浦沢直樹 時代が生んだ「マンガ力」【マンガのスコア LEGEND48】

2022/04/17(日)14:00
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 浦沢直樹と言えば、最近はなんといっても「漫勉」ですね。

 NHKが放送する“マンガ家の作画風景をひたすら撮影して解説する”というマニアックな番組なのですが、これが滅法面白くて、特にマンガを描いたりするわけでもない人にもファンが多いようです。私などは、当連載にかかわりのある作家も多数出てくるので、ガン見していますが…(笑)。

 この番組のナビゲーターをされているのが浦沢直樹先生です。

 とにかく解説が、ほれぼれするほど上手い。本職のタレントさん並みにトークがこなれていることもさることながら、なにより短いワードでズバッと本質に切り込む掘り下げがみごとなんですね。

 この番組、つい先日(2022年3月)、文化庁メディア芸術祭賞の大賞を受賞したことが話題になりました。

 それも、「漫勉」の中でも特に「安彦良和」の回に授賞しているのがにくいですよね。

 たしかに、あの番組、毎回マンガ家たちの神業の数々にあんぐりさせられますが、その中でも「安彦良和」回は、顎が外れるぐらいあんぐりさせられたものです。

 公式HPの受賞理由に「多くのマンガ家という神々の業に密着してきた本番組。この回は大賞に相応しいまさに神回である。」とあるのも納得。ご興味のある方は是非、NHKのアーカイヴなどで探してみてください。

 

 ところであの番組の中で、安彦先生が、とある格闘シーンを描いているところで、武術の話に触れられていたのが印象に残っています。

 安彦先生も浦沢先生も、実際に武術の心得など全くないのですが、マンガを通して徹底的に研究を重ねていくうちに、いつしか達人の粋に達したような心境になったそうです。浦沢先生など、足掛け八年にわたる『YAWARA!』の連載のうちに「もう最後は完璧な背負い投げができるような気がしていた」と仰っていました。

 

――それならば、それを描かないわけにはいかないでしょう。『YAWARA!』連載終盤期、浦沢先生の言う「技を極めた頃」の絵を模写してみました。

浦沢直樹「YAWARA!」模写

(出典:浦沢直樹『YAWARA!』26小学館)

 

 めちゃめちゃカッコいいですね!

『YAWARA!』の柔道シーンは、専門家が「教科書に使える」と太鼓判を押すほどだといいますから、体軸や重心の置き方など、すべて理にかなった描き方をされているのでしょう。私のようなシロートにはそこまでのことはわかりませんが、とにかく「カッコいい」だけはわかります(笑)。

 効果線は全く使わず(二コマ目では少し入ってますが)、柔の左手、右足、相手の両足の輪郭を【斜線でぼかす】ことで、写真のブレのような効果を出すにとどめています。躍動感を出すために体の輪郭を誇張したり、パースをつけたりすることは、していないですね。アングルとポーズだけで勝負しているのはさすがです。

 柔の表情もいいですね。ここはキャラに強い表情をつけたくなるところですが、ほとんど【無表情】にしています。

 

 ところで今回の模写は、浦沢先生が普段使用しているという【日本字ペン】というのを使ってみました。

 マンガのつけペンは、古くからGペン派とカブラペン派に分かれるのですが(竹宮惠子・蛇足1参照)、日本字ペンというのも、たまに耳にします。手塚治虫がかつて使用していたというファルコンペン(現在は製造中止)に描き心地が似ているため、あの田中圭一先生もこれを使って手塚イタコ漫画を描いているとか。

 浦沢先生も、かつてはGペン派だったのですが、ある時ふと日本字ペンを使ってみたら、思いのほか描き心地が良かったので、使い始めるようになったそうです。

 Gペンほど強いタッチはつけられないのですが、カブラペンよりは柔らかい線が引け、その上、引っかかりが少なく、斜線などは引きやすいですね。今回の模写でも、細かい線を素早く走らせるところでずいぶん助けられました。

 

■ナチュラル・ボーン・マンガ家

 

 さて前回、LEGEND50の人たちは、みんな頭のおかしい「ナチュラル・ボーン・マンガ家」だと描きましたが、その最たる例が浦沢直樹です。

 この人こそ、マンガジャンキーに嵌まり込んだ典型のような人で、まるで涸れることのない泉のように、ジャンジャンバリバリと作品を量産し続けてきました。

 なにしろデビュー以来、ずっと「ビッグコミック」の「スピリッツ」と「オリジナル」を掛け持ちしながら、途切れることなく作品を描き継いでいたのです。

 大ヒット作『YAWARA!』を連載している一方で『パイナップルARMY』や『MASTERキートン』を連載し、『20世紀少年』を連載していた時は、『MONSTER』や『PLUTO』を描いていました。次々と襲い来る〆切に何度も押しつぶされそうになりながらも、常に切り抜け、原稿を落としたことはデビュー以来一度もないと言います。しかも単に多作というだけでなく、一本一本が代表作になりそうな超絶級の作品ばかりなのだから恐れ入るほかありません。

 今回の模写で使った『YAWARA!』は80~90年代に大ヒットしたマンガで、のちに柔道の田村亮子(現・谷亮子)選手の愛称(「ヤワラちゃん」)にもなりました。

 その後、1994年より『MONSTER』という大ヒット作を放ち、音楽ユニット相対性理論は「♪ひいきは小学館・スピリッツ読ませてBABY/MONSTERの最終巻・謎解きまかせてBABY」と歌うことになります(『MONSTER』は「スピリッツ」ではなく「オリジナル」なんですが(笑))。

 もう少し若い世代には、ゼロ年代に大ヒットした『20世紀少年』の方が馴染みがあるでしょうか。それからもう一つ「鉄腕アトム」のリメイク作『PLUTO』も忘れられません。

 浦沢は、『MONSTER』と『PLUTO』で、二度も手塚治虫文化賞を受賞しています。そんな作家は他にいません。二度目の際には「同じ人に二度あげるより、できるだけ多くの人に賞を与えるべきだ」との意見があって、選考会でもかなり紛糾したそうです(朝日新聞2005年5月10日より)。それでも「これに受賞させないわけにはいかないだろう」と決定にいたりました。

 一般のマンガファンに広く訴求すると同時に、マンガ読みの玄人たちも、のきなみ兜を脱がざるを得ないモンスター級の実力の持ち主、それが浦沢直樹です。

 

 

(浦沢直樹『YAWARA!』⑲『MASTERキートン』①『20世紀少年』⑧『PLUTO』②小学館)

 

■絵が上手い!

 

 とにかく浦沢直樹といえば、絵が上手い!

 いわゆる「絵師」的な凄みは感じられないので、なにかと侮られがちですが、確かなデッサン力に裏打ちされた「マンガ」としての表現力はそうとうなものです。

「漫勉」では、毎回、ゲストの方の作画風景といっしょに、浦沢先生ご自身の作画も見せてくれるのですが、筆さばきに自信があるというか迷いがありませんね。

 以前、何かの講演会に登壇された浦沢先生が、その場でいきなりサインペンを取って絵を描き始めたのを見たことがあります。それはほれぼれするような見事なパフォーマンスでした。人物の後ろ姿を仰角で捉えた非常に難しいアングルの絵を、下描きもないまま、足もとの方からサラサラッと描き上げてしまい、会場全体から思わず感嘆のため息が広がっていたのを覚えています。「これやると必ず『おお!』って驚かれるのが快感なんですよね~」と、おどけていらっしゃいました。

 そして、ただ単に腕がいいだけではなく、言語能力が高く、方法に対して自覚的なんですね。

「漫勉」では、作画風景を撮影した映像を作家本人と一緒に眺めながら、浦沢先生がコメントをつけていくのですが、ポイントを外さない的確な指摘には、毎回感服いたします。

 この番組、浦沢直樹がナビゲーターでなければ絶対に成立しない企画であるのは間違いないでしょう。並みいるマンガ家さんたちが、驚くほど胸襟を開いてお話しされているのを見るにつけ、この人が、いかに同業者からの信頼を勝ち得ているのかがわかります。普通のタレントやアナウンサーの司会では、これほどのやり取りを引き出すのはまず不可能でしょう。

 

■演出が上手い!

 

 そして、今更いうまでもないですが、浦沢直樹の演出力の高さにも注目しなくてはなりません。とにかく風呂敷を拡げるのも畳むのも抜群に上手い。

 しかし、それは構成に一点の隙もない、という意味ではありません。

 むしろ浦沢マンガの特徴は、物語展開の巧みさと、つっこみどころを挙げはじめたらキリがないほどの無茶苦茶さが共存しているところにあります。堅牢な構築物というより、むしろ危うい均衡でかろうじて積み上がっているロックバランシングのようだと言った方がいいでしょう。

 謎とその解決、伏線とその回収など、ミステリーやサスペンス的な要素を巧みに駆使しつつも、それらが単なる筋立てにとどまらない広がりと魅力を感じさせるのは、「マンガ」としてのイメージを大事にしているからでしょう。

『20世紀少年』執筆のきっかけは、あるとき風呂につかって、ぼーっとしていたら、ふと国連会議場のシーンが思い浮かび、「これは何なんだ?」と思っているうちに芋づる式にいろんなイメージが湧いてきて始まったのだそうです。永井豪の『手天童子』誕生のエピソードを思い出させますね。

 こうした、イメージを中核とした想像力の飛躍が、マンガならではのドライヴ感を生み出し、次から次へとヒット作を連発する原動力となっているのでしょう。

 

■1960年生まれの人々

 

 こうした浦沢の総合的な「マンガ力」とでもいうべきものは、もちろん彼の天性の資質ではあるのですが、彼のような才能が現れた背景には、これまでこの連載で触れてきたような戦後マンガ史的な文脈、劇画ブームや24年組、ニューウェーブなどのうねりの果てに爛熟期を迎えた90年代の時代層も考えてみる必要があるでしょう。

 

 浦沢直樹は1960年生まれ。LEGED50でいえば、山本直樹岡野玲子荒木飛呂彦と同い年です。LEGEND50外では『キン肉マン』のゆでたまごもそうですね。

 作家でいうなら綾辻行人宮部みゆき天童荒太という全然タイプの異なるミステリ作家が、みな60年生まれ。SF作家なら新井素子、映画監督なら塚本晋也犬童一心も60年生まれです。なかなか個性の強い人たちが揃っていますね。そういえば今上天皇も60年生まれでいらっしゃいます。

 この世代って、国産テレビアニメ第一号の「鉄腕アトム」や、「ウルトラQ」に始まるテレビ特撮シリーズ、「仮面ライダー」などを子供時代に体験し、『あしたのジョー』や『巨人の星』でバリバリだったころの「少年マガジン」を読み、大伴昌司のグラビアや大阪万博に胸をときめかせたり、思春期になる頃には「スター・ウォーズ」に始まるSFブーム、「ヤマト」や「ガンダム」などの神アニメの直撃を受けた世代です。まさに”20世紀少年”のサラブレッドですね。これらの養分全てをふんだんに摂取し、最高度のレベルに濃縮還元して見せたのが1960年5月生まれの庵野秀明でした。

 俗に「おたく第一世代」と呼称される1960年前後生まれの彼らこそが、日本のサブカルシーンを牽引してきた中核の世代に当たります。そうした「恵まれた世代」であることについて、浦沢自身かなり自覚があるようで、「僕ほどラッキーな時系列を歩ませてもらっている世代もいないんじゃないかというくらい、そういうものと出会うタイミングに恵まれていたよね。『鉄腕アトム』から『童夢』までの流れを、思春期のうちにリアルタイムで触れることができた。ちょっと世代がズレても違うと思うんですよ、受け取り方が」と言っています(浦沢直樹『描いて描いて描きまくる』小学館)。

 幼少~青年期にかけて浦沢少年が存分に浴びてきたSF、アニメ、マンガ、ロックミュージックなどのサブカルスピリットを全開にして描きあげたのが『20世紀少年』でした。

 

■マイナー路線でデビュー

 

 もともと子供の頃からマンガを描くのは大好きだったという浦沢少年ですが、オタクっぽく見られるのが嫌で(当時まだオタクという言葉はありませんが)、人には隠していたようです。

 大学を卒業するとき、就職活動で小学館を訪れ、そのときついでに原稿を持って行ったのがデビューのきっかけだったとか。「リクルートスーツ着てマンガを持ち込んできたやつは初めてだ」と呆れられたそうです。

 当時はニューウェーブの全盛期で、浦沢青年の描くマンガも、その影響をどっぷり受けたものでした。「自分のようなマイナー好みの作風では、プロとして食べていくのは難しいだろう」と考えていた浦沢青年は、デビューする気などさらさらなかったようです。

 それでも作品が入選するや俄然やる気スイッチが入り、内定の決まっていた玩具会社を辞して、マンガ家目指して頑張ることになります。『パイナップルARMY』で本格連載が始まるまでの数年間に描かれた短編群は、大友タッチの色濃い、比較的地味なものでした。

 

 

(浦沢直樹『初期のURASAWA』小学館)

 

 編集者との打ち合わせでも、浦沢の出す案はちょっとマニアックすぎてウケが良くなかったようです。業を煮やした浦沢が、ほとんど口から出まかせのように「じゃあ、女の子が主人公の柔道マンガでも描きますか」と言ったところ、とたんに編集者の顔がパッと輝き前のめりになったとか。そこから話がどんどん盛り上がり、たちまちプロットが出来上がってしまいました。

 メジャーなノリをどこかで忌避していた浦沢は、目の大きなカワイイ女の子やラブコメ要素、スポーツ根性もの、などなど、自らに課していた禁じ手をすべて解除することにし、ある種の実験作として「王道マンガ」を描いてみようという気になります。

 こうして生まれたのが『YAWARA!』でした。

 浦沢自身にとっては、実験作であり、パロディであったはずの『YAWARA!』は、爆発的なヒットを記録することになります。一時期はアンケートの得票率66%という凄まじい人気だったとか。

 マイナー志向の強かった浦沢直樹は、いつしか日本マンガの本流中の本流になっていきました。こうして着々と地歩を固めていきつつ、その作風は次第に自在さを増していくようになります。

 もともと『YAWARA!』でメジャー路線をそつなくこなす一方で『MASTERキートン』などのウェルメイドな作品を描き継いでいた浦沢直樹は、年に似合わぬオトナな香りをにおわす作家と見られていました。しかし年齢を重ね、キャリアを重ねるにつれて、反対にどんどんと子供っぽく――あえてこの言葉を使うならば――「中二病」っぽくなっていきます。

 浦沢直樹が、ただならぬ気配を発し始めたのは、1994年連載開始の『MONSTER』からでしょう。人気・実力ともに十分地歩を固めた上で、ようやく自分が本当にやりたかったマンガを描けるようになったのです。

 

 

(浦沢直樹『MONSTER』⑮小学館)

 

■最新作に注目!

 

 その後の快進撃は、みなさんもご存じの通り。『20世紀少年』、『PLUTO』と次々と大作を打ち出していきました。

 最近は、人好きのするお人柄とトーク力が重宝されるのか、テレビにラジオに引っ張りダコの浦沢先生ですが、決して「タレント文化人」になど、なりそうもありません。今でも現役バリバリの人気作家として最前線で勝負し続けています。

 2008年から2016年にかけて『BIllY BAT』を連載。講談社の「モーニング」というアウェイ試合でしたが、浦沢版戦後史総ざらえの本格作品となりました。

 

(浦沢直樹『BILL BAT』⑳講談社)

 

 そして2018年には古巣の「スピリッツ」に復帰。『連続漫画小説 あさドラ!』の連載が始まっています。

 いきなり巨大怪獣に蹂躙され火の海になっている東京の風景から始まるオープニングがいいですね(公式HPの試し読みを覗いてみてください)。「ALLWAYS続・三丁目の夕日」のようなフェイクなのかと思いきや、どうも本当に怪獣はいるらしい。ホームドラマ風の展開と、活劇風の物語がごちゃ混ぜになっていて、いったい何がなんだかさっぱりわからないのですが、とにかくぐいぐい引き込まれます。

 現在、単行本は6巻まで刊行されていますが、いまだ物語の全貌は見えてきません。これは浦沢先生も、かなり本気モードですね。『20世紀少年』のような壮大な大河ドラマがまたしても始まりそうな予感です。是非ともリアルタイムで伴走していきたいですね。

 還暦を超えた浦沢直樹が、また新たな代表作を打ち立てるべく、巨大な山脈を登攀しようとしています。

 

◆◇◆浦沢直樹のhoriスコア◆◇◆

 

【斜線でぼかす】74hori

初期の頃は、これもありません。マンガ的効果に対してはかなり禁欲的です。

 

【無表情】63hori

考えてみれば、実際に試合をしているスポーツ選手だって、こんなものです。

 

【日本字ペン】70hori

ただし、浦沢先生が日本字ペンを使用し始めたのは『BILLY BAT』以降といいますから、模写で使った『YAWARA!』の時点では、まだGペンだったと思われます。

 

「マンガのスコア」バックナンバー

 

アイキャッチ画像:浦沢直樹『描いて描いて描きまくる』小学館

  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。