文明も芸術も、経済も文化も、知識も学習も「あらわれている」を「あらわす」に変えてきた。この「あらわれている」と「あらわす」のあいだには、かなりの変換がおこる。内なる「あらわれ」が外なる「あらわし」に変わるからだ。そこにはときに杜撰に見えることも、ちぐはぐもあべこべもおこってきた。 (松岡正剛『擬』より)
画家が、イメージをツールと技法によって作品としてあらわすのであれば、経済学者は、経済活動を数字や文章や図表で再構築をする。経済とは交換やコミュニケーションといった人間の営みの「あらわれ」で、経済学はその「あらわし」だ。
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2022年10月10日、「銀行と金融危機」をテーマとして元米連邦準備制度理事会(FRB)議長のベン・バーナンキ氏が、米シカゴ大学のダグラス・ダイアモンド氏、米セントルイス・ワシントン大学のフィリップ・ディビッグ氏とノーベル経済学賞を共同受賞した。
学問の妙味は、対象への注意(アテンション)の当て方と、どのような発見(ヒューリスティクス)を導いたか、にある。“大恐慌マニア”を自称するバーナンキは「取り付け騒ぎ」に着目をした。日本経済新聞の記事(10月10日付)には、バーナンキが解きほぐした1930年代世界恐慌の過程が紹介されている。その手際はまことにスマートだ。
<不安から取り付け騒ぎまで>――
人々が銀行破綻を意識する。⇒人々は預金を引き出そうと銀行に殺到する。⇒銀行は資金を確保するために企業への融資を渋る。⇒経済全体に回るカネの量が少なくなる。⇒不況が深刻化してしまう。(「⇒」による分節化は井ノ上による)
大方の経済学的言説は、IF(条件)・THEN(結論)の連鎖でできあがっている。経済という複雑なシステムではさまざまな要素と機能がうごめく。
バーナンキの炯眼は、恐慌は市場の現金(キャッシュ)量の不足ではなく、人々の信用(クレジット)の収縮による、としたところにある(共同受賞者のダイヤモンドとディピックは恐慌を防ぐための銀行への規制の必要を説いた)。
「行けば預金をおろせる」という銀行に対する信用が失われれば、出金のための取り付け騒ぎが起こる。同様に「カネがあればモノを買える」という、現金への信用が失われると、ハイパーインフレーションがおこり得る。
経済的な意味で“信用”の根拠は確固としたものでもない。そもそも、カネとは価値をあらわす記号、ツールに過ぎない。
例えば20年ほど前の中国では、偽札が横行していたために現金への信用が薄かった。だから電子マネーは飛躍的に発達した。他方、日本ではフェティッシュなまでにキャッシュを好み、「現金信仰」とまで言われている。とはいえ知人の若い金融関係者の「日本円の価値って、使用価値しかないっすよ」という醒めた発言を耳にすると、だんだんと様相が変わってきているようにも思われる。
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2006年から2014年にわたって米連邦準備理事会(FRB/日本の日本銀行に相当する)の議長を務めたベン・バーナンキは、大学での研究成果を実の経済政策に適用した。政策実行者へと変身をとげた点、単なる学者にはない戒力がある。
08年の世界金融危機時には、巨大な財政出動をものともせず「AIG(大手保険会社)への資金供給」「ゼロ金利政策の採用」「量的緩和(QE)政策の本格導入」といった政策を打ち出した。市場に資金をじゃぶじゃぶと導入して、安心してカネを使えるようにして、信用の収縮を回避し、大恐慌が迫る難局を乗り切った。
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恐慌へと傾く経済システムに対し、カネをばらまく金融緩和を処方箋として唱え「ヘリコプター・ベン」とも呼ばれたバーナンキであるが、かれが理想とする経済の状態は緩やかなインフレによる物価の安定であった。それはリフレ政策とよばれ、2013年からのアベノミクスや黒田日銀総裁の方針に引き継がれている。
低い状態で安定したインフレこそが、最適な巡航速度(乗り物の速度で、燃料の消費効率が最も良い状態で移動( 巡航 )できる値)だ、と言わんばかりだ。めざすは金融システムのホメオスタシス(恒常的)状態だ。
だが、コロナ禍とウクライナでの戦争以降、現在の世界のいたる所で経済の実態は「安定したインフレ」とかけ離れている。
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新型コロナウィルスが流行し始めた2020年2~3月にかけて、株式等の価格が大幅に下落した。コロナショックの始まりだ。3月下旬から各国で金融緩和を実施し、低金利でカネを市場に投入した。恐慌回避という意味で効果的であったが、副作用も引き起こした。
資産バブルで一儲けした資産家がFIRE(経済的自立と早期引退)を始めた。コロナがやや落ち着いた現在、アメリカは人手不足とエネルギーコストの上昇により、激しいインフレに直面している。
ブルックリンにある一蘭ラーメン(福岡発祥)の「クラシック豚骨ラーメン」は19.90ドル/杯(3000円)ほど。一蘭ラーメン本店では980円である。
スープの中で刻一刻と変化する麺を最善の状態で届けるため、出来上がってから15秒以内に客に提供するらしい! (写真:一蘭ラーメンHPより)
FRBは金利を上げて、カネを市場から吸い取ってインフレの抑制を試みているが、10月12日に発表された9月の米CPI(消費者物価指数)は対前年比8.2%の上昇となった。現時点でインフレが収まる兆しは見られない。今年に入り、FRBのパウエル現議長は5回も政策金利の利上げを行ったにもかかわらず、だ。よって、そもそも金融政策が本当に効果的なのか、という疑義の声も上がり始めている。
なお、一般に金利が上がると企業の借り入れコストが上がるため、株価は下がると言われている。アメリカの株価は2021年の12月に最高値をつけ、それからFRBの政策金利の利上げ観測が強まってから下落基調にある。その影響を受けて、レバレッジ(梃子)を利かせた投資を試みた人々が倍返しを喰らい、SNS上で阿鼻叫喚の悲鳴を上げている。
通貨レートにおいては、一般に金利の高い国の通貨は高くなり、低い国の通貨は安くなる。金利を上げるに上げられない事情のある日本銀行は低金利政策を維持している。その結果が大幅な円安ドル高につながっている。その上、ウクライナでの戦争により、世界的にエネルギーと穀物の供給に影響が及び、10月1日からの値上げラッシュも起こっている。牛丼、パスタ、マヨネーズ、からティッシュペーパーなどなど。
他方、円安は日本国内の輸出企業とインバウンド関連企業に有利に働くはずだが、どうなるか。10月11日から外国人旅行客の入国制限が解除となる。「やっす~い日本」に来たがっている外国人旅行客は確実にいるだろうが、インバウンドのメインプレイヤーたる中国人観光客の出入国制限はいまだに厳しい。
ここまでの流れを、IF-THENモデルで整理してみよう。
<アメリカ金融政策と物価の推移について>――
アメリカ社会でコロナ禍がおこる⇒社会不安が生じる⇒FRBは金融緩和で社会の不安の解消を試みる⇒カネ余りになる⇒株価と物価が上がり、インフレ状態になる⇒FRBは政策金利を上げて金融を引き締める⇒株価は下がる…
金融引き締めをしても、インフレが収まらない点に、現代アメリカのやっかいな状況がある。人手不足が解消しないことが大きな理由だ。
<アメリカと日本の経済について>――
アメリカ社会でコロナ禍がおこる⇒社会不安が生じる⇒FRBは金融緩和で不安の解消を試みる⇒カネ余りにより株価が上昇する⇒利益を得た人が仕事を辞める⇒コロナが落ち着くと人手不足になる⇒基本給が上がる⇒インフレになる⇒米FRBは政策金利を上げる⇒日米で金利差が生じる⇒ドル高円安になる⇒日本の購買力が落ちる、もしくは輸出競争力が上がる…
ああ、負の連鎖に巻き込まれる祖国・日本。
ラーメン一杯の値段はニューヨークの1/3となった。
さて、どうするか。どうなるか。
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ぼくは2020年1月に長い海外生活を終えて日本に戻った。ちょうど、コロナが話題になったころだ。それから本格的に投資活動を始めた。当時、ある証券マンは「ほとんど利子がつかない銀行に普通預金で預けるよりも、グーグル株に投資すると安全に資産が増えますよ」と言ってのけた。今にするとあり得ない話だ(グーグルの株価は年初から3割落ちている)。だけど、1年前は半分信じたりもした。やもすると、マッドなマネーの飛沫を浴びると踊らされがちになる。今では「株価の予測なんて不可能」という結論にいたっている。
経済の原点に注意のカーソルを向けてみよう。
貨幣を媒介にしてモノを交換するのが市場経済だ。金融経済とは、実は市場経済から突出した亜流にすぎない。一方で物々交換で成り立っている経済もある。実は人類史の文脈ではこちらのほうが長い歴史をもつ。
その昔、季節になると青森県のぼくの実家にはリンゴがどこからともなく回ってきた。「リンゴって、カネ出して買うんだ…」と知ったのは社会人になってからである。我が家では、リンゴを贈ってくれた人に新巻鮭で返礼をした。貨幣を媒介としない互酬性の関係である。これは地方ではよく見られる光景だ。
ぼく自身は、投資活動で現金を得て車のガソリン代とかを稼ぎ、農作業で食料を自給したり交換する、というハイブリッドなあり方を生存戦略の中心にすえてみたい。なんだったら釣りや狩猟も加えてもいい。金融経済は度し難いものだが、果実(配当や利息)はもらっておいて、でもカネへの依存を最低限にするために食物はなるべく貨幣を介せずに入手する。
なお、ロシア人は週末に家庭菜園付きの別荘(ダーチャと呼ばれている)に行って畑仕事に精を出すらしい。根底には政府をとことんまでには信用しないアナーキズムがある、とぼくは察している。
荒唐無稽に見えるライフ・ハック術だが、共感する人も多いはずだ。
読み解く際に使用した「編集の型」:推論、アブダクション、注意のカーソル
「風が吹けば桶屋が儲かる」という成句は「風が吹けば(IF)、砂ぼこりがたつ(THEN)」…と展開をして、「桶屋が儲かる(THEN)」という結果に到達する。
風が吹けば、風鈴が鳴るかもしれないし、リンゴが落ちるかもしれない。さまざまな可能性がある中で、発見的に結論を導き出したい。コツは「アブダクション(仮説形成)」を利かせることだ。あくまでも仮説であるから、厳密である必要はない。
例えばマックス・ウェーバーの「禁欲的なプロテスタンティズムの経済倫理が、営利を追求する近代資本主義の形成に貢献した」という逆説的な発見も、その一例だろう。
なお、現代の社会システムでも、ちぐはぐなことは起こり得る。
生活の維持のために国が配布した給付金が、人々によって預金として死蔵されてしまったり、またはギャンブルに使われたり、といった風に。
『リフレが正しい。FRB議長ベン・バーナンキの言葉』
著者 :高橋 洋一
出版社:中経出版
ISBN : 9784806147589
発売日:2013/5/24
単行本:255ページ
追記:この本はノーベル経済学賞発表直後の10月10日に中古本でアマゾンから購入。お値段は843円であったが、この原稿を執筆している10月17日現在、アマゾンでのお値段は9800円!すごいじゃないか、ノーベル賞。
井ノ上シーザー
編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。
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