■2021.12.14(火)
イシスの「師範/師範代」に求められているものを一言に集約すれば「問いを立てる力」なのだと思う。
もちろん、しなやかなメディエーションや圧倒的なコンパイル、鮮やかな創文力を発揮できるなら申し分ないのだろうが、そうした魅力はどちらかと言えば「エディティング・キャラクター」として評価されるべきメトリックであって、師範/師範代の必須要件ではない。
「問いを立てる」という行為は、一般的にはカリキュラムやワークショップの「お題」を設営する作業のこと、あるいは何かの作業に臨む際の「目標設定」を意味する場合が多いかも知れないが、イシス流の「問い」は動的な場において発露されるライブでインタラクティブな「エディティング・モデルの交換」を志向する。
花伝式目の言葉を借りれば、「問い」とは「編集可能性の拡張」へ向かうための戦略的アフォーダンスの発破なのだ。
さて、花伝所の師範が総出で指南トレーニングキャンプのための設営に取り組んでいる。36[花]のキャンプは、設営をプロセスごと見直して、毎期恒例のグループワークに「問い」のブースターを注入しようとしている。
といっても奇手を企てている訳ではない。個へ遍くまなざしを送りながら、類の深化と創発を誘おうとしているだけのことだ。相転移を導く火種は誰の胸にも、どんな場にも宿されているのだから、そこへ「問い」という風を送るフイゴの機能が、師範/師範代には託されている。
さて、そもそも問題には基本的に3つのタイプがあります。「与えられる問題」、「発見する問題」、「作り出す問題」です。これ、実は「編集」の一連の動作なんです。
“give”され、“find”して、“make”する。これが編集の基本動作です。編集学校では、この“give”と“find”と“make”を一連で体験していくことを「編集稽古」と呼んでいるのです。(『インタースコア』方庵 編集稽古篇より)
■2021.12.15(水)
前号で「自発的微笑(*)」について触れたところ、子育て中のパパさんや養育支援に携わる友人など数人からフィードバックをいただいた。
*自発的微笑:
人間の新生児が示す、唇を横にひいて口角を引き上げる微笑(のように見える表情)のこと。新生児微笑。
新生児期の自発的微笑は目が閉じており、特定の誰かにむけているわけではない。生後3ヶ月頃になると、目を開けて相手の顔をしっかり見ながら微笑むようになって、新生児期に特有の自発的微笑は消えていく。
自発的微笑という現象が示唆しているのは、ヒトは生まれつき笑うようにできているということだ。つまり編集工学的に言えば、赤ちゃんは生まれながらにして親に自発的なモデル交換を仕掛けていることになる。とすれば当然、親(または養育者)は新生児の表情からアフォーダンスを受け、何らかの反応を返すことになる。たとえばマザリーズ(母親語)で合いの手を入れる、といった具合に。
ふーむ。なんと新生児たちは「問・感・応・答・返」の起点になる能力を授かって生まれてくるのだ!
養育支援の現場では、このような子どもに対する親の相互編集的な働きかけのことを「情動調律」と呼ぶそうだ。保母さんは、子どもたちが毎秒毎分こちらに向けてくる感情に対して、ピタッピタッと即した行動を返していくことを心掛けているのだというが、これこそ「正解のない編集」そのものだ。
さて、その「正解の無さ」を私たちはどう扱っていけば良いのか。
■2021.12.17(金)
指南トレーニングキャンプ前夜。
「ウムヴェルト境」と名づけられたセンターラウンジへ、続々とキャンパーたちが、キャンプを通じての実現目標を記した「目前心後標」を連ねて行く。いわば、自己編集に臨む「わたし」へ向けて自らが立てる「問い」である。
世間には「自己実現」や「有言実行」という言葉が尊ばれる風潮があるが、よくよく考えればそれらはあまり編集的な態度ではないように思える。少なくとも「目標設定」という概念には囚われるべきではないのではないだろうか。自己編集において、目標は「別様の自己の発見」、設定は「想定」または「仮設」と言い換えることを提案したい。
■2021.12.18(土)
指南トレーニングキャンプ1日目。
早朝からパートナーと組んでの相互指南集中演習。夕方からは5組に分かれてのグループワーク。
お題があって、締切があって、ツールやメディアには制約があって、メンバーも揃わず、そもそも自分の考えすら手探りの状況で、入伝生たちは「編集は対話から生まれる」を実践することが課される。
夜が更けた頃、インタールードとして田中所長から届けられた差し入れ動画のなかに、松岡校長が「創発」「触発」「解発」の違いについて語る場面があった。
創発はコントロールできない。触発は他者的である。しかし解発は自発が求められる。
この見方づけは「対話」についての大きなヒントになるだろう。
われわれは共感できるものばかりを受容しがちだが、創発、触発、解発だって受容のシソーラスに並べられるべきなのだ。
■2021.12.19(日)
指南トレーニングキャンプ2日目。
『夜学』から始まった36[花]にしては何ともアッサリな夜だったのだが、午前11時のグループワーク締切へ向けて一気呵成の編集が爆ぜる。そこへ花守衆(キャンプを見守る指導陣は「花守衆」と呼ぶ)からの檄が飛ぶ。締切に間に合わせるハコビは大切だが、カマエまで間に合わせになっていただきたくはない。
今期キャンプでのグループワークの成果として2点記しておきたい。
ひとつは、花守衆が一丸となって構築した「問い」による「立体的編集ブラウザー」が機能したこと。ひとつは、入伝生の誰もが「イシスの方法」について揺るぎない期待と信頼を滲ませたこと。
虫の目でみればモデル交換の拙さが露呈する場面もあったが、それは熟練を待つべき課題なのだから怯まずに経験を重ねれば良い。イシスの方法は、そこに人が代入され実践されてこそ意味と価値を生むのだ。
「問い」は必ずしも疑問文のかたちで表現されるとは限らない。時としてそれは「編集的自己の自立」を促すおまじないの顔をして現れるだろう。
「私がここで見守っているから、あなたはあなたの足で立つことを志してね」と。
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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