紋切型の言葉も、小さな子供が発すれば、大きな驚きや感動として伝わることもある。
『文章心得帖』(鶴見俊輔、ちくま学芸文庫)
「ありがとう」「おはよう」、子供が、最初に言う言葉に「マ
ンマ」というのがあります。それらはみんな紋切型の言葉です。
しかし、1歳、2歳の子供が紋切型の言葉を使うときには、躍
動があって、自由な生命の動きというものがある。
話す・聞く・読む・書くを中心に考えられがちなコミュニケーション。実際は、身振りと言葉をの組み合わせや、サインや合図のたぐいもある。
『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』は、伝える不自由さに直面しても、それを超えれば新たな方法があることをしめす。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
真っ暗な中で、視覚障害者のコミュニケーションを体感する。
http://www.dialoginthedark.com
■「らしさ」とヘンシュー
どんな意味も単独では成り立たない。意味の輪郭は、情報の対比や関係性から生じる。辞書によって言葉の説明が異なるように、それは輪郭をしめすのみで、厳密な定義というものは成立しない。
あくまでも「っぽい」「~らしい」といったとらえ方による。「わかる」の目安は、次の編集が起こせるかどうかにかかる。たいていの場合「らしさ」を把握すれば、つないだり、かさねたりすることができる。次の編集へと向かえる。
たとえば「カブキ」というカタカナの言葉から、どんなイメージが浮かぶだろうか。歌舞伎を連想すれば、伝統・派手・大袈裟などが挙がり、語源の傾く(かぶく)に気づけば、婆娑羅・ヤクザへとつながる。傾者(かぶきもの)の立場や心理にまで思いを馳せれば、危うさや弱さもカブキに含まれるかもしれない。
1543夜『弱いから、好き』(長沢節、草思社文庫)
マイナスとマイナスがふと引き合う時が最も美しく、真の優し
さが生まれるとばかり考えてきた。
ブランディングもまた、「らしさ」をつくり、共感や価値を広く伝える。社史、ストーリー、製品の特徴、ライバルとの違いを強調する。「らしさ」は、言葉とモノや現象をやわらかくつなぐ。
自動車のマツダは、デザイン部門でイメージを共有するためのオブジェを制作した。それをデザイナー間で共有し、「魂動デザイン」というコンセプトをつくり上げた。
『デザインが日本を変える』(前田育男、光文社新書)
大事なのは、カタチと言葉、まるで車の両輪のように2つが並
び揃ってこそ初めて相手を動かす力が生まれる
■ヘンシュー型でパサージュする
『私以外私じゃないの』(ゲスの極み乙女)という歌もあるけれど、私たちは日々変化し続けている。仕事・家庭・趣味などでも、多様な役割がある。
「たくさんのわたし」に気づき、受け止め、さらに広げてみよう。自分を質に入れない(モンテーニュ)。「ヘンシュー型のわたし」は、変化をいとわない。
そもそも自分の心と体のことさえよくわからないし、思い通りにはならない。ズレを感じながら『どもる体』と付きあい、見つめれば、新しい「わたし」を発見できる。
『どもる体』(伊藤亜紗、医学書院)
私たちの意識の手を離れた体のすがた。コントロールが外れる
のはたしかに怖い気もするけれど、でもそんな体を私たちが抱
えている。吃音が語るのは、いわば「究極のヒューマンドラマ」
なのかもしれません。
886夜『エセー』(ミシェル・ド・モンテーニュ、岩波文庫)
『エセー』が結局ぼくに示唆したことは、「自分を質に入れな
い」ということだった。
908 夜『パサージュ論』(ヴァルター・ベンヤミン、岩波現代文庫)
どこからが複製なのか。答えはあきらかだ。パサージュを忘れ
た者の意識のなかで、そのとたん、それは複製になってしまう
のだ!
ベンヤミンの言葉を借りれば、モンキリ型は発見のない「複製」ということになる。一方でヘンシュー型は、交感のあるパサージュといえる。
そして幸福という概念、これもモンキリ型ではないだろうか。あまりに漠然としていて、目指しても意味はない。なぜなら幸福は、通り抜ける時に感じるものなのだから。
さて最後に。ヘンシュー型なんて無理とおっしゃるみなさまへおすすめします。顔を白塗りにして、大きく真っ赤に裂けた口を描き、役作りから始めてみましょう。
シミズマサトシ
編集的先達:町山智浩。紋切り型社会から編集社会へ。師範代時代から編集工学への探究心と志に溢れるホープ。新師範になった途端、伝習座の用法解説に抜擢された。批評力に優れ、自己に更新をかけ続けている。
モンキリ型からヘンシュー型へ ― 44[守]伝習座講義録【前編】
言葉に限らず、思考や行動までもがモンキリ型な人々や社会。いまこそ見方を捉えなおす方法にふれ、自己の内外の多様性を再発見し、通り抜け、ヘンシュー型の社会へむかいたい。 2019年9月29日、44[守]伝習座が豪徳寺・本 […]