■2021.05.31(月)
35[花]にあって過去期にないものが沢山ある。もちろん全ての出来事は一期一会だから、講座体験は入伝生にとっても指導陣にとってもオンリーワンなのだけれど、毎期毎期のユニークネスを次期への新たな参照模型として更新し続けていきたいとあらためて強く思う。前例踏襲はイシスに似合わない。試行錯誤上等、仮留め万歳、なのだ。
今朝は編集術ラボ([守][破]の「別院」にあたる)へ「花伝式目索引」を配信した。花伝式目に登場する語彙約400語を、編集工学の術語に限らずモーラしてコンパイルしたリストだ。
花伝所のマスターテキストである花伝式目には、これまで索引がなかった。まぁ無くてもコトは足りるのだと思う。検索窓にキーワードを叩けば、関連テキストは容易にヒットするからだ。そうは言っても、シソーラスを伏せたまま置くかリスト化して明示するかでは「学び」へ与えるアフォーダンスは大きく異なるだろう。どんなフィードバックがあるのかないのか、興味深く観察したい。
索引をわざわざ用意したことにはもう一つ狙いがあって、講座設営を再点検するためのツールとして考えている。
花伝式目は、いわば「秘伝のタレ」のような性格があって代々継ぎ足しによって醸成されているので、内容成分を克明に分離解析する機会がありそうで無い。何が旨味成分として機能しているのか、雑味の含有度合いのホドはいかがか、各位からの要請に応え得る質量で構成されているか、など注意深く吟味したい。
■2021.06.01(火)
かつて10[離]の表沙汰で松岡校長が語った「ムキミの知」を、ときどき思い出しては背筋を正している。松岡がこの話をこの標題で語ったのは、おそらくあの夜一度きりだったのではないだろうか。
こんな話だった。
人は情報に出会うとそれまでの無知を知る → 出会った情報は既知となる → 既知を掘り下げると未知に出会う。こうして「ム(無知)」「キ(既知)」「ミ(未知)」は循環する。「知」を獲得する作業によって拡張されるのは「既知」ではなく、むしろ「未知」なのだよ、と。
「知とは何か」というそもそものQはさておき、未知にあって無知に無いものは「気づき」だろう。そこに「まだ編集されていない部分」や「編集されにくい部分」がある、ということに気づくということだ。
この場合の「気づく」は、理解(cognisance)未満、自覚(awareness)以上といったニュアンスである。未知に気づくということは、その未然さを未然のまま受容することなのだ。
こうした未知との遭遇や受容を「差し掛かり」と呼んでいいだろう。差し掛かるステップが無ければ自他のホドは生まれず、すなわちインタースコア(相互記譜)は起こりようがない。
■2021.06.03(木)
4週目の道場は何彼と負荷が重なりがちだ。フィードバックすべき課題が積み上がるだけでなく、「マネージメント」についての考察が求められる。量に加えて層が重なるのだから、アタマとカラダの連動が覚束なくなる入伝生は珍しくない。
そのカオスの淵へ、錬成師範が分け入って水を運んでいる。
錬成師範が道場付として式目演習をサポートする体制は、35[花]が初めての試みだ。これまで一人花伝師範に託されていた道場運営では、差し掛かりの瞬間に後手に回ることが実のところ少なくなかった。パスは巧拙以上に機が大切だというのに、である。
指導陣の冒険編集に呼応するように、入伝生の編集冒険が旺盛だ。その証拠に、M4演習の応答速度は過去期最速のスコアを計測している!
速力は尊い。既知の重力圏を離脱するには不可欠だ。
■2021.06.05(土)
いよいよ入伝生のフラジリティが湧出している。エッジ(際)が極まってきているのだろう。
およそ人が困難に出会ったときの選択肢には3つある。撤退して楽になるか、怯まずに未開拓領域へ挑むか、そこに留まって呼吸を探るか。
いずれの場合も、未知を受容し、測度感覚を開くことを花伝式目は教えている。言い換えれば、編集的態度の実践こそが編集を冒険へと導くのだ。
ジタバタするも良し、クールを気取るも良し、SOSを呼びかけるも良し。瀬戸際でのふるまいにこそ、十人十色、百花繚乱の花が咲く。
能動的に、積極的に、「わたし」を場へ投げ出すべし。私たちは、とっくに何かと関係づけられているのだから。
私たちは、すでに名前がついている。
私たちは、すでに記述された中にある。
私たちは、すでに組織化されている。
私たちは、とっくに何かと関係づけられている。
私たちは、もともと制限をうけている。(『知の編集工学』より)
時分の花は「M4マネージメント」から「M5メイキング」へ向かう。
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
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