡校長と有島武郎の言葉を借りて、「ミメロギアの秘密は『深い矛盾』や『根本対同』にあるのではないか」と口にした。
なるほど、コーヒーは、ニュースを眺める朝の日課かもしれない。この仮説においては、客観の「朝」は、きっと主観の「秋」と根本対同する。まったく異なる時間の流れのなかで世に相対しながら、「世界を受け入れる態度」という意味でどこか繋がりあっている。
情報の構造(とその余白)によって、あたらしい見方を得られるのが、用法3だ。一倉の用法解説に誘われ飛び込んだのは、蛙か、あるいは私だろうか。
文・写真:イシス編集学校 師範 阿久津健
(56[守]創守座 用法3解説に寄せて)
阿久津健
編集的先達:島田雅彦。
マクラメ編み、ペンタブレット、カメラ、麻雀、沖縄料理など、多趣味かつ独自の美意識をもつデザイナー師範。ZOOMでの自らの映り具合と演出も図抜けて美しい。大学時代に制作した8ミリ自主映画のタイトルは『本をプレゼントする』。
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コメント
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2026-01-12
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